  
アメリカの生活、留学、ビザのこと、英語のこと・・・みなさんが普段疑問に思ってるアメリカの全て(?)がわかるホームページ
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★アメリカでの生活 ビザ・グリーンカード---アメリカ人と結婚すると・・・★
2007年からI-130を在外大使館・領事館で受領・審査しなくなりました。グリーンカード取得の過程は旧方法ですので、参考にしたり、文句を言ってきたりしないでください。ただし、雑記を読むつもりなら楽しいです(^ ^) |
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2007年4月30日最終更新
当サイト管理人にはアメリカ生まれカナダ育ちの「サル」がいます。付き合い始めたのが2001年4月。当サイト管理人のF-1ビザが2004年の7月に切れることを考え、結婚することでグリーンカードを取ることになりました。でも、とにかく何にも始まってません(^
^ゞ。しかも、「婚約」もしていません。こんなことでは、当サイト管理人は日本へ帰ったきりになります。サルは、それはいやなようです。それまでに結婚しなければいけないのはわかってるようで、結婚とグリーンカード申請のために必要な書類は集めてるようです。なんか、ようわかりません。
うちのサルはアメリカ生まれですが、人生の大半をカナダで過ごしています。サルのお父さんが仕事の都合でアメリカのシアトルに暮らしていたときにサルが生まれました。ですから、サルは「アメリカ市民」でもあるのです。生まれて6ヶ月でカナダへ帰って、仕事でアメリカへ来るまで、ずーとカナダで暮らしていました(カナダは二重国籍を認めている国です)。
知り合った当時は完全なカナダ人だと思ってたので、「カナダ人になるのもええか・・・」と思ってたのですが、その後アメリカ国籍も持っていることが判明し、当サイト管理人がアメリカに住み続けるためには、結婚するのが一番よいだろう、となったのです(もちろん愛があってのことですよ〜)。
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さてここでは、晴れて永住ビザが取れるまでのプロセスを「プロセス編」とともに、笑いながら読んでいただけるように構成しています。↑では、いつ婚約してくれるねん、などとなっていますが2004年11月1日に晴れてビザを取得し、同月19日にアメリカへ無事入国しました。
これからグリーンカードを取得しようと思っている方、どうか参考にしてみてください。ただし、移民法は日々更新されていること、当サイト管理人は法律家ではないので、ビザに関するアドバイスはできません。そのことを踏まえて、楽しく読んでください。
2004年5月9日
いつプロポーズしてくれるねん!
2003年のクリスマスからプロポーズを待ってるのですが、まだです。でも、書類はそろってるみたいです。ただ、当サイト管理人に必要なものまでは把握してないようです。当サイト管理人は、プロポーズはされてませんが、結婚とグリーンカード申請のための書類と情報集めを始めました(この日に始めたわけじゃないですけど)。
グリーンカードの申請は日本で
自分なりに調べてみて、グリーンカードの申請は日本でする方がどうやら早いことを教わりました(masayoさんのページ、「ぱたのうち」さんのページにお世話になりました。<_ _>)。それに、1年以上日本に帰ってなかったので、これを機会に一度日本へ帰っておくのもいいかなぁ、と思ったのです。夏の日本は蒸し暑くてあんまり好きではないですが、それはそれで懐かしかったりするのです(おいしい生ビールを飲むのが大きな目的)。ところが、サルはこれが理解できません。「何で、日本で申請したからって早いねん!それが1ヶ月や2ヶ月で取れるって?信じられるか!アメリカ大使館のホームページにだって『日本で申請したほうが早いです』とは書いてないぞ!」でした。当たり前やん、そんなん大使館が書くかいな・・・。そこで、アメリカで申請すると山のような移民を待って面接を受けないといけない、しかもその書類っていったん日本に送られるらしい、どう考えたってアメリカ人より日本人のほうが事務処理が上手&スムーズ、だから日本で申請すると早いんだよ!と説得しようとしてもだめ。「その事実を英語で書いてるものを探して見せてくれたら、信じてもいい」などと言い出すため、探した探した・・・。ところがなかなか見つからないのです。そこでふと思いました。こういうのをホームページで書く人って、アメリカ人と結婚する日本人の女の人が多いんじゃないだろうか?ということは、どう考えても英語で書いてて、「日本で申請したほうが早いですよ」タイプのものは見つからないのではないか。そのことをサルに話すのと同時に、見つけられるだけのものを見せるようにすると、徐々に当サイト管理人の言うことが本当であり、試してみる価値はありそうだ、ということがわかってきたようです。
というわけで、おそらくこちらで結婚してから、申請は日本ですることになると思います。サルは、前回の日本訪問のときは東京見物ができなかったので(当サイト管理人の実家が関西なので)、アメリカ大使館に行くついでに東京見物と、これまたいい機会となりそうです。これって、新婚旅行?昔の新婚旅行の定番、「箱根」にでも行って来ようかしらん?
現時点で考えていること
結婚後の戸籍の名前をどうしようか迷ってます。今はどんな名前でもよくても、子供が生まれたらどうしようかとか、そんな将来のことまで考えると、決められないのです。アメリカでの名前はサルのラストネームを使うつもりです。日本で暮らす予定はないですが、生まれた子供には日本国籍もとらせてやって、将来は日本の学校へも行かせてやりたいと思っているのです(本人が望めば、ですが)。そのときに、やはり日本名が残っているほうが便利かな、とも思ったり。ただ、当サイト管理人の苗字は、漢字で書くとあまり日本人にも一度でまともに読んでもらえません。だから、日本で暮らすなら日本語の名前が便利、とも言えないのです。ローマ字で書いてもアメリカ人は読めず、覚えるのに苦労します。だから、今の苗字はミドルネームにしか残しません。
今日も悩んでいます。
<新ネタ>ミドルネームにも旧姓は残しませんでした。
2004年5月12日
転出届を出していなかった・・・
つい最近、日本の家族と電話で話してて、国外への転出届を提出していないことに気づいた、というか教えられたのです。当然2000年の出発時に提出したとばかり思ってました・・・。実は当時、実家の改築で別の場所に引っ越してたもんで、ばたばたしていて忘れたのかもしれません。それを今になって教えてくれる家族も家族・・・。「なんか今回は意図があるのかと思って(前回の留学のときは出していた)」ってあるかいな!今はやりの「年金未納」をやってしまいました(^
^ゞ。しかし、当サイト管理人は日本から年金をもらおうなんて思ってないので、もとから払ってないし、収入もこの4年間日本では無いわけだし、それにパスポートを見せれば国外にいたことが証明されると思うのですが。しかし、既に親が代わりに払ってくれていた住民税は戻ってこないのでしょうか?
ただしかし、これから必要となる住民票が取りやすくなりました。
必要な書類を書き出して
うちのサルがいつプロポーズをしてきてもいいように、今から必要な書類を紙に書き出してます。それで何が何通必要なのか、整理しておこうと思いまして。結婚によるグリーンカードの申請の場合、この結婚が本物であることを証明するために、二人が写った写真やその両親と写った写真がいるそうで、先日、持っていた写真をぜーんぶ(全然関係の無い写真も)整理しました。おかげで、こちらへ来てから一度も手がけたことのない写真整理ができました。
名前はやっぱり
戸籍上の名前は、やっぱり今回は変えないようにしようか、と思い始めました。子供が生まれても、「名」の方に父親の苗字を入れることができる、と聞きましたし、子供と父親の苗字も同じにすることができるわけです。ただ、旧姓のままだと、いまだに結婚してないのかと思われるからやっぱり変えようか、とも思ったりするのです。「名前が変わりました」はがきでカタカナの名前になってたらおもろいし、でも、親族の葬式でのお焼香の時に(縁起でもない話ですいません<_
_>)自分の名前がカタカナで読み上げられたら、葬式の式場で失笑を買いはしないか、とか・・・いろいろ考えます。やっぱり今でも悩んでます。
2004年5月20日
書類の書き出し完了
2−3日前に、紙に必要な書類を書き出すだけは完了しました。これができたからってどうってことありません。それと、大体のスケジュールも自分の頭の中だけで考えてみました。こんなに何も始まってなかったら、9月までに出国することは無理なような気がします。肝心のサルは、自分が取り寄せた(実際はインターネットからダウンロード)書類を本棚の上に置いたままで、自分の近くには置いてません。今まではパソコンのある場所、つまり自分がいろいろ作業をする場所の近くにおいていたのに、今は「最緊急書類」には含まれていないようです。う〜ん、どうなるのでしょう・・・。この件の話を持ち出すと、「ため息」を漏らすサルです。どう思います?
2004年5月22日
お?何を探しているのかな?
