折々の記

2012年1月2日 人はそんなに強いものではない

 大阪市職員の大量の早期退職希望を報じる新聞記事が目に付いた。橋下新市長に言わせれば、「そんなやる気のない職員はやめてもらった方が大阪市民のためにいいことだ」くらいの、にべもない返事が返ってきそうな気がする。府知事時代に複数の幹部職員の自殺があったことも聞こえている。個人のひ弱さを攻撃する自己責任論の展開とても言えばよいだろうか。
 しかし私のような気の弱い人間からすれば、人はみんな弱いものを抱えて生きている、それが人というものの営みではないだろうか、と思ってしまう。橋下さんも一個人になれば決して強い人ではないのではないか。マスコミを利用しながら選挙戦を勝ち抜き、さらにその威を借りて口角泡を飛ばす勢いで人や組織を切り付け、政治や国家を縦横無尽に論じまくる、まさに日本の将来を俺が握っているといわんばかりの傲慢さを感じさせる。大政党の国会議員からの連携も求められている。
 ハシモトトオルという幻影がモンスター化したものが強さを振りまきながら闊歩している。あるいは、橋下さん自身もその幻影に振り回されているのかもしれない。

12月5日 大阪市長・府知事のダブル選終わる

 11月27日投開票の大阪市長選、府知事選のダブル選挙が終わった。特に終わり方は実に「あっけなかった」。それこそ「えっ」と目を瞬いている内に終止符を打たれてしまった感が否めない。読売テレビはなんと締め切り前に「誤って流して」しまったらしい。そのあとは橋下のあの挑発的で居丈高な発言がどのチャンネルを回しても、深夜にまで延々と続いた。またぞろマスコミの側であらかじめ用意されていたシナリオ通りの展開が繰り広げられた感がある。
 私も今回の選挙は特段に重要なものになると周りにも言い続けてきたし、府内の障害者団体を中心に123団体が賛同して作った“共に学び共に生きる教育・日本一の大阪にネットワーク”として橋下と知事3候補に宛てて公開質問状を出し、その回答を公開するなどの取り組みをしてきただけに、何とも気が抜けてしまう「選挙速報」であった。それぞれに選挙に注目し考え続けたり、あるいは候補者の応援活動や、選挙にかかわる運動をしてきた者ほどその感が強いのではなかっただろうか。選挙のオープニングも、そして幕を下ろすのもマスコミがやりますよと言わんばかりの傲慢さを私は感じてしまう。
 ハシモト・トオルとは、マスコミがつくりあげたモンスターだと改めて実感している。(続く)
8月12日 再生エネ法成立へ、しかし

 8月11日「再生可能エネルギー特別措置法案、3党が合意、26日にも成立へ」というニュースが、新聞、テレビを通じて一斉に流れた。それに続けて「(菅首相の辞任3条件が揃うので)民主党内の代表選に向けた調整が本格化」する。「現在名前の上がっているのは・・・・・・」と、予想される候補者の顔写真を並べ、どの候補が有力か、国民的支持があるか、党内基盤の強さ等々を詳細に伝える。
 再生可能エネルギー法は、日本の将来のエネルギー政策を決定的に変えるものである。いわば、脱原発を国として推し進めるための法律が生まれようとしている。にもかかわらず、マスコミ各社はいずれもその法案の詳細には全く触れず、菅首相の辞任と、民主党の代表選の予想を報道するばかりである。本末転倒もはなはだしいマスコミの姿勢に怒りすら覚えてしまう。
 国民の関心は、将来のエネルギー政策の大転換や脱原発ではなく、菅首相の辞任と民主党内のマッチレースと党内紛争の方に向いているとでも思っているのだろうか。いやむしろマスコミの方がそちらへの関心を持ってしまっているのではないだろうか。
 あるいは、再生可能エネルギー法は、あくまでも辞任条件の形式だけであって、法が成立しても中身は形骸化されてしまうものと、高をくくっているのがマスコミ側の本心としてあるのだろうか。ひょっとすると、法の中身について敢えて触れず、辞任劇と代表選に目を逸らさせておいて、新たな内閣の下で脱原発の流れをとどめるための巧妙に仕組まれたマスコミの演出ではないのかとまで考えてしまう。
 それほどに日本のマスコミの現状を危機感を持って私は眺めている。

