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日記71 4月8日 「過酷な環境下で草花は」
日本は桜前線が東北地方を通過しつつあるそうですね。なんとうらやましい。こちら、Ohio「北東」地方は、またまた冬がやってきました!もういやになります。2週間前は、夏の日差しのように暑く、気温も20度を超えてました。このまま暖かくなるのかと思いきや、そこはOhioの天候、そう簡単に春になってはくれません。もともとOhioは春と秋が短く、夏暑く冬寒い州です。ただこの冬のように豪雪になることは珍しく、今年くらい春が待ち遠しいことはありません。先週の土曜日から「夏時間」が始まりましたが、こんなに寒くて夏時間、って、何かカンが狂います。
とはいえ、庭には色々な花の芽が出てきています。チューリップやスイセンはもうつぼみが付いてます。しかし、いくら涼しいのが好きな花でも、これだけ寒暖の差があれば、びっくりしている事でしょう。一日で摂氏15度くらいの差があったときもあり、この激しい寒暖の差で、風邪をひいてる人も多いようです。(写真1・写真2)
先週買ってきたパンジーの苗も、まだ植えずにポーチに置いたままです。パンジーは寒さに強い花ですが、買ってきた苗はまだ小さく、地植えにするにはちょっとこの寒さは過酷かと思ったのと、私が作業するのに寒すぎるからです。ヒヤシンスも芽が出かかってきてます。あと、枯れ木だったものにも新芽が芽吹いてきました。ねぎみたいなものがシュー、シューと地面から出てきてるのですが、これってムスカリ(紫の小さい房状の小さい花が咲く球根)なのでしょうか?ムスカリは咲いてるのしか見たことがないので、出てくるところを知りません(本当にねぎだったりして…。)
あと、何なのかわからないけど、二葉が出てきてるところがあります。本葉が出てきてるのもあって、それから判断すると、スミレかなぁ、と思ってます。ところがその場所、そんなものが植わってるとは知らず、春の作業前に掘り返したところなんです!だから、見事にグチャグチャに出てきてます。ただ、それだけ掘り返されても必死で地上へ出てこようとしている生命力にびっくりします。もう少し大きくなったら、きれいに植え替えてやるつもりです。
常緑植物のはずなのに枯れているヒノキの種類。これ、どうしましょう?引っこ抜いていいのかなぁ…。なぜか、北側の同じ木は元気なのに、南側のものが枯れてるんです。雪や霜があたって、南側の強い日差しに当たると枯れちゃうのでしょうか?もみの木みたいなのも、東側だけが、茶色く枯れてるんです。
4月は夏から秋にかけて咲く球根を植える時期なんですが、「最後の霜が終わってから」植えること、となっていて、これは当分来そうにありません。なぜなら、いまだに夜は摂氏0度か、それ近くまで下がります。グラジオラスの球根をお友達と分けることにしています。なぜなら、1袋に60個も入っているからです(もっと小さいパックもありますが)。いくらアメリカの庭が広いからとはいえ、60個もグラジオラスを植えたら飽きてきます。で、3人で20個ずつ分けることにしたのですが、この植え付けも、やはり5月に入ってからでないとだめみたいです。
今学期は授業もなく、クリニック一つと卒業研究をやってるだけなので、春を心待ちにする余裕があります。これだけ長かった冬だから、春&夏の到来時には(上記のようにこの二つの季節は同時にやって来る)お祭り気分でしょうねぇ。そうなると、庭の花の植えつけも忙しくなります。あ〜、「春よ来い」の歌の「み〜ちゃん」の気持ちがよくわかります。
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日記72 4月20日 「キリストの受難の日に・・・」
今日はEaster、つまり「復活祭」、キリスト様の復活をお祝いする日です。Easterは毎年日付が不定で、春分の日以降の満月の後の最初の日曜日です。去年は春休み最後の日曜日だったので、3月の終わりでした。Easterには庭に隠してあるカラフルな卵を見つける「Egg hunting」をしますが、これは子供の行事ですねぇ、私はしません。Easterの前の週の金曜日をGood Friday といい、これはキリスト様の受難日、とされています。そのGood Fridayに私はちょっと面白い(?)「受難」にあいました。
金曜日には、例の卒業プロジェクトのための被験者が研究室と会うことになっていたので、学校に行きました。この研究室にいく場合、私は学校の駐車場に停めることができません。この研究室のある建物は「R1」という駐車場に面しており、苦労してとった駐車パス「C」(日記65参照)は週末以外無効です。そこで、いつも「2時間無料駐車場」というところへ停めます。これは、この建物のすぐ前から出ている通りを行くと、片側だけ2時間までなら駐車OKという区域があるのです。そこは普通の民家、というより、すべて学生が住む家が並んでいるのですが、そこへ停めます。でも、2時間以上停めても大丈夫。別にメーターがあるわけでもないし、一日中停めていたって、誰もとがめはしません。で、建物まではちょっと歩かないといけないのですが、研究室でアポがあるときは、ここへ停めています。この道は袋小路になっていて、その駐車場が道を入った方向からは反対側に停めなくてはいけないので、いつもUターンしてとめるのです。