先日サルがパソコンの前に座ってまして、「ごはんやで〜!」と言いに行ったとき、チラッとパソコンの画面を見ました。なんとそこにはサルの専門である「タイヤ」のアップ図ではなく「ダイヤ」のアップ図がありました!私は何も言いませんでしたが、たぶんダイヤモンドとは?見たいな解説のページを見ていたのでしょう。そろそろダイヤモンドの指輪を買う準備をしているのでしょうか(^
^)v。でもしばらく様子を見ることにしましょう。
2004年6月4日
いまだにもめている・・・
昨日、うちのサルは、いまだに日本でのグリーンカードの申請に賛成しかねていることが判明しました。理由は、東京へ行ったその日に何か不手際があったらどうするんだ、というのです。アメリカでやればもし何か忘れ物をしても別の日に行ける、というのです。当サイト管理人は、「じゃ、その不手際や不都合というのは、どういうことが起こると思っているのか」訊ねました。すると、「その日に限って電車が動かなかったり、テロとか・・・」というので、「そんなん起こるのこの国のほうが多いやろ!」って言ってやりました。とにかく、日本で申請するのは何かとリスクが多い、というのです。私はそうは思いません。だって、アメリカで申請すれば面接まで何年待たされるかわからず、しかも事務処理の下手なアメリカ人に、こんな大事なことを任せられますか!大事な書類を平気でなくしてしまうこの国で申請するほうが、よっぽどリスクが大きいというものです。たとえば請願のその日に必要な書類を忘れても大使館でもらってその場で書けばいいのです。出生証明書なんか忘れるのなんて論外だし、パスポートを忘れたら、まず日本に入国できてないわけだし、写真を忘れたんだったら、大使館のそばで撮れるだろうし、いったい何が起きると思っているのでしょうか、このあほザルは・・・。
アメリカでグリーンカード申請中は、出入国の許可証や就労の許可証が申請できます。しかし、申請してすぐにもらえるものではありません。急に親類が病気だ、死んだで帰国を迫られたときにこの許可証がなければすぐに出国できないわけです。そうか、この手があるか・・・これでもう一度説得しましょう。グリーンカードと日本のパスポートがあれば、いつでも自由に出入国ができる、と。親の死に目に会わさん気か!って言ってみよ。
こんな小心者ですから、いまだに私にプロポーズせずにいます。「ビザは来月で切れるんやんなぁ?で、9月までは合法的に滞在できんねんやんなぁ」って、そんなことに合わせてプロポーズする気か!
こうなったら、結婚前に日本に帰国する強行手段も考えています。
2004年7月8日
明日でビザが切れます
F-1ビザというのは、「学生である限り有効な」ビザです。当サイト管理人は、OPTで働いていたので、この労働許可がある限りはビザが有効となります。その後は、日本へお帰りください、というシステム。大体F-1ビザというのはアメリカに入国する際、「学位をとったら自国へ帰るつもりです」というのが条件です。「アメリカ人の恋人を作って結婚してアメリカに居座るつもり」なんていったら、入国を拒否されるのは当たり前・・・。というわけで、アメリカ人と婚約もしておらず、その後の働く先のない当サイト管理人は、日本へ戻ることが、今のところの予定。
婚約・・・してません!
で、明日でビザが切れるので、これ見よがしに荷造りでもして、サルにあて付けしてやろうと計画中です。また、けんかしそうです(^
^ゞ
2004年7月18日
またまた大ゲンカ!
ビザ切れてます、はい。サルが結婚指輪を探したりしてるのも知っています、はい。8月にカナダのオンタリオに住んでいるサルのいとこが結婚するので、それに参加するサルの両親が我々を8月に訪問するのも聞きました。で、それに合わせて結婚式をする、みたいなことをいってます(これも、当サイト管理人がたずねるまで自分のプランを明かしませんでした)。わかっていてもいらいらするので、夕べ「もうチケット買って日本へ帰るわ!でもな、私が今日本へ帰ったら、私らはもうアメリカでは結婚式でけへんねんで!」と。チケットを取る前に、一応サルの両親がいつ来るのか確認しておこうと思ったら、「9月の終わり」と言ったんです。絶対言いました!ですから、「ほら、そんな予定が変わってること私に教えてくれへんかった!」というと、「8月の終わりって言った!」というのです。いいえ、"August"と"September"を聞き違えるわけがありません。Septemberは自分の誕生日だし、絶対間違いません。それを言った、言わないで大ゲンカ。もうひとつの争点は、「プロポーズをしてすぐに私から"Yes"の返事がもらえると思ってるのか」ということ。しかもこのままだと、両親が来るから結婚の日を決めて、それでプロポーズの日を決める、と本末転倒もいいところです。こんな時期まで引き延ばしたこと自体が、腹立ちます。例えばです、去年プロポーズされたとしましょう。当サイト管理人のビザが切れることはぜんぜん関係なし。「あ〜、サルは本当に私のことを愛しているから結婚したいねんなぁ」と思えます。ところが、もうビザも切れ、十分不法滞在が許されるぎりぎりまで待ってプロポーズしたら、まるで難民を助けるために結婚するみたいじゃないですか(表現が不適切だったらごめんなさい)。しかも、「第一、僕はどうやって指輪を選んだらいいのかわからないんだ!」ですと・・・は・・・やっぱり「タイヤ」のことはよくわかっていても、「ダイヤ」には臆病になっているサルです。
で、まあそのあと結婚後の子供のこととか(もう若くないですから)当サイト管理人の仕事のこととか、っていう話をしました。そしたら、ちょっとお互い落ち着いて、こちらとしても、ほんだら8月の終わりまで待ったろか、という気持ちになったのでした。
指輪は、今からインターネットでデザインを見てみることにします。何で自分の婚約指輪、自分で選ばなあかんのよ・・・。
2004年8月8日
近況報告
って、何も変わってないので、近況報告も何もないのですが・・・。
サルの両親が8月29日か30日に来るらしいのです。で、彼らの滞在中に結婚しようと思ってるみたいなんですが、はい、まだ婚約もしておりません(^
^ゞ。は、は、は・・・笑いも引きつります。
2004年8月20日
日本帰国日決定
当サイト管理人は、OPTという学校卒業後1年間F-1ビザのもと、アメリカ国内で働いてもよろしい、と言う恩恵を受けました(実際、一年も働いておりませんが・・・)。F-1ビザと言うのは5年間有効なんですが、学生である限り延長されます。ただし、I-20(学校から発行される入学許可書)にある期限以内に全てのプログラムを終えなければなりません。また、OPT終了後は日本へ帰国しなければなりませんが、終了後、帰国準備などのため60日間の猶予が与えられます。ですから、OPTが終わってから60日以上アメリカに滞在すると、不法滞在となります。
さて、当サイト管理人のOPTは7月9日で切れました。その後、サルも本人も、不法滞在のことをあまり気にしておらず、と言うか、7月9日には帰らなあかんな〜、それまでに結婚するんかな〜・・・みたいなはっきりしない気持ちでいたため、あまり帰国する日を考えていませんでした。ところが先日、あるホームページに、「以前に2週間不法滞在したために、アメリカへの入国を拒否された」と言うの読み、ちょっと冷や汗・・・いえ、かなりあせり始めました。そこで急きょ、9月7日、ちょうどOPTが切れて60日目に帰国することにしました。サルにのそのことを報告し、急いで飛行機のチケットも取りました。
さてサルのほうは、二人で相談した結果、まず大使館へのI-130(アメリカ市民が自分の家族や配偶者のためにビザの変更をお願いします、と請願するもの。petitionという)提出の予約を、もう今からとっておこう、と言うことになったのです。予定表を見ると、9月の最後の2週しか空いていません。以前は、予約なしでもI-130を受け付けてくれてたのですが、今では、毎週水曜日の午前か午後、完全予約制になっています。
我々は9月29日午前9時に予約を取りました。サルも、この日の1週間前に日本に来れるようにと、そこから約2週間の日本滞在予定で飛行機の予約をしました。
さて、よくよく考えると、我々二人(一人と一匹)はとんでもない本末転倒な事をしているのです。普通の人は、婚約をして、結婚をして、請願日の予約をして、飛行機の予約をする・・・。うちは、請願日の予約をして、飛行機の予約をして、結婚する日も大体決めている・・・肝心の婚約はどうなっているのでしょうか!?