7月2日 〈いのちの森〉を切り倒したもの
〜大阪府「君が代起立」条例の暴力性

(連載開始)

 6月3日、大阪府議会で「大阪府『君が代』起立条例」を大阪維新の会が過半数の力を背景に、他党の抵抗を押し切ってわずか2日の審議で可決させた。条例案は維新の会府議団の議員提案として提出されたが、事実上は橋下徹大阪府知事の発案によるものであったという。

 その2ヶ月前にさかのぼる。
 4月1日の午後、いきなり電動ノコ(チェーンソー)のけたたましい音が小学校に鳴り響いた。校舎前に大きな枝を張る楠に電動ノコの歯が切り付けられたのだ。職員に何の説明もないままに、全くいきなりの出来事であった。
 職員室前には、50年を越える(創立52年目なので、それ以上の樹齢が想定される) 楠の巨木が2本並んで聳え立っている。大きく枝を張り、葉が生い茂り、太陽の光を浴びて美しい緑の光を照り返している。
 その中には他の植物達が寄宿し、無数の虫達が生きている。子ども達がカラスの巣を発見して、友だちを呼んだり先生にお話しする姿がある。カラスの子育てする様子を見つけて、「あそこ、ほらそこそこ」と手をのばして指し示しながら、友だちと夢中に見つめる目の輝きが生まれている。暑い日差しを避けて、根方に置いたベンチに座り、大きな葉陰に包まれて涼をとる子どもの姿もある。
 その楠は、〈いのち〉の循環が営まれている大木であり、宇宙なのだ。〈いのちの森〉と呼んでもよい。

7月17日更新 つづきA
 この伐採に至る背景がある。大阪府議会は、「国民の国を愛する意識の涵養に資するよう、府の施設をはじめあらゆる官公庁及び学校において、国旗の掲揚が行われるよう強く求める。」との決議を行い(2009年12月125日)、その決議を受けて府教育委員会教育長は府立学校に宛て「常時掲揚を求める通知」を出した。さらに各市教育委員会に通知を出したことを知らせる通知を出したという経緯がある。まさに新年度はじめるに当たり市教委が各学校長に「国旗を毎日掲揚する」よう強く求めたことは想像に難くない。
 
ではなぜそれが伐採につながるのか、楠の後に掲揚ポールがあり、「日の丸」が見えないのだ。「日の丸」を見せるために、その〈いのちの森〉は切り落とされてしまった。これは政治の論理であり、暴力の論理である。教育基本法でも厳に学校に持ち込んではならないとされているものである。校長も教頭も、子ども達一人ひとりの生活実態にも目を配り、子どもの思いを大切にしながら教育活動に取り組む人たちである。その管理職をして、「日の丸」を掲げている証拠を示すために〈いのち〉の循環を切り倒すごとき愚行に走らせてしまうほどに、教育委員会の締め付けと強制が厳しいということにほかならない。ここに「日の丸・君が代」問題の本質がかいま見え、「愛国心」を唱えるものの本音が聞こえてくる。
 激しいエンジン音を上げながら、チェーンソーで大木に切りかかり、次々と枝や幹をも切り落とし、やがてその背後から「日の丸」が立ち現れてくる姿に、日本の軍国主
義がアジアの国々を侵略した歴史と重ね合わせる人たちも少なくないだろう。
 「先生、どうして楠を切ったの?」「カラスの赤ちゃんはどうしたの?」と、子どもが質問するのに、いったい学校はどう答えるのだろうか。こうして見せ付けられる「日の丸」を見て、子どもの心にどんな「愛国心」が生まれるというのだろうか。
 私は「日の丸・君が代」の果たしてきた歴史を学べば学ぶほどに、それを「国旗・国歌」とすることに反対する。しかし、保護者や地域の人たちの中に、賛成する人があってももちろんその人の思想信条の自由として尊重する。人は誰しもがそれぞれのものの見方・考え方を持っている。思想信条の自由は最も大切な権利として憲法で保障されている。ましてや学校とは、様々なものの見方・考え方、価値観が出会い、交流しながら教育が営まれるところである。学校にはいかなる強制もなじまない。
 「先生、ワシは祝日には必ず国旗を揚げて、『君が代』を歌いますねん。そやけど、学校にそれを強制するのはおかしいんちゃうかと思いますわ。」、こんな声と私は連帯したいと考えている。
  いつも思うことなのだけれど、どうして日本という国では「国を愛する」という問題が、暴力と恐怖、政治を背景にして語られるのだろうか。「愛する」とは、暴力や政治の最も対極にある「やさしさ」の実践であるはずなのに。