いつも通りその道をいくと、目の前に、何かがあります。私は、死んだ動物だと思ったのです。春は多いですからねぇ。ちょっと大きかったけど、ま、轢かない様に上を越えればいいか、と思ってその「物体」に近づきました。右側の家は「フラタナティ」(男子学生の共同生活の集まり。なぜかグループごとにギリシャ文字の名前がついている)の家で、10人くらいの男子学生がポーチに出てきているのも同時に見えました。車がその物体に近づいてやっとそれが何か気付きました。体長1メートルほどもある「イグアナ」です。毛皮がめくれあがっているのだろう、とおもった物はイグアナ独特の襟巻きでした。でも、私は止まる余裕もなく、そのまま上を通過してしまいました。別に、怖いとも思わなかったので。男子学生たちは歓声を上げてましたねぇ。その後車を停めて、その現場を通って研究室へ向かうのですが、私の後から来た、女の子二人乗りの車が立ち往生してます。キャーキャー叫んでます。男子学生達ははやし立て、何とその一人はビデオを撮ってるではないですか!(私も撮られたな…)私は彼らに、「あれって、本物?」ってききました。すると一人が、「本物。それに、生きてるよ」ですと…。あら、私、ずいぶんかわいそうなことを躊躇せずやってしまいました。そのイグアナは、道のど真ん中においてあり、左側は別の車が止まってます。そして、右側は、車がイグアナを避けて通れないように、大きなごみ箱がわざと置いてありました。その女の子たちはUターンして、別の道へ行こうとしてましたが、その道へ入りたかったということは、その通りのどこかに住んでるんじゃないのかなぁ…。別のRV車なんか、わざとなのか、何度もそのイグアナの上を通って見せてました。女の子たちは、結局そこを通過できなかったみたいです。
実験が終わって、車のほうへ戻るときはもう彼らもイグアナもいませんでしたが、何とも悪趣味な遊びです。あのイグアナ、全然動かなかったです。あの日はちょっと涼しかったから、動きが鈍くなっていたのでしょうか。かわいそうなイグアナ…あれ?もしかして、あれはイグアナの受難だったのでしょうか?とんだGood Fridayでした。
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日記73 4月21日 「就職面接」
実は、まだ正式にお話してませんでしたが、私この学期でKent State Universityを卒業するのです。「卒業研究」をしてる話をしましたから、おわかりだとろうと思うのですが。で、もちろん職探しもしてまして、何と本日、初めての面接があったのです。
スピーチパソロジストの情報誌みたいなのがあって、それを毎週購読しているのですが(読んでるのは求人欄のみ)、そこにあった求人広告を見て、メールをしてみました。私が探しているポジションのことは書かれてなかったのですが、いちかばちかあたってみようと思ったのです。Ohioで学校を主体にスピーチパソロジ−の他、色々な教育のサービスしている会社で、Akronでも探している、と書いてあったからです。メールの返事がすぐに来て、「(私の職探しについて)何かできると思うので、電話連絡してください」とのこと。電話で話して、「スピーチパソロジ−エイド(スピーチパソロジストのサポートをする仕事)をこれからどんどん雇おうと思っていたところ」という、すごくラッキーな返答を聞き、今日面接することになったのです。
ところで、私は週に一回、スーパーバイザーの一人のご好意で、英語のレッスンを受けています。といっても、どちらかがミーティングをキャンセルして、てなことが相次ぎ、なかなか毎週というわけにはいきませんが、そこで面接の練習をしてもらっていたのです。彼女は自分でもビジネスでスピーチパソロジ−のクリニックを持っているので、何人もの人をインタビューしているため、「先生」としては適任の人です。どういう質問がされるかあらかじめ予想して、それに対してどう答えるか、今日の午前中も含め何度か練習しました。私はそれをまとめて、覚えて、今日の午後面接に向かったわけです。「あんまりしゃべりすぎたらだめ。尋ねられたことに対してだけ答えなさい」というのが最終のアドバイス。