2004年8月25日
結婚許可書を発行してもらう
夕べサルが仕事から帰ってきて"Do you want to get the...stuff tomorrow?"「明日、その〜、例の物をもらいに行きたい?」っていうので、「何?」と聞き返すと「ライセンス」というので、「お!とうとうか!」と思い、ちょっととぼけて「運転のライセンス?」とかっていってやりました。でもすぐその後、「でも、実際にプロポーズをしてないねんけど・・・」普通、結婚することを決めた二人がこの結婚許可書を発行してもらいます。これをもらって初めて結婚してもよいのです。でも、当サイト管理人は9月1日までに結婚したい理由があったので、もし発行に時間のかかるようなものであったら、明日中にもらいに行くのがよい、と思ったからでしょう。調べてみると、その日のうちに発行してもらえるようなのですが、サルの都合がよいのが水曜日だけだったので、本日、行って来たと言う訳です。
結婚許可書の証明には、我々が住んでいるスターク郡の郡検認裁判所、と言うところの結婚許可書を発行してくれる部署へ行きました。まず、オフィスに入って、サルが「結婚許可書がほしいんですが・・・」と言うとオフィスのお姉さんの一人が「結婚許可書ですね?『釣りの許可書』じゃないですね?」(アメリカは釣りをするにも免許が必要)とジョークで確認。ははは・・・。ハッピーオフィス・・・。その後、必要事項を用紙に記入して提出して、事務員のモニカ・ピアスさんがコンピュータに情報を入力し始めました。そこで、彼女から当サイト管理人に質問。「あなたのおかーさんの旧姓は、あなたの今の姓と同じなんですか?」あ、来たな・・・この質問。そうです。当サイト管理人、高校を卒業したときに生まれたときの姓から、今使っている姓に変更がありました。親の離婚なんかではなかったのですが、「墓を守るなんちゃらかんちゃら」で、家族全員母方の旧姓を名乗ることになったのです。アメリカ人に「家を継ぐ」だの「墓を守る」だの言っても理解できないだろうから、簡単に説明しておきました。サルと二人で"Complecated..."(複雑なんです・・)と。で、モニカさんから確認で、「じゃ、あなたのお父さんもこの同じ姓なんですね?」はい、その通り。おー、ややこし・・・。これがいつも「母の旧姓」を記入するときに悩むことなのです。
さて、そのことは何とか理解してもらい、あとは結婚後に発行される結婚証明書の日付や署名のないものを、今からもらっておけると言うことだったので、3通もらうことにしました。もらうというか、買ったんですが。1通は料金に含まれていたので、1通に付き2ドル払って後2通追加しました。それから、結婚の記念として額なんかに入れて飾る、ちょっと分厚い紙に印刷した結婚許可書が1ドル・・・だと思う。で、ないとちょっと計算が合いません。結婚許可書45ドル(Ohio州は他の州より少し安目です)、結婚証明書の1通は料金に含まれているとして2通追加したので4ドル、で、この分厚いのが1ドル、合計50ドル払いました。
最後に、これらの書類をもらう前に右手を挙げて宣誓させられます。「以上ここで記入したことが真実であると宣言しますか?」二人とも"I
do."(真実であると宣言します)と言いました。
後は、サルがどこで結婚式を挙げられるかをたずね、連絡先を聞きました。どうやら同じ建物内でできるようです。裁判官は女性でアジア系のディクシー・パークさん(写真がオフィスに飾ってあった。若いきれいな人でした。それとも修正済みの写真か?)のようです。
これらの手続きはほんの10分ほどでできます。でも、もう少しでこの事務の人に聞きそうだったのが、「私、まだ彼からプロポーズされてないんですが、それでも結婚許可書、もらえるんですか?」です。
2000年8月29日
やっとプロポーズ!
8月29日の日曜日昼ごろ、なんとなく二人でどこかへ出かけるような雰囲気になりまして、「そろそろか?しかしどこで?」と当サイト管理人の疑問。しかもサルは朝から部屋にこもってなんかしています。「部屋に入るな!」ってきつく言われ、言われるとおりにこちらはこちらで自分の用事を済ませるのでした。しばらくしてサルも出かける準備ができたようなので、出かけることになりました。サルは、手に茶色の小さな紙袋を持っています。当サイト管理人は、その中に何が入っているか、もちろん見当が付いていましたが、「何入ってんの〜?」とわざと聞いてみたりしたのでした。
ところで、車で15分ほど行ったところに"Price Park"というあひるがたくさんいる公園があり、我々はよくここで散歩をしたり、あひるにパンくずをやったりします。サル、その公園の駐車場に車を停めようとします。「ほ〜、いいかもしれません」などと思い、サルいについていきますと、ベンチに座りました。ま、ここからの細かいことは省略します、プライバシーってことで。
とにかく、茶色の紙袋から指輪を出し"Are you honored becoming my wife?"とたずねられたので、9月1日結婚するように予約してるねんから答えは"Yes"やろ、と喜んでそのダイヤのリングをもらったのでした。ちゃんと自分で選んでくれました。
2004年8月30日
サルの両親の訪問
ま、そんなわけで婚約したのですが、30日にやってくるショーンの両親はもちろんこのことは知りません。彼らは夕方やってくることになっていたので、サルはそれよりも先に戻るつもり、といってその朝出かけました。サルが戻ってくるまではリラックスしてよ〜、とリビングルームでクラッカー食べたりコーヒー飲んだり、スウェットパンツのままのんびりしてました。夕方5時半ごろでしたか・・・外で音がするので、サルが帰ってきたのかと思ったら、なんとサルの両親ではないですか!げげ・・・この指輪見られたら、ばればれ・・・なるべく左手を隠すようにしてサルが帰ってくるまで3人話をしてすごしたのでした。サルが帰ってきてから、「たぶん二人は私の指輪に気づいてるはずやから、早く報告したほうがええで・・・」と言ったのですが、結局その日は言いそびれたのでした・・・。
2004年8月31日
さて次の日、天気もよかったので4人でどこかへ出かけよう、ってことになりました。とりあえず、近所にある「航空博物館」みたいなのがあるのでそこへ行ってみることに(サルのお父さんはサルが生まれたころ、シアトルのボーイング社で翼の研究に携わっていたのでした)。で、出かける前にサルが、「実は二人に報告することがあります」と切り出し、二人が先日婚約をしたことを報告したのでした。二人ともとても喜んでくれてました。お母さんなんかうっすら涙を浮かべていました。その後、「実は明日結婚式を挙げる予定なんです・・・」というと、じゃ、予定を変更して、花を買ったりシャンパーンを買ったりいろいろしなければ、ということになりました。そうです、明日が結婚式というのに、結婚指輪も用意してなかったのです。そこで、モールへ4人で行き、我々は結婚指輪を選ぶことになりました。
さてモールにはたくさんの宝石店があるのですが、そのほとんどが、名前は違うが同じ会社が持ってる、という、ほとんど専売特許の状態です。その中でも、そのグループになっていない店に入ってみることにしました。店員さん2人はとてもフレンドリーで、なんかここで買う羽目になってしまうのでした。気に入ったのが見つかったのですが、サイズが当サイト管理人の指よりはるかに大きいのです。すると店員さんは、「サイズ直しには10日間かかりますので、とりあえず明日はここに金具を入れてサイズを小さくしましょう」とのこと。意味がわかりません。指輪の中に何かを入れてサイズを小さくする?指輪を受け取ってわかりました・・・指輪に金属で「弧」をはって、サイズを小さくするのです。なんか見た目、「武器」みたいです。サイズ直しはビザが取れて日本から帰ってくるまでできませんので、この違和感ありありの指輪としばらく過ごさなければいけません。
ここでアメリカでの宝石に対する考え方なのですが、日本とはずいぶん違います。日本では高品質のダイヤがよく売れ、18Kかプラチナ、というのが主流ですよね?ところがアメリカで18Kの指輪を見つけるのはなかなか無理です。結婚指輪や婚約指輪も金色のものが普通で、しかも14Kです。サルも婚約指輪を捜しているときに言われたそうです。「何でプラチナを探しているんですか?プラチナは付けていると輝きがなくなってくるし、傷がいっても直すことができないんですよ」と。それでもサルは日本のしきたり(?)に従ってプラチナの婚約指輪をくれたのですが、結婚指輪は14Kのホワイトゴールド(金の上にめっきがしてある)にすることにしました。こっちのほうがずいぶん安いですから。
さて、その後サルの両親と落ち合ってお昼を食べ、シャンパーンを買いに行くことに。家の近所にリカー専門店があるのでそこへ行くことにしました。ところがその店、キャッシュオンリーって言われたらしく、サルのお父さんは自分のデビットカードか使えなかったので、その場では我々がシャンパーン代を払いました(なんじゃそりゃ?)。酒屋さんを出ると、次はシャンパーングラスを買わな、ってサルの両親が言い出すのです・・・さっきモールへ行ったところやん!どこがいいかと考えて、"Bed
Bath & Beyond"という、バス用品やキッチン用品を売っている店がいいのでは、そこなら家にクーポンがあるはずだから、まず家に取りに帰ろう、ということになりました。当サイト管理人は、実はそのクーポンの期限が切れていることに気づいてました。ところが、家に帰ると、その店から新しいクーポンが届いていたのでした。ラッキー!そのクーポーンを持って店に行き、クリスタルカットのシャンパーン用グラスを買ってもらいました。その店を出ると、「次は花束」って言うんです・・・え?花なんか持って式に出るのなんか期待してなかったからいいのに・・・。って思ったんですが、花屋へ行くことになりました。次にスーパーの花屋さんへ行ったのですが、ちょうど都合の悪いことにお昼休みを取ってて誰も店にいなかったのです。仕方がないので、別の店に行くことになったのですが、花屋なんていったいどこにあるのじゃ・・・。たぶんとなりの村(そこは本当にvillageです)にあるような・・・で見つけました。そういえば、いつもこの道をとおるときに見てたような・・・。建物は普通の家で、中に入るとたくさんのドライフラワーや造花が飾ってありました。一人奥の事務所にいたので、「すいません」といってでてきてもらいました。サルのお父さんが、「花嫁用のブーケを作ってほしいんですが」というと、店の人「いついるんですか」と尋ねるので4人で「明日」。店の人「うそですよね・・・?」信じてくれず、いや本当に明日いるんです、って、そりゃ結婚式のブーケを前日に頼む人はいないでしょう・・・。で、一応明日までに作りますので、予算とか好きな色とか好きな花とか言ってくって言われたんですが、当サイト管理人、式で花を持つなんて考えてもいなかったので、ずいぶん困りました。結局ピンクのバラでラウンドのブーケを作りましょう、ということになり、明日の朝9時に店が開きますので・・・ここでサル、それは無理、の一言。明日の朝10時に裁判所で式の予約をしてるので、ここに9時に来てから裁判所に10時までに行くのは無理です。全員納得、花屋さん試案顔・・・。結局我々は、仕方ないから近所の花屋さんへ行こうか、って感じだったんですが、「ちょっと待って、20分ぐらいまってくれたら簡単なのを作れる」って、言い出したのです。どうやら花束を作る人は別にいるみたいですね。じゃ、待ちますので、と我々は店の中をうろうろして待ったのでした。そのうち下へ降りる階段を見つけたので、行ってみてみることにしました。ところが、出来上がり寸前の花束は、花嫁のブーケというより、「仏壇花」か「墓花」のようなのでした。思っていたのとちゃうやん・・・ラウンドの小さめのブーケを作ってもらいたかったのに・・・。
こうして準備万端(?)で次の日の結婚式に臨むのでした。
皆さん、こんな指輪もらってうれしいですか?実はこのリング、帰国して絡もう一度作り直してもらったもので、少しサイズも違います。↑の話のオリジナルのものではありません。サイズにあったものが出来上がってくるのは1月、ってことですが、もう1月も終わろうとしてるんですがね〜・・・なんとも付け心地の悪い指輪です。
2004年9月1日
結婚式当日
朝10時に裁判所で予約をしていたので、朝の渋滞も考えて8時45分には家を出発しよう、という話になっており、当サイト管理人はちょっと早すぎるんちゃうの?と思ったのですが、その計画に従うことにしました。
案の定、事務所には9時半についてしまいましたが、法廷室(裁判が行われるああいう部屋を、なんと呼ぶのでしょう?)に通されました。ところがここでひともめ。サルに当サイト管理人のカメラを持ってきたかときくと、車のトランクに忘れてきた、というのです。当サイト管理人、かんかんに怒りました。「取りに行ってくる」というと、判事はもうすぐやって来るのに、君は式に遅れる、というのです。そんなことない、まだ時間は十分あったのです。それを聞いたサルのお父さんは、最初家に忘れてきたと思ったのですが、車のトランクなら取りに行く、というのです。またサルがそこで激情し、そんなことしたら式に参加できないぞ、と。
するとそこへ、副事務官の女性以外に地元の新聞"The Repository"の記者とカメラマンが来ていて、われわれの結婚式の様子を写真にとって記事にしたいので承諾してもらえるか、というものでした。お〜、それ面白そう、と当然承諾。式の前に何枚か写真を撮ってもらって、取材を受けました。で、その間にサルのお父さん、カメラをとりにいけることを副事務官の人に尋ね、一件落着なのでした。
判事のディクシー・パークさんは10時前に廷内に入ってこられ、式が始まりました。ホント、いきなり始まったって感じ。まず判事は私のほうにこの男を夫にするか、一生仲良くするか(とかなんとかそんなこと)をたずねてきました。男性のほうに先に訪ねると思っていたので、ちょっとびびって"Yes"と2回答えました。最初が"Yes"で二回目は"Yes,
I do"といいました。サルの番になってきてみると、どうやら2回目は"I
will"と答えるのが正しかったのですね〜・・・ぜんぜん人の話し聞いてません(^
^ゞこの判事さんは毎日こんなことやってるわけですから、読むのもすごく早いんです。で、なんていったのか聞いてないところもあって、よく結婚したらみんな"I
do"って言うじゃないですか・・・皆さん、人の話はよくききましょう。
その後指輪の交換、まずサルが指輪を取り当サイト管理人の左の薬指に入れます。「この指輪であなたと結婚します」と言います。次は当サイト管理人の番。こちらも"With this ring, I thee wed."と言います。ところがこれを言おうと思ったら、判事が新聞記者のカメラマンに、「こちらへ回ってもらっていいですよ」と言ったものですから、自分で勝手に言っていいのか、やっぱり判事さんが言うのを待って繰り返したほうがいいのか、悩んだんです。思わず、「言ってもいいですか?」と尋ねてしまいました。
こうして何とか式は終わりました。10時の予約だったのに時計を見ると、終わったのが10時でした。そのご後判事さんとサルの両親とともに写真を撮った後(この写真はグリーンカードの申請のときに非常に重要です)、別室で新聞記者の人に話を聞かれ、その日の行事は終わりました。でも、新聞にいつ載るのかきくのを忘れました。
2004年9月4日
早!もう来た
土曜日の午後からサルの両親とともにどこかへ出かけることになったのですが、その前にメールボックスを見ました。するとなんと裁判所からもう「結婚証明書」が届いているのです!これはすごい!だって、1週間は絶対にかかると思っていて、当サイト管理人が日本に旅立つまでに届くのは無理、だと思っていたのです。ところが3日で届いたのでビックリ!スターク郡裁判所、すごいやん!これで日本へ帰ってからサルが来日するまでに自分だけでできる手続きを全て終われそうです。これ一つで大違い。感謝感謝です。
2004年9月7日
アメリカ出国
オーバーステイのブラックリストに名前が載らないうちに、当サイト管理人だけ早々と日本へ帰国することにしました。大使館のペティションの予約は9月29日に取っているので、28日から東京入りをすることにし、サルはその一週間ほど前に日本へやってくる予定になりました。新婚早々離れ離れなんて、なんともかわいそうな新婚さんです・・・(T_T)ってこれは、これからずっと一緒にいられるための、大切なプロセスなので、涙を飲んで二人は別れたのでした。
2004年9月28日〜30日
いざ東京へ
さて、いよいよI-130請願のために東京へ行くことになりました。信じられないことですが、この時点でもサルは、「日本での申請の方がアメリカのそれより早い」と言うことを信じていませんでした。何の落ち度もなく、この請願、そしてそれに続くビザの申請を成功させなくてはいけなかったのです。何よりも、日本人の事務処理はすばらしく早いて正確、と言うのを見せ付けなくては・・・。サルが当サイト管理人の実家にやってきてからというもの、書類の点検は怠りませんでした。
28日の午後に東京に到着してから、赤坂のホテルから大使館までどう歩けばいいのか、下見をしました。大使館・・・大きいです!メトロ赤坂駅は大使館の最寄り駅ではないんですが、歩いても15分ほどでした。途中、さまざまな刑事ドラマの舞台となっている警視庁を眺めたりして。マクドナルドがあることも確認し、ここで朝ごはんを食べてから9時の面接に臨むことにしたのでした。
当日は8時半までには大使館へ着きたかったので、7時半ごろにはホテルを出て、「マクド」でモーニング、と思いきや、このマクドではモーニングをやっていないとのことで、朝から「月見バーガー」を食べさせられた当サイト管理人でした。