さて、学校からこのオフィスのある道は結構大きな道路です。あるところで左に曲がらなければいけなかったので、そればかり気にしていました。あるとき、私の前に2台の車が走っていることに気付きました。ただなんとなく、「あ〜、私の前を走ってるなぁ」くらいに思ってました。ところが、私の2台前の車のタイヤが突然車から離れて、反対車線に転がっていくではないですか!びっくりしたのなんのって、びびりまくりです!そのRV車(またRV車…)の左後輪が、バン、バン、とバウンドして反対車線に転がっていくのです。幸い、本当に不思議なくらい、そのとき偶然反対車線には1台も車が走っておらず、大きな事故にはつながりませんでした。その車も、右側にあったガスステーションか、ファーストフードの店に3本タイヤで入っていきました。もう少しで、私まで事故に巻き込まれるところでした。
そんな不幸中の幸いを目の当たりにして、ようやく目的地に到着。オフィスに入って、名前を告げると申しこみ用紙に記入するように言われました。それに10分ぐらいかかったのと、面接の人もなかなか現れなかったので、時間通りに到着したにもかかわらず、面接は10分以上遅れて始まりました。自分のノートも開いて、こちらからの質問も準備ばんたん、練習通りにがんばるぞ〜、と思っていたのですが、もちろん、予定通りの面接なんてあるわけないです。その人は私の履歴書を読みながら、簡単な質問をするぐらい。ただ、卒業するのにどうしてエイドの仕事を探しているのか、というところで、練習通りの理由を述べ、なるほどねぇ…となりました。エイドの仕事がいま結構必要で、人を探してる、とのことでした。いつから働けるか、という質問に対しては、「来月卒業するので、その後ならいつでも結構です」と答えると、夏休みに子供達に算数や読み書きを教えるチュータリングの仕事があって、私の家の近くでもあるので、どうか、という話になりました。時給15ドルというのも魅力的。アルバイト的な仕事にしては結構いいと思いました。私は興味があったので、やってみたいというと、これにも登録(されたと思います。正式ではないですが)。で、肝心のエイド担当の人が今週は休みを取っていて、改めて連絡しますとのこと。ほんの10分程度の面接でした。
結局練習して行ったことは何も聞かれず、「こんなんでいいのかなぁ」という感じでした。なんか調子抜け…。話の内容からすると、どこの学校で働くかはまだ決まってないですが、この会社には雇ってもらえそうな気がしました。わかりませんがね。だって、「人選」というより「人集め」の面接みたいな気がしました。これで、来週よい返事が来ればいいんですが…。
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日記74 4月28日 「卒業式の衣装を購入」
今日学校のbookstoreで、卒業式に着るガウンと帽子を購入しました。売り場が特別に設けられていて、そこに試着用のガウンが掛けてありました。私は身長が5フィート3インチ(160cm)くらいなので、「5'01"~5'03" Master」と書かれたガウンを試着してみて良さそうだったので、カウンターのおじさんに「このサイズの下さい」って言ったら、「これは星1がついてるやつ。あんたは必要ないよ。星1って横に大きいんだよ」とぼそぼそ言われました。それは知らなかった…。サイズのところに「*1」が付いていました。で、「星なし」を選び、これならぴったりということで、同じサイズのガウンを受け取り、帽子を受け取りました。(写真3)
ところで、修士号(Mater)の学位以上はフード(hood)というものを着用します。フードですが、頭には被りません。これはなぜそうするのかよく知らないんですが、去年ルビーちゃんは首から背中にかけてたらしてましたねぇ。フードは大学別、学部別、学位別に色分けされています。私もどこのschool(学部)か尋ねられました。次にタースル(tassel)と言って帽子からたらす房を渡されましたが、学士用はschoolによって色が違うようなのですが、修士は黒だけだそうです。
家に帰り、どんなものか着てみることにしました。Masterのガウンはそでのところが、なぜか着物の袖のように出っ張ってて、変な形をしてます(学士のは普通の袖)。ガウンは普通に着ればよいのですが、さてこのフードです。どこからどう被ってどうたらすのか、皆目見当が付きません。説明書も入ってたのですが、読んでもよくわかりません。で、ちょうどそこにいたBFにどうやって着るのきいてみました。ガウンとフードを見たBFは「君は魔女か!」といいました。確かにハリーポッターみたいです。フードは先がなが−く、とんがってるのです。彼も、あっちに向けたりこっちに向けたりした挙句、最後には皮肉っぽく、「トシエ、僕はねぇ、bachelor(学士号)しか持ってないんだから、こんなの知らないよぉ…」と言われました。「あ、そう…。すんまへんでしたなぁ。」と言って自分で解決することにしました。(写真4・写真5)
なんとか、「こうかな?」という見当がついたので、クローゼットにしまいました。帽子は…結構「間抜け」な感じがします。前髪を全開しないと被りにくいし、見た目も変なのですが、そうすると眉毛も全開で、なんかちょっといやです。しかし、これを着て来週はいよいよ卒業式です!
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日記75 5月2日 「素敵なプレゼント」
昨日の午後、とても素敵なことがありました。玄関のチャイムが鳴るので出ると、郵便やさんが郵便物と一緒に小さな包みを持って立っていました。「あれ?日本から何か送ってくれたのかな?」と思ったのですが、違ってました。それは、去年まで一緒に暮らしていた、今はカリフォルニアに住む台湾出身のルビーちゃんからでした。「なんだなんだ〜?」とあけてみると、包みの中は「Goldfish」という名前のクラッカーの包み。「え〜、ルビーちゃん、Goldfish私にくれた〜ん?」ってマジに思ってしまいました。そのころから、これはもしかして、卒業祝いでは、と思い始めていたので、ちょっぴりショックでした。しかしそれは包みだけで、中から、また箱が出てきました。箱には「Anne Klein II」の文字。アクセサリーか?と思ったのですが、開けてびっくり、なんととてもきれいな腕時計なのです!もう感激!そのセンスのよさと、卒業祝いをくれた気持ちにとても感激!同封のカードを読んで、またまた感激、思わずうるうる…。早速腕にはめてみました。「う〜ん、ええや〜ん」その日はまだ腕時計をしていなかったので、洗面所に置いてあった今までしていた腕時計を見に行きました。何となく、見に行ったんですね。すると、その腕時計、その前の晩の10時半で止まってるのです!なんという偶然…。実は数日前に止まっていたのですが、時間を合わせるとなんとか動き出したのです。でも、電池の替え時かなぁ、と思っていたところでした。何というよいタイミングでしょう。ルビーちゃん見てたみたいにグッドタイミングのプレゼントです。
その晩、電話をしたのですが留守で、メッセージを残しました。(写真6)
さて、去年、私はルビーちゃんに何をあげたのかさっぱり覚えていません。卒業ガウンを着たKentのシンボル黒リスのぬいぐるみをあげて、喜んでもらったのは覚えてるのですが、もう一つあげたはずなんですが、それはなんでしたっけ?何か、「紫」色のものだったと思うんですが…。彼女紫が好きだから。腕時計のような、気の効いたものではなかったと思います。あ〜、ルビーちゃん、本当にいい友達です。
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日記76 5月4日 「日本人の友達と楽しいひと時」
昨日、「やっとできた日本人のお友達」のお宅をお邪魔して、ディナーをご馳走になりました。知り合ったきっかけは、例の私の「ちっちゃい「つ」プロジェクト」からです。最初にご主人の方からメールをいただき、夫婦お二人でプロジェクトに参加してくださいました。奥さまは、Kentに通う学生さんです。その奥さまから、またまた別の方を紹介していただいたりで、本当にお世話になったのです。で、お世話になったお礼に、「グラジオラス」の球根を60個も買ったので、お分けすることにしたのです。で、庭のこともよくわからない、おっしゃるので、私でよければ「素人ガーデンアドバイザー」をすることになりました。話は結構前から決まっていて、そんじゃぁ卒業式にも参加してもらえませんか、ってことになってました。ところが、お二人ともうちのBFとは面識がないし、当日なんか3人で気まずい雰囲気でもできたらやだなぁ、と人一倍気を使う私の性格から(?)ちょっとなやんでました。すると、奥さまから、「天気が悪くて(庭が見れなくても)も夕飯だけうちへ食べに来ませんか?」とお誘いをいただきました。それで、BFと二人で訪問したというわけです。
お二人のお名前はMaxさん(日本人です)と佳世さん。MaxさんはBFと同じ会社に勤めてますが、まだ一度も二人は会った事がありませんでした。同じ会社と言っても、大きい会社だし、部署が全く違うので当たり前のことなんですが。BFと二人でお宅に到着してびっくり、すっごくすてきな、大きなお家…。中に通されてから、お家の中を案内してもらったのですが、置いてある物や家具も素敵で、「い〜なぁ…」の連発。お二人は以前にドイツにも滞在経験があるので、なんかセンスのよさが「ヨーロピア〜ン」でした。裏庭なんかすっごく広くて、しかも下り坂(あんまり上り坂の裏庭は見たことないですが)、「芝刈りが大変」とおっしゃってました。