建物の中に入ると、既に大勢の人が待合室で待っていました。結婚による永住権の請願のためか、待合室の中は「外人男・日本人女」の組み合わせばかりでした。こう考えてみると、当サイト管理人がサルとの「組み合わせ」で永住権の請願をすることが、いまさらながら運命やねんな〜、と思いました。
1番の窓口に行くと整理券が渡されました。で、しばらく待つと番号が呼ばれました。この日の主役は請願者であるサルなので、当サイト管理人は脇役です。全ての書類がサルから渡されます。我々の場合は結婚して一年未満だったため、「I-130W」だかなんだかにも記入させられましたが、窓口ですぐに記入できるものです。その後、請願料を払ってくるようにいわれ、その領収書を持ってまた同じ窓口に戻ります。次は呼ばれるまで少し待ちます。すると次に呼ばれると(別の窓口で)その時点で請願は受理されており、ビザ申請者(つまり当サイト管理人)がいつでもインターネットから面接の日を予約してよいことを伝えられ、請願の手続きが終わります。9時の予約でしたが、8時半には大使館に行くようにし、窓口に呼ばれたのが9時前、全ての手続きが終わったのが10時10分前でした。実はこの後公証の窓口でサルのI-864を公証するように言われたので、これも済ませておきました。
なんだか思ったより簡単だったので、ちょっと気抜けがしました。心にも時間にも余裕があったので、次の健康診断に行くまでにどこかへ観光に行くことにしたのです。
さてここで気をつけなければならないことは、以前のように請願の後に「パケット」をもらえない、と言うことです。ビザの申請のときに必要な書類(主には健康診断で必要な書類)はインターネットからダウンロードするようにいわれます。当サイト管理人は、なんと日本への帰国前にサルが必要な全ての書類をダウンロードしていてくれていたので、それを持ってきていたのです。大使館でパケットをもらえる、と思ってたのですが、なぜか持ってきていたのです。幸いこれを持って健康診断に行ったので、あわてずに済みました。ビザの手続きは日々日々変わってますので、新情報の公表は大事ですね。
東京での用事は一度に済ませたかったので、午後から恵比寿にある「東京ブリティッシュクリニック」に行くことにしていました。でも、予約の時間までに余裕があったので、恵比寿と言えばビールでしょう、と恵比寿のビール博物館へ行くことになりました。なぜビールの話なんかするかと言うと、ここでちょっとビールを飲んでからクリニックへ行ったのですが、待合室にいる間にトイレに行きたくなったのです。でも、「尿検査」があると思っていた当サイト管理人は、その検査用に「取っておかないと」と思い、トイレをずっと我慢して検査を受けたのでした。レントゲン検査のときも、血液検査のときも、「いつだ、いつなんだ〜!」と心の中で叫びながら待ちました。ドクターがおなかを「きゅっ、きゅっ」とおさえたときは、もうだめかと思いました・・・。結局尿検査はありませんでした。トイレ、我慢しないで行きましょう。
この検査のとき、実は当サイト管理人、大失敗をしたのです(おしっこ漏らしたんじゃないですよ)。なんと、「パスポート」を持っていくのを忘れたのです。大使館での請願が終わったあと、ホテルに戻ったときに、わざわざパスポートを置いてきたのです。置いてきた理由としては、まず前もってクリニックに電話したときに持っていく必要のあるものの中にパスポートがなかった、東京の街をうろうろするのに大事なパスポートを持って歩くのはよくない、と思った、からです。とにかくあせりましたよ。しかし、受付の人に明日もまだ東京にいることを告げると、明日の朝持ってきてくれたらいいです、とのことだったので、再び来る必要もない恵比寿にまた明日行くことになりましたが、何とか切り抜けました。サルにも、こっぴどくしかられました。
健康診断はいたって簡単なもので、こんなんでいいの?って感じでした。身長・体重を測り、血液の採取、その後胸部のレントゲン撮影、少し待たされてからドクターによる内診(皮膚の状態を見たいのでと言われ、下着だけとなりました)、血圧を測りおなかをきゅっきゅ、と押さえて終わりでした。当サイト管理人の場合、4年前にアメリカの大学に入る前にMMR(おたふく・風疹・はしか)と言う3種混合ワクチンを打っていたのと、生まれて30数年間親が母子手帳と予防接種の記録を取っておいてくれたので、この日は一本も予防接種を打たずに済みました。
結果は次の週の月曜日に出るということでしたが(健康診断に行ったのは水曜日)、当日取りに来ることができなければ宅配便で送ってもらえます。当サイト管理人は予防接種を受けずに健康診断だけで受診料25,000円でした。
2004年10月4日
神戸の兵庫県警にて無犯罪証明
東京から戻ってきた次の日に神戸へ行くのはちょっときつかったので、週末をはさんで翌週の月曜日に兵庫県警へ行くことになりました。サルにとってはこれが2回目の神戸です。無犯罪証明自身はとても簡単です。本人のみ県警8階にある鑑識課へ行かされ、全指の指紋を取ります。この指紋も今ではコンピュータで取るものなので、やっててちょっと楽しかったです。自転車すら盗んだことのない(何を盗んでも悪いことは悪いが)当サイト管理人、安心して指紋を取ったのでした。
2004年10月5日
ビザ申請の予約
無犯罪証明の出来上がる日のめどが付いたので(通常10日から2週間でできるとのこと)、インターネットでビザ申請の予約を取りました。以前は「ファックス」を送るように言われていたようですが、請願が終わった時に窓口の人に、「インターネットで予約ができますよ」といわれたので、こちらの方法を試してみることにしたのです。希望は10月の第3か第4の週、としておきました。2日ほどで返事のメールが来るとのことでした。
しかし待てど暮らせどメールの返事は一向に来ません。そこで、ファックスを送ることにしました。するとすぐに返事が来て、「11月1日(月)の午前9時半に予約が取れました。正式な文書ももうすぐ届きます」とのこと。11月1日にビザが取れるんだったら、請願してから本当に1ヶ月で取れることになるのでした。うわさは本当だったのでした。
そんなわけで、当日東京で会う友達と名古屋で会う友達に連絡をして、久々の再会をする約束もしたのです。
2004年10月6日
サル帰国
東京でのペティションが終わればお役ごめんのサル。長く休みが取れないこともあって、2週間弱の日本滞在でアメリカに戻ることになりました。ビザの申請まで、自分が日本にいなくてもいいのか、としきりに気にしていましたが、この時点ではこの件については信じていたようです。はい、あんたはもう必要ないです。しかし再び別れなければならない二人・・・。当サイト管理人がアメリカ入国までは、1ヶ月以上も先になるでしょう(もっと早くビザが取れる自信があったのだが、いとこがサイパンで結婚式を挙げるのが11月5日だったため、それに参加してから戻ろうと言う魂胆だったため。我々は「裁判所」での結婚式でしたが、いとこ達は「サイパン」・・・一字違いで大違いとは、このことです)。
結果、サルは寂しさと料理ができないことのために、当サイト管理人がアメリカに帰国するまでに6ポンド(約3kg)体重が減ったそうですが、当サイト管理人は、母や妹のお世話になりっきりで、日本滞在中に6ポンド体重が増えてました(^
^ゞ
2004年11月1日
ビザ申請・最終面接
ここはほとんど「プロセス編」と同じなので代用させてください<(_ _)>。でもちょっと違うよ。
午前9時30分の予約だったので、新大阪発の始発6時の新幹線に乗って東京へ行くことにしました。
大使館へはもっと早くに到着するつもりが9時15分に到着。席についてもどうすればいいのかわからなかったので、窓口できくと「電話の近くにある番号札を取ってください。」と言われました。請願のときは番号札は窓口で配られましたが、面接当日は番号札を自分で取ります。当サイト管理人の番号は「33」でした。
9時半過ぎに番号がまず1番窓口で呼ばれ、そこで全ての書類を提出します。必要な書類は面接の日が書かれた手紙に書かれていますし、上のチェックリストを参考にしてください。このほかに離婚の経験があればそれを証明するものも必要です。今年の7月から横顔の写真ではなく正面写真をビザに使うようになりました。一応持っていきましたが、正面写真が2枚必要なだけでした。しかし、今回のグリーンカードは2年間の期限付きのものなので(2年後も結婚を続けていれば正式なものがもらえます)、その後のグリーンカードの写真は横顔なのかなぁ、などとわけのわからないことを考えてます。テロ対策の一環のために、正面写真を採用することになったのかもしれません。
さて、書類を提出したら申請料を払ってくるように言われます。日本円でもドルでもいいです。このときに、ある書類に住所などを書かされるので、申請料を払う窓口の前のテーブルで書き込んでいました。同じ場所でもう一人の女性が同じことをしていました。その我々の間に、なにやら怪しげな、どう見たってアラブ系の年配の男性二人がその女性に何か質問しています。「ビザを申請したいんだけど、その用紙はどこでもらえるんだ?ここにはないようだけど・・・」と彼女に尋ねています。彼女は、「私はインターネットでダウンロードしたから持ってるのよ」と返答。当サイト管理人も、そうだよ、と相づち。で、そのうちこの大使館の住所を教えてくれっていってるみたいで、その彼女、知らないから当サイト管理人に「住所ご存知ですか?」ってことになったのです。大使館から送られてきた封筒を持っていたので、「ほら、これだから写せば?」と見せてやりました。その封筒を返してほしかったので、一人のおっちゃんが住所を写してる間待つ羽目になりました。ところがどうもこの二人、英語が怪しすぎて、「TOKYO」なんてつづりすらできないんです!仕方がないから、アルファベットを一つずつ読んであげました。おいおい、何でこんなやつ大使館の建物に入れたんだ?だって、アポかなんかないと絶対に入って来れないはずなのに、自分らがどんなビザを申し込むのかさえわかってない、しかも一番警戒せねばならない「アラブ系」を何で警備の人は入れちゃうのでしょうか・・・。おかげで、かなり順番抜かしされました。
申請料を払った後、また呼ばれるまで待ちます。ところが当サイト管理人、呼ばれたのですが、書類の一つを指差され、「え〜、お母様のお名前なんですが、旧姓が今のお名前と一緒なのですか?どうしてお父様の今の名前と旧姓が同じなんですか?」とたずねられたのです。また来たか、この質問・・・。実は、当サイト管理人、高校を卒業したときに父も含めて家族全員で母方の姓になりました。だから、母の旧姓といわれれば、今の姓と同じ、と言うことになるのです。これを説明すると、単に母の姓は結婚しても変わらなかった、と処理されました。この質問で、再び順番抜かしされた、はず。
その後もう一度呼ばれます。このときに左と右の人差し指の指紋を取ります。指紋っていっても最近のは(警察でもそうでしたが)コンピュータ処理するものなので、指先のインクを拭くティッシュなんて用意する必要はないですよ。
そして、最終的に呼ばれました。これが面接です。当サイト管理人、「領事との面接」と言うのは別室に呼ばれてひげの生えたアメリカ人の領事との面接のことだと思ってました。ところが、前の人の様子を見ていると、どうやらいくつもある窓口越しに、日本人の若いおにーちゃんとの面接もあり、のようなのです。もう一人はアメリカ人の若いおにーちゃん、もう一人が少し年配のアメリカ人の女性でした。当サイト管理人は、この日本人の若いおにーちゃんに当たりました。最初日本語で「では宣誓をしていたがきます」と言われ、右手を挙げて、ここにある書類のないように嘘がないことを、これから言うことに嘘がないことを宣誓させられます。その後、「英語を話してもいいですか?」ときかれるので、どうぞ、と言いました。
さて、質問が始まりました。緊張しました〜・・・何を聞かれて、どう答えたかです。
- 一番長くアメリカに滞在したのはいつですか?(2004年に学校に行って、4年いたのが一番長いです)
- 彼とはどうやって知り合いましたか?(インターネットで)
- 彼と初めて会ったのは知り合ってからどれくらいたってからですか?(知り合って1週間後でした)
- 彼のことをどんな風に好きでしたか?(え?トピックに興味があったからです)
- どんなトピックでしたか?((この辺はもう作っている)二人とも歩くのがすきなのと、彼は私の学校でアイスホッケーをしていました)
- 彼の職業はなんですか?(グッドイヤーのエンジニアです)
- 彼の両親には何回会いましたか?(3回です)
- 彼には兄弟姉妹がありますか?(姉が一人と弟が二人です)
などなどです。このとき、実は二つ目の質問が"Where were you from when
you met him?"とか何とか、そんな質問だったんですが、その質問の意味がわからなかったんです。「彼と出会ったときはあなたはどこにいたんですか?」と言う質問ですが、なぜかと言うと、既に自分がアメリカでサルに出会った、と言ったと思い込んでいたからです。そりゃ、インターネットで出会うのなら、日本とアメリカに居たって可能なわけですから・・・。うっかりしてました。
この面接が終わるとその場で、「それでは午後3:45にビザを交付します。取りに来れますか?」といわれました。実は、6時ごろに名古屋の友達に会うために新幹線の予約があったために、午後3:45に大使館を出たのでは間に合わない、と思ったため、「送ってください」と言ってしまったのです。するとこのおにーちゃん、とことん英語で話してきて、「それじゃ〇〇を買って、戻ってきてください」と言うのですが、この「〇〇」の意味がわからず、しかもへんにこのおにーちゃん右のほうを指差すもんですから、てっきり隣の窓口で売ってるんだと思ったんです。窓口から他の人に尋ねると、「ローソンでエクスパック500って言う封筒を買ってきてください」とのこと。なんや、エクスパック500なら知ってますよ・・・。あのおにーちゃん"five
hundred"なんていうから違うものかと思ったのです。
さて実はこの面接が終わったのが大体11時過ぎだったのですが、11時半にJR代々木駅(この時点では「それってどこにあるんだ!」状態)で人と会う約束をしてたんです。だから封筒を買ってきてくれといわれたとき、けっこうあせりました。でも、急げば大丈夫と思い、大使館の建物を出て、すぐそばのローソンへ行くと「エクスパック500売り切れ状態」。もういい、3:45に取りに来よう、と思い、もう一度建物に入れてもらい(パスポートも預けたままだったので、警備の人には期限の切れた日本の運転免許を見せました)、面接した人を探したんですが、いないんです。で、仕方なく、窓口から他の人に(これはアメリカ人の若いおにーちゃん)「すいません、エクスパック売り切れてたので、やっぱりビザ、取りに来たいんですが」と、この最後の「取りに来たい」を言う前にこのおにーちゃんが「ローソンでなくても、郵便局で売ってるから、別に急がなくていいんだから、行ってきなさい」って言うんです。大体この人が当サイト管理人の書類を触ったわけではないので、知ったこっちゃない、って態度。「送ってください」といったん言ってしまったら、もう変えれないんだと思う、もう一度泣く泣く建物を出ました。で、郵便局の場所を建物の外で警備している人にきいたんですが、あんまりよくわからん様子。で、もうここであきらめて、もう一度建物に入って、面接した人に「取りに来ますから・・・」と言うことにしたんです。もう、門の場所では顔パス状態(-_-;)で、また同じアメリカ人のほうのおにーちゃんに、取りに来るから、っていって建物を出ようとしたら、例の面接をした人に呼び止められたんです。取りに来るんだったら、これがレシートだから、と紙切れを渡されました。この時点で、11時半の約束は絶対無理でした。だって、この時点で11時半でした・・・。
3:45に取りに来たとして、それから急いで東京駅に戻っても4:14の新幹線は無理だろうな、と思っていました。と言うことは、東京での約束にも遅れ、こんなややこしいことをしてしまったばっかりに名古屋での約束にも遅れることになってしまったんです。ホント、ばかです。で、あとから気づいたことなんですが、前述してますとおり、11月3日からいとこの結婚式のためにサイパンに行くことになっていたので、11月1日の時点で郵送なんてしてもらってたら、パスポートが11月3日に間に合わなかったんです。最初からこれに気づいてたら、送ってください、なんて言わなかったのでした。
ビザの交付
と言うわけで、代々木の友達には45分も遅刻して会いました(タミーちゃん、アリガトね)。その後時間があったので、渋谷のスターバックスで1時間時間をつぶして、3時半までには絶対に大使館に着くつもりでした。気分的にはもっと早く行くつもりだったのです。でも、結局到着すると3:30でした。席に着くとある一人の女性が、「番号札なんか取らなくていいんでしょうか?」なんてきいてくるので、さ〜、窓口できいたほうがいいのかな?なんて思いながら待っていると、なんと3:40分にビザの交付が始まったのです。しかも当サイト管理人、一番最後に来たに窓口の一番最初に並び、ビザをめでたくもらったのです。「表に書いてあることに間違いがなければお帰りください」ということだったので、ザーッと目を通し間違いがないことを確認(実は、アメリカに入国する際、サルの名前の部分のラストネームのつづりが間違っていることを発見!)、急いで建物を出、「溜池山王」の駅へ向かいました。溜池山王の駅、どうにかしてくれ!地下鉄の入り口から駅の改札まで歩いて10分以上かかる!これってもう最寄駅ちゃうやん。とにかくこの日の東京では、一日汗だくになっていた当サイト管理人。地下鉄で汗をかいているのは、自分だけでした。
東京駅でも走りましたよ・・・そしてなんと、指定を取っておいた新幹線に乗れたんです。信じられない・・・。
こうしてやっとビザがもらえたのでした。請願から約1ヶ月です。すごいです。サルに後で連絡すると、この時点でやっと、日本での申請が早いことに納得しました・・・遅すぎるっちゅうねん!