お二人はもちろん英語を話しますので、会話は全て英語。通訳しなくていいので、楽ちんでした。MaxさんとBFも、二人ともエンジニアということもあって、話、合ってたみたいです。さて、リビングルームで色々話した後、食事です。初めは外でバーベキューと聞いていたのですが、急遽メニューは変更されたようです。トマトの冷性パスタにヴィシソワーズ(ジャガイモの冷たいスープ)それと、「とんかつ」でした。しかも「ひれカツ」。実は、私たち、前の晩が「カツカレー」(アメリカで始めて作った)でその日のお昼がその残りのカツで作った「カツどん」でした。だからなんかおかしくって、偶然が重なるときは重なるもんだ、と思いました。でも私はとんかつが大好きなんです。だから、3食続いたっておいしくいただきました。日本にBFと行ったとき、とんかつがなかなか理解できなかったBFも、これでとんかつがいったいどんなものであるか、どれだけ日本人がとんかつが好きか、わかったでしょう。
ご飯もいっぱいいただいて、ワインもたらふく飲んで、いっぱいしゃべって、夜の11時から始まった「Spider-Man」まで見て、お宅を失礼したのは夜中1時を回ってました。あ〜、本当に楽しいひとときでした。これからももっと日本人の友達つ〜くろ、っと。
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日記77 5月10日 「卒業式」
パンパカパ〜ン!とうとう卒業しました。長かったような、でも今思うとあっという間だった様な約3年間でしたが、本日卒業式を迎えることになりました。
明け方大嵐があり天気が危ぶまれたのですが、午後からは快晴、とまではいきませんでしたが、何とか雨は降らず、まあまあの卒業式日和となりました。スピーチパソロジーは「College of Fine & Professional Arts」(美術と専門技術)に含まれ、去年の卒業式は午前中に行なわれたのですが、今年は他のコミュニケーションとテクノロジーの学部と共に午後の部でした。午後2時半から始まる式のために、私は1時半からのチェックインを済ませることになっていました。式には、先日ご紹介したMaxさんと佳世さんが出席してくださいました。シャンペーンのお祝いまでいただき、恐縮です。家を12時ごろに出て、先ずお二人を迎えに行き、そして学校に向かったのです。会場に到着して写真を撮ったりしゃべったりしているうちにチェックインの時間になったので、BFとお二人には「まったね〜」と言って別れました。チェックインしてから式が終わるまで、卒業生とゲストは会うことができません。
チェックインすると、前もってこちらから返送していた「カード」が手渡されます。これには自分の名前や他の情報が書いてあるのですが、当日重要なのはこの名前のみです。なぜなら、卒業証書は一人づつ名前が読み上げられ授与されますが、名前をアナウンスする人は、そのカードを卒業生から渡されて名前を読み上げるからです。これについてはのちほどお話ししましょう。
待機場所に行くとクラスメイトが二人いて、その後続々到着。と言っても、スピーチパソロジ−から卒業式に出たのは10人ほどでしたが。その待機場所が、エアコンも効いてない蒸し暑い場所で、みんな持っていた例のカードをうちわ代わりにあおいで、会場への入場までを待ちました。そうこうしていうるうちに入場の時間となりました。持っている番号順に並ぶのですが、まだ何人か私の前後に抜けてるんですねぇ。でも、廊下を歩いているうちに到着した人なんかもいて、かなりアメリカ的です。日本だと、結構大騒ぎだと思うんですが…。会場に近づくとさすがに緊張と言うか、「あ〜、やっと卒業するんだなぁ」と言う実感がわいてきて、これまでの3年間の思い出が「走馬灯」のように浮か…ばなかったです。なんせ、走馬灯にも書ききれないほどの量の楽しいことも辛苦(特にこっち)も味わってきましたからねぇ〜。
会場にはまず教授陣(全員ではないです)が入り、その後博士号候補者(今学期は二人でした)、修士号、学士号候補者と続きます。卒業証書授与式は、国歌の斉唱に始まり、後は日本と同じで偉い人のスピーチがいくつかあります。その後最高学位、つまり博士号から順に卒業証書の授与となります。卒業生はいったん会場を廊下側に出て、再び会場に入り、壇上で一人づつ名前が呼ばれ、卒業証書「もどき」を授与されます。なぜ「もどき」かというと、実際の卒業証書は後日郵送されるので(4〜6週間かかるらしい)、本日もらったのは外側だけそれっぽい「おめでとう!」と書かれたお手紙が入ってる台紙をもらうだけなんです。会場に入るすぐ手前で一人ずつ写真撮影があり、一瞬のうちに笑顔を作って、会場に入ります(そういう個人の写真や運転免許の写真で笑顔を一瞬のうちに作ってしまうのは、ここの生活でもう慣れてしまいました)。卒業生は壇上の左右から入り、名前が交互に読み上げられます。壇に上がったら名前をアナウンスする人に、例のカードを渡して、壇の中央にいる別の人から証書を受け取ります。さて、ここで一つの難関があります。私の名前は「Toshie Onoe」なのですが、これはアメリカ人には正確には読めない名前です。「ローマ字」って世界共通だと思ってませんか?私もこのスピーチパソロージーに入るまでそう思ってました。自分の名前が正しく発音されないのは前から知ってましたけど。私の名前はこちらが説明しなければ「トシーオノー」と発音されます。「ie」は「イー」と発音されますし、「oe」は「オウ」と発音されるからです。だから私はこの国では「トシー」と呼ばれ、自己紹介のときも「トシエ」というより覚えてもらいやすいので、そうしています。「オノー」は「オノヨーコ」さんが有名だから、と言うのもあるかもしれません。で、その名前のカードには、自分の名前をどう発音するか、というのを書く欄があり、私は「Toshi-eh, Ono-eh(「ehは「エー」と発音する綴り」)、カナダ人が言うみたいに」と書きました。カナダ人は、2文章に一回くらいの割合で、語尾に「eh~?」を付けます(「〜,right?」みたいなもの)。これは有名なのでそう書きましたが、もちろんそのアナウンスの人にも直接「オノエ〜トシエ〜です」と言いました。彼は「オノイェートシエ」とかなり近い発音で私の名前を読み上げてくれました。満足です。去年、ルームメイトだったルビーちゃんは、わけのわからない名前で呼ばれてましたっけ…。(写真7)
自分の番が済むと後は学士の人が終わるのを待ちます。人数も多いし、ちょっと退屈でした(bachelorの人たちゴメンナサイ)。学士候補の学生は、証書の授与の前に会場で、帽子からたれてる房(tassel)を右から左にひっくり返します。これは学士だけがするもので、修士はこの「儀式」を以前にしている、ということで、房は最初から左にたらしています。なぜそうするのか、知りません。映画で見るような、帽子を空高く投げる、なんて言うのもやりません。あれは、屋外のときだけじゃないかなぁ…それとも高校の卒業式か。佳世さんは、それが見れると思ってたみたいです。
最後に「学校歌」(Alma Materと呼ばれる)を歌いますが、国歌は歌えても、これは楽譜を見ながらまねして歌いました。学長が、「会場にいる家族や、友達を探してみなさい」って言いましたが、私は結局BFとMaxさん、佳世さんを見つけることができませんでした。後できくと、私の座席のあった側に3人も座っていたらしいのですが、手を振ったけど私は気付いてなかったみたい、と言ってました。残念。
式は予定通り1時間半ほどで終わり、その後4人で食事に出かけ、卒業の日を無事に終えました。あ〜、これで宿題もプロジェクトもテストもない生活を迎えることができます。ほ〜、としてます。(写真8)
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日記78(最終回) 5月18日 「友達の結婚式」
今日は最終回、ちょっと長めです。
昨日、アメリカ人の友人の結婚式がありました。彼女とは学生寮に住んでいるときに知り合いました。彼女は日本で英語を教えていたことがあり、バスルームで私が日本製の練り歯磨きを使っているときに、「日本から?」(Are
you from Japan?)って聞かれたことがきっかけで仲良くなりました。例の、コロンバスに住む友人です(日記32参照)。この結婚式が私にとって、初めてアメリカで参加する結婚式です。私とBFは光栄にも招待されました。