2004年11月19日
アメリカ入国
アメリカへの飛行機はノースウェストを利用したため、デトロイトで入国審査がありました。グリーンカードではなく、永住でもビザだけの場合は「Visitors」のところへ、他の日本人と同じように並ばされます。現在アメリカの入国は、ノービザの日本人観光客にでさえも大変厳しくなっています(ノービザだからこそですが)。今まではパスポートを見せ、入国の目的や滞在期間をたずねられ("Sightseeing,
4 days"なんかでよかった)、はいどうぞ、だったのですが、今は違います。パスポートを念入りに眺められ、帰りの航空券を持っているかを調べられ、左右の人差し指の指紋を取られ、写真を取られます。これで、入国管理課にはアメリカに今まで入国した人のデータが全て残る仕組みになっています。な、もんですから、入国審査の時間のかかること・・・。今回はビザを持ってても日本人と同じ場所に並ばされたので「あたしゃ、写真も指紋もこんなかには持ってんのに」と思いながら気長に待つのでした。幸いに乗り換え便まで時間があったのでよかったです。
DCのお友達、トミーちゃんからの新情報!永住ビザを持っていれば、やはり「US/Green
card」の窓口へ直接行ってかまわないそうです。普通の日本人の入国にも時間がかかるこのごろですので、すぐにUSの窓口へ走ることをおすすめします。当サイト管理人は、正直にもフロアーの英語の解らんおばちゃんの言いなりになり、時間をえらいくらいました(T_T)(Tommyちゃん、Welcome
to the US!)
さて、並んでいるときに気づいたことがあります。大使館からもらったビザのための書類一式の最初のページに記載されているサルの苗字のつづりが間違っているのです!大使館であれだけ見たのに・・・。しかし、もし大使館で気づいていたら、新幹線には間に合ってなかったでしょう。つづりが間違っていても、読もうと思えば読めるつづり間違い・・・。こういうつづりにする人けっこう多いので。もし入国の際に、「すいません、夫の苗字のつづりが間違ってんですけど・・・」なんて下手に言わんほうがいいだろうと思い、そのままほっておくことにしました。
入国管理官が一通り書類を見て、2,3質問があって(請願したのは誰か、結婚してどれくらいか、アメリカ入国は初めてか、など)別の窓口に並ぶように言われます(せっかく長く並んだのに・・・)。この時点で、他の日本人はみんなゲートの内側に入って、自分の荷物もピックアップした後です。でもなんか、特別扱いされているような気分になり、別の窓口に並びました。別の管理官がビザのための書類作成をしてくれて、グリーンカードが届いたら、これは条件付のものであって、2回目の結婚記念日より前に条件付をはずす手続きをしなくてはならない旨を言われます。最後に"Good
luck."と言われて終わりました。時間はかかったけど、ビザの請願や申請の手間ひまのことを思うと、この「通行手形」の威力に驚かされました。
いつもぐるぐる回ってて、自分のスーツケースを探し回って、見つけるとあった!とばかりに人を押しのけて自分のスーツケースをカートに乗せるあのベルトコンベアは完全に静止しており、当サイト管理人の荷物がぽつん、と残っているだけでした。ま、探しやすいといや探しやすかったですが・・・。
クリーブランド行きの飛行機が30分ほど遅れましたが、無事飛行機は到着。サルはなんと・・・空港に花束を持って出迎えに来てくれていました。花束って言っても、スーパーなんかに売ってる束売りのやつですけど。でも、うれしかったですよ。1ヶ月以上ぶりの再会。雪こそ降ってませんでしたが、オハイオはすっかり冬景色でした。かえってくると感無量・・・このビザさえあれば、大手をふってこの国で暮らせるわけです・・・もちろんサルとの結婚が最低2年続く、と言うのが条件ですが。
2004年12月13日
グリーンカードが届く
12月13日に2通の封書が届きました。一つは、「国土安全保障省(?)」(Department
of Homeland Security)からのもの。告知のタイプとして「Welcome Notice」(「アメリカへようこそ通知」)とかかれており、サルと二人で笑ってしまいました。そこには、永住権を認めたので、この通知が届いてから3週間以内にグリーンカードを受け取ることでしょう、のような内容が書かれていました。
ところがもうひとつの封筒にはグリーンカードが入っていて、3週間も待たずに到着したのでした。さてそのグリーンカード。色はグリーンではなく、白です。表には当サイト管理人の顔写真(プロセスでも書きましたが、今はもう横向きの顔写真ではなく、正面写真です)と、いろいろなデータ、指紋となにやらいろいろな番号が書かれています。このカードは2年間で切れる条件付のものです。サルが夕べ「もう僕から去ったりしないよね?」というので、「最低2年はね」と言っておきました。
カードの裏はグリーンの文字でした。真ん中部分が「ホロスコープ」のようになっていて、当サイト管理人の顔写真が1辺7ミリぐらいの中にあり、その上には、ずらーと歴代大統領の顔(だと思う)が並んでいます。カードの下のほうには、これまた細かい国旗のようなものが描かれています。一つの旗の幅が1ミリちょい。何か文字も書かれていますが、何のことかわかりません。
カードとともに送られてきたのが、「この封筒に入れてカードを保護することを薦めます」と書かれたカードと同じ大きさのふくろです。とりあえずこの袋に入れて、財布に入れました。
これで、当サイト管理人のビザ取得の軌跡は終了しました。 これから結婚ベースのグリーンカード取得をされる方の参考になれば、と思います。
2006年9月26日
「条件付」を解除
当サイト管理人のグリーンカードの「ただし、2年間結婚生活を続けていること」の条件を解除するためのFormI-751を提出しました(この条件は、入国前の結婚している期間によって違います)。条件解除の手続きは、アメリカに入国した日から2年後の日付の90日前から行えます。今回の手続きはサルがすべてやりましたが、↓のページに、必要な書類のチェックリストがあり、またFormI-751にコンピュータの画面から必要事項を書き込み、プリントアウトできるようになっているので、非常に便利です。
http://www.visajourney.com/forums/index.php?autocom=custom&page=751guide
難しい書類以外にそろえなければいけないものがありますので、2回目のアニバーサリーが来るまでに、次のものをそろえておくといいと思います。
本人と配偶者の家族と一緒撮った写真または本人の家族と配偶者と一緒に撮った写真→みんなで会った時は、意識して、なるべく家族全員で撮った写真を保管しておくといいと思います。神経質にならなくてもいいと思いますが、写真に日付が入っていれば、なおいいと思います。
二人で一緒に旅行をした時の搭乗券の半券(ラゲージクレーム)やチケットの領収書・写真など→これはあまり保管していることがないと思いますが、あるといいと思います。ちなみにうちはこれがなかったので、一緒にカナダへ行った時のパスポートのスタンプのコピーを同封しました。
◆「条件付」を解除のためのアポイントの手紙◆
2006年10月21日、「ASC(Application Support Center)Appointment Notice」という手紙が届きました。実はこれよりも数日前、「書類を全て受け取りました。後日ASCへ行く予約をお知らせする手紙が行きますので、それまでお待ちください。グリーンカードは今より1年間期限が延期されます」というの手紙をもらっていたので、「え?まだ1年も待つの?」と思ってましたら、それから1週間もしないうちに、今回のアポの手紙が来ました。この手続きを「Biometrics(生体証明?つまり「指紋を取ること」です)」といいます。それによると、「来週の火曜日午前8時に来ること」ってことです。場所はクリーブランドのようですが、8時の予約ってことは、家を7時前に出ないといけないってことです。わけのわからない場所に行くのに、真っ暗闇を運転していくのはいやなので(サマータイムの今、サマータイムが終わるころの朝が一番暗いのです)、時期を延期しようかと思ってます。手紙にも、「この日がだめなら、いずれかの水曜日で、2007年1月8日までに来られれば結構」と書いてあります。しかし、8時に行って、何時に終わるのだろう・・・移民局ってよく混んでるって言うじゃないですか?サルに休みとらせて、一緒に行ってもらって、話し相手になってもらおうかな・・・。
◆「条件付」を解除のためにASCへ向かう◆
2006年10月24日、結局アポの手紙に支持された本日行くことにしました。しかも、サルも一緒に行く、というので8時のアポイントメントに間に合うように朝6時に家をでました。クリーブランドは、オハイオでも大都会です。ですから朝はラッシュアワーで、道が混んでいるはずなので、Yahoo!Mapの「所要時間1時間10分」はあてにならないので、6時に出ることになりました。朝5時おきでした(T_T)。当サイト管理人一人の判断だったら、6時半に出ているところですが。