結婚式はレキシントンという町の教会で行なわれました。私の家からは一時間半以上かかるところです。式が2時からの予定だったので、家を11時半過ぎに出ました。到着すると、まだリハーサルの最中(新郎側のみ)でした。ちょっと到着が早過ぎたようです。何をしたらいいのかね〜、と二人できょろきょろしていると、年配の女性が、「トシエ!」と声をかけてくるではないですか。彼女とは面識が無いなと思い、私の名前を正しく発音するこの女性はいったい誰だろう、と思いました。すると、「覚えてる?Chrissyの母親よ」と言うではないですか。でも、私は会った覚えがありません。「私は何度かあなたを見てるの。学校が始まってすぐのころね」う〜ん、知らんぞ〜…。と思いつつも握手をして、挨拶しました。後でBFが、「あーいう時はねぇ、会ったことなくても向こうが知ってたら、知ってる振りをするもんやねん」といいます。でも、ちょっとそれは無理あり過ぎです。
さて、ゲストが続々と到着し、式開始の時間となりました。音楽と同時に先ずはRing bearerと呼ばれる指輪を座布団(クッション?)みたいなのに置いて持っておく男の子に続きGroomsman(花婿の付き添い男性の一人)、Best man(花婿の付き添い男性のトップの人)、そして花婿が入場します。彼らは教会堂の袖から入場しました。次にFlower girlsと呼ばれる数人の女の子がバラの花びらを振りまきながら祭壇の方へ近づきます。花嫁側の付き添いはMaid of honorと呼ばれる花嫁付き添いトップの未婚の女性と、Bridesmaidというその他の付き添い女性が正面から入場します。このGroomsmanとBridesmaidは普通複数の場合が多いのですが、彼女たちの場合は一人ずつでした。その他にもJr. Bridesmaidsっていうかわいい女の子たちもいましたねぇ。実はこのRing bearer、Jr. BridesmaidsやFlower girls、全員花婿側のいとこ達なのです。聖書の一部を読んだ女性もいれて、全部で10人です。こういう時いとこや兄弟が多いといいですね。
牧師さんの説教が割りと多い式で、Ring bearerの坊やは少し退屈そうでした。牧師さんが説教をしている間、私の友人はうんうん、とうなずいたり、花婿のほうを見て微笑んだり、よく頭の動く子です。緊張感みたいなものは全く彼女には見られませんでした。幸せで仕方がなかったのでしょう。途中3曲賛美歌を歌いました。椅子の背もたれに常備してある賛美歌の本の、指示された番号のところを開いて歌うのですが、どれも知らない曲ばかりで、歌詞と楽譜と両方を目で追うのは大変でした。みんなで一緒にお祈りの言葉を唱えるのも、仏教徒の私がしてもいいのかなぁ、と思いつつも、書かれている文句を読みました。誓いの言葉と指輪の交換では(やっとRing
bearerの坊や出番)お互いが牧師さんの言葉の後に続けて言うのですが、彼女、いつもどおり声が大きかったです。よく響く声で、マイクなしでOKでした。その後、色々と宗教的な儀式があり、最後にウェディングマーチが流れて終わりです。(写真9)
ゲストはしばらく外で新郎新婦を待ちます。教会を出る前に渡されたのが、「シャボン玉」のボトル。BFが前に言ってましたが、以前は生米を新郎新婦に掛けるのが慣わしだったのですが、最近は玄関口が汚れるという理由で、シャボン玉を吹いて二人を待ちうけるのです。日本だと、すぐにハトやスズメが来て生米を食べるのにねぇ。やっぱりアメリカの鳥はお米の味を知らないのでしょう。二人が登場し、写真撮影があり、その後二人は車に乗って去りました。おおっき車だったなぁ、新しいの買ったのかなぁ…。その車には白いリボンが掛けてあり、リアガラスに「Just Married」って書いてましたが、よく映画にある空き缶ガラガラは無かったです。ま、あんなの付けて公道は走れないですからね。
レセプションは近くのホテルで6時半からの開始でした。このときに新郎新婦への贈り物を持って行くのですが、このプレゼントのシステムがアメリカの合理主義をそのまま地で行くやり方です。結婚するカップルは、あらかじめどこかの百貨店や自分たちのお気に入りの店に、自分たちの欲しい物を登録します。ゲストはその指定された店へ行き(支店ならどこでもOK)、彼等が欲しがっているもののリストを見ます。それを見ながら、自分たちの予算と相談して、プレゼントを購入する、という分けです。このやり方だと、オーブントースターを5台ももらったりすることはないわけです。アメリカの結婚式は、日本のように金銭をプレゼントしません。「太郎&花子」と決して消えることのない二人の名前が刻印された、誰にもあげられない、バザーにも出しにくい引き出物のシステムもないです。このように、ゲストが新郎新婦に彼らが欲しい物をプレゼントするわけです。私達はNoritakeの食器セット1組(彼女達は4組欲しがっていたが、そのうちの1組だけを購入することが可能)と、タオルセットにしました。このプレゼントシステム、早く行かないと高いものばっかり残るし、「変なもの」ばっかり残ってしまいます。「トシエから便座カバーをもらった」て、いつまでも思われるのはいやですからね(ちなみに便座カバーはリストにはありませんでした)。
レセプションはビュッフェタイプで、飲み物のみ放題、ってやつでした。日本だと、新郎新婦って披露宴の最中、あんまり食べたり飲んだりしたらいけないんですよねぇ。この二人、めぇ一杯食べてました。ただ、二人が忙しかったのは、誰かが、二人にキスをして欲しいと思ったら、いつでもグラスをカンカンと鳴らしてよく、その度に二人はキスをしてました。テーブルには二人が作った、自分達の好きな曲を集めたCDが置いてあり、私達へのプレゼントでした。これが、「引き出物」ですね。これはちょっと素敵でした。
日本の披露宴のように、長ったらしいスピーチもなく、「てんとう虫のサンバ」の合唱もなく(今時日本でもないですか?)、ケーキも本物(二人が切った後、ゲストに配られる)、ただ好き勝手に食べて飲んでしゃべってのレセプションです。新郎新婦も各テーブルにまわっておしゃべりを楽しんでました。ですがこの後、レセプションのメインイベント「花嫁のブーケ投げ」があったのです。DJの人が「独身の女性、真中へ集まってください」と言いましたが、私はあまり気が進まなかったんです。初めてだったし、テレビなんかで見てると、独身女性のブーケ取り合いの壮絶な争いなんかがあり、「え〜、行ったほうがええのぉ〜?」といやいや参加しました。「独身女性」ですから、先ほど紹介の小学生の女の子達ももちろん最前列で参加です。この子たちには負けられへんな、と思いつつ、一応大人の女性の前列に立ちました。花嫁は後ろ向けにブーケを投げます。ご存知の方も多いと思いますが、このブーケを手にした女性は、次の花嫁になれる、という言い伝えがあります。ま〜ねぇ、言い伝えですからねぇ、と思いつつ立ってました。彼女がブーケを投げました。ブーケは私の正面からやや右側へ飛んでいきました。私は反射的に右手をグーと伸ばし、バシッとそのブーケをキャッチしてしまいました!なんということ…この私が始めての結婚式参加で、始めてのブーケ投げ参加で、花嫁のブーケを手にしてしまったのです!多分あれは、私の右後ろの人へ行くはずのものだったでしょう。ところが私がそれを阻止してしまいました。まるでイチロー選手がホームランになりかけの打球をフェンス直前でバシッとキャッチして外野フライにしてしまった、みたいな、そんな比喩が当てはまるでしょうか(ちょっと違う?)?日ごろの運動神経が物言いましたねぇ。ちなみに、私が生まれて始めてやったスポーツはキャッチボールおよび野球です。とにかく信じられなくて、しばらく手が震えてました。花嫁である私の友人もすごく喜んでくれて、二人で抱きあって喜びました。わざと投げてくれたわけじゃないでしょう…。ま、年齢から言っても、他の方たちより私が先でないと「そろそろ」困ります。席に戻ると、BFの固まった顔…。でも、後で言ってました、「君が取るような気がした」と。どう言うこっちゃ?
その後ダンスの時間になり、スローテンポやポルカ、チキンダンスなんかもあり、盛り上がりました。私達は10時ころにおいとますることにしました。二人に別れを告げ、また夏に遊ぼうねぇと約束をして帰路につきました。(写真10)
私は日本の結婚披露宴って、絶対やりたくない派、なんです。やっぱりアメリカの生活が私には合ってるみたいです。このまましばらくアメリカにいることになりそうですが(このブーケとともにそうあって欲しい)、この日記は今回で終わりです。長くご愛読下さった方、励ましや質問などのメールを送って下さった方、ありがとうございました。
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