さて、実は、この24日のアポを次の週に変えてもらおうと思って、サルが移民局のフリーダイヤルに何度も電話をかけたんだそうです、って言うか前の日から「かける!」ってきかないのです。手紙には、「この日に来れなかったら2007年1月8日までの水曜日の8時に、いつでも来たらいいです」って書いてあるので、当サイト管理人は「電話なんかせんでもいいよ!」って言ったのですが、サルは「いや、かける!」というのです。頑固もん!で、会社からのメールで、「何度もかけてみたけど、コンピューターの録音だけで、直接『人間』とは話せなかった」とのこと。そこで当サイト管理人もチャレンジしてみましたが、録音されているメニューの一体どこへ行ったら(どの番号を押したら)いいのかわからず、2度かけましたが、断念しました。次に直接クリーブランドのASCにかけようと思ったのですが、その手紙をサルが会社に持って行ってしまっていました。インターネットでいろいろ探したのですが、なんと電話番号を載せていないのです(実は、手紙にも電話番号はありませんでした。サルもインターネットで探したそうです)。仕方がないので、サルは「明日行くのがいいと思う」と判断したんですね・・・当サイト管理人は、「勝手に行ったらええと思うねんけど・・・」とまだ思っていましたが。
さて、今朝ですが、持ち物検査をしたのです。持っていかないといけないものは、
- アポイントのお知らせの手紙
- 写真のついたID(普通、運転免許書になるでしょう)
です。でも、念のために今あるグリーンカードとパスポートを持っていくことにしました。キッチンで、「これこれでいいよね?」と確認をしている間、サルは手紙を読みながら「ふんふん」って言ってます。「その手紙もいるねん」って言って、サルから受け取りました。で、しゅっぱ〜つ、となりました。
やはり高速道路は混み混み、しっかり2時間かかりました。クリーブランドのダウンタウンに入ってから、どの建物だったか確認しようと思って持ってきた「アポの手紙」であるはずの手紙を見ると・・・「が〜〜〜〜”””ん””!こ、こ、これ、最初に来た『アポの手紙をお待ちください』の手紙やんかぁ!」なのです。そうです。違う手紙を持ってきてしまったのです。「な、な、何で?あんた私が『持ち物チェック』してる時にこの手紙見て納得してたやん!」もうそれからサルは「静かにせ〜い!」ってあんたが静かにせい、なんですが、気が狂ったようになり(は、ちょっと大げさか)、「とにかく、この手紙でもいいかどうか、行ってみよう」って言うのです・・・あかんと思うけど、もしいいなら儲けもんや。ま、とにかく説明して、聞いてもらおう、ってことになったのです。 ASCの入っているお役所の建物は、かなり大きなものでした。入口でセキュリティーチェックがあり、身分証明を見せて、ASCのある部屋を探しました。その部屋は、思ったより小さな部屋でした。8時を過ぎていたので、大勢の「移民」たちがひしめき合っているのかと思ったら、中はすっからかん・・・ちょっと気が抜けました。とりあえず、二人ともトイレに行きたかったので、用を済ませて部屋に戻ってきました。窓口のおねーさんが、「何かご用?」というので、まず間違った手紙を持ってきてしまったことを説明しました。すると、「ちょっと聞いてみます」ってことで、待っていました。すると「やっぱり、アポの手紙が要ります。スキャンしないといけないんです(そう言えば、バーコードのようなものが手紙にあった)。それ持って、また今日もどってきてもいいですし」とのこと。で、サルが、「予約を取り直さなくてもいいんですか?」って訊ねると、「そんなのいらないですよ。毎週水曜日の朝8時から3時までに来てください」とのこと。じゃ、来週来るか、ってことになったのです。
さて、それからが、当サイト管理人の怒り爆発!サルが責任転嫁をしてくるので「私は、何日も前から例の手紙と、ここへ来るまでの地図を重ねておいてあった!ところが、私は電話なんかせんでいい、って言ってるのにあんたがあの手紙を仕事場に持って行ったんやん!当然それは私に返さなあかんもんやのに、今朝の時点であんたが手紙を読んでたら、それやと思うやろ!まず謝れ!!!!」です。「僕は、やることがいっぱいあるねん!」って言うんですが、「何言うてるねん!だいたい電話せんでええもんを時間かけて電話して、自分で自分がしなあかんこと増やしてるんとちゃうんか!」って言ってやりました。これには納得してました。結局我々、政府の建物に2時間かけて出かけて、トイレ使っただけです。
「来週は、こんな時間に来ないからな!」と、サルが言うので、当然や、ってことになりました。「じゃ、何で、『毎週水曜日の8時から3時までに来てください』って書いとかへんねん。何でわざわざ『予約』とか言うねん!」とサルが言うので、当サイト管理人は、「この手紙は移民局から来てるもので、全国共通のものやねん。移民の人口が多い州もあれば、ここクリーブランドみたいに私らだけ(実際待っている人が2組ほどいましたが)っていうところもあるねん。しかも、『いつでもどうぞ』って言えば、人はだいたい怠け者やから『お昼くらいに行こか』ってなって、ASCはその時間混むやん。それにどの日でもよかったら、忘れてしまうこともあるし。うまく時間配分するために、こういう処置をしてるんとおもうで。ま、さっきの事務所やったらいつ行ってもあんな状態なの知ってるから『いつ来てもいい』っていうんちゃう?」と。移民局って、よく混んでるというではないですか。でもだいたい、オハイオに移民したい人なんてそうそういないと思います。カリフォルニアに比べたら、何千分の一じゃないですか?
帰宅して、例のアポの手紙を探しました。すると、リビングのテーブルの上に、何か他の郵便物の一番下になっていました・・・完全にサルの責任。「信用した私があほで、自分の夫があほやということに気付かんかった私があほや」ということになりました。
多分、一人で行くことになってたら、こんなことにはならなかったと思います。皆さんも、持ち物チェックは、ご自分でなさってください。
◆「条件付」を解除のためにASCへ向かう(その2)◆
2006年11月29日、ようやく条件解除のために再びASCへ行くことができました。午前中に用事があったため、それを済ましてからサルとサルの会社で待ち合わせをして、クリーブランドに向かいました。到着したのが12時過ぎ。今回は前回と違ってたくさんの人が既に待っていました。ビル近くのメーターパーキングに2時間分のお金を入れておいてよかったです。
さて、まずは申し込み用紙に必要事項を記入し、窓口で今持っているグリーンカードと一緒に提出します。すると受付の人が用紙をチェックして、番号札と一緒に返してくれます。後は順番が来るまで待つだけです。当サイト管理人の番号は「57番」で、その時呼ばれている番号が29番くらいでした。どれくらいかかるのかわかりませんでしたが、サルとごちゃごちゃ喋ったり、雑誌を読んで過ごしました。 ようやく50番台の人が呼ばれるようになったころが、ちょうどメーターが切れるころ。そこでサルは先に建物を出て、車で待ってくれることになりました。別にサルは運転手以外必要ないですから。サルはあと3〜4人で当サイト管理人の番、って言う時に出て行きました。
さて、自分の番が来ました。ここで指紋を取るのですが、これをやってる人もどうやら外国人らしく、番号を呼んでいるときもちょっと聞き取りにくい発音だったんですが、喋ってるのもなんかもそもそしててよくわからなかったんです。でも別に複雑なことやっているわけではないので、別に聞き返すこともなくすみました。このおじさんがまず書類に何か書き込み、「はい、こっち来て」といわれて、いきなり右手の人差し指を握られ、指紋を取りました。その後は「そこに立って、写真撮るから」と言われたんですが、カメラらしきものがないので、「ど、どこ?ここ?」って言ってると、さっき指紋を取った機械の画面に自分の顔が写っているではないですか。まさに日本の「運転免許」の写真を撮るみたいにすばやく顔の角度を決めて、ぱちり。なんとこの間1分です。ちょっと待ってください!聞いていた話は全指の指紋をとる、だったのに、1本だけでした。だから時間がかかってるんだ、って思ってたのに当サイト管理人にかかった時間は1分。待ち始めてから30人待ったとしましょう。一人2分かかっても1時間です。なぜ2時間も待たされるの!!でもまぁ、中には英語のわからない「移民」もいるだろうし、このおじさんの英語がわからなかった人もいるだろうから、時間がかかったのかもしれません。最後にちょっとしたアンケートみたいなのを書かされて終わりです。あっけなく終わりました。後は再びカードが送られてくるのを待つだけとなりました。本当に最初に行ったときに済ましておけばよかったな、って思います。今回はドライブが1時間弱で済みましたが。
◆新しいグリーンカードがようやく届きました◆
2007年4月30日、去年の11月から待ちに待ったグリーンカードが、本日届けられました。番号や生年月日、もちろん名前の間違いないことを確認。カードは10年間有効のようです。なんだかいきなり撮られた写真も、結構かわいく(?)写っていて、とても今の年齢には見えません・・・や〜お見事。前のカードの写真よりずっと、ずっといいです(まえのは、撮ってくれた写真屋のおにーちゃんがむちゃくちゃ下手で、なぜか下から撮ってて、視線もぜんぜん前を向いてない写真です)。てなわけです。このコーナーも、これでほんとにあと10年間おやすみ、ってことです。完結しました。
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日常生活その1
日常生活その2
アメリカの大学・大学院
税金(F-1ビザでプラクティカルトレーニングをする場合)
ビザ・グリーンカード
これがアメリカ人!
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