4月9日
 重度の障害生徒も高校入学


 
2011年度の高校入学試験が終った。今年も府内各地で、障害のある生徒の高校入試の挑戦があった。
 大阪では、「重度」の障害・知的障害があっても支援学校ではなく、友だちといっしょに公立高校へ入学する取り組みが続いている。大阪府が制度化した「知的障害生徒の自立支援コース」「共生推進教室」だけではなく、「普通の高校」に入学する生徒も現れ、その取り組みは増々広がりを見せている。
 今年の入試の特徴は、後期選抜で41校が定員割れを起こしたことだ。理由ははっきりしている、橋下知事の肝いりで決まった、私立高校授業料の無償化によるものである。もちろん家庭環境によって受験をあきらめざるを得ない子どもが出ないように、高校入学を希望する誰もが受験できる機会を保障するために必要なことなのだけれど、導入の仕方が余りに荒っぽくて、中学校現場の進路担当者にも受験生の流れが全く見えない事態が生まれてしまったというのが実態である。
 そもそも橋下知事のねらいは、府内の公立・私立を問わずすべての高校を混ぜこぜにして、改めて1番から「ベベタ」までの高校の順位をつけることだと私は考えている。(いったい最下位の学校とはどこなのだろうか。支援学校?支援学校はその枠内にも入れてもらえないのか??)その順位をめぐって公立も私学も競い合うことが、学校の質を上げることになると橋下知事は考えている。そう考える知事にとってみれば、「定員割れ」は想定内のことであって、それだけ府民から魅力のない学校とのレッテルを貼られたということにしかならないのだ。潰されたくなかったら、付加価値をつけて特色ある学校になるよう切磋琢磨しなさい、その努力と結果が見えれば「がんばる学校に特別加算を行う」と言うわけである。
 能力主義、競争主義、評価主義、成果主義が
教育の内容だけではなく学校運営そのものの根幹に適用されているのだ。
 ところがその一方で、「能力主義・競争主義」の対極にある「共に学び、共に生きる教育」を目指す重度障害・知的障害のある生徒が、定員割れのあった高校に(私の知る範囲では)4名が入学した。入学式を終えて、これから高校生活が始まる。通学に始まって、授業・学習はどうするのか、クラブは、友だちとの付き合いは、単位の取得は・・・、受け入れた高校側にとって身近に生起する一つひとつのことが初めてのことであり、試行錯誤の連続になるかもしれない。しかしその試行錯誤の深さと大きさが高校教育の新たな視界と内容を創造することにつながるのだと期待している。
 むしろ周りの生徒たちの方が、障害のある友人達と付き合ってきた経験を教えてくれるのではないだろうか。専門性に頼るよりも、実際に付き合うこと、周りの生徒達に聞いてみること、そこに後期中等教育の新たな可能性を広げるとばくちがあるのだと私は思っている。

2011年3月20日 東日本大震災発生

 3月11日、パソコン室で4年生の5時限目の授業をしていたとき揺れが来た。子ども達も何か不思議な感覚に互いの顔を見合っているとき、大きな横揺れがあった。すぐにテーブルの下に隠れるよう指示をして、校内放送を待った。避難訓練ではない実際の地震に、泣き出す人も出た。そして運動場に避難。
 16年前の阪神淡路大震災が頭を過ぎり、私のからだに刻み込まれているかのような「あのときの揺れ」が蘇り、今回の揺れとシンクロナイズして、激しく増幅する感覚に襲われた。
 ところが避難場所で指示を出す教頭の第1報の説明では、東北地方に震源を持つ地震だったと言う。大阪の私たちがこれだけの揺れと恐怖を感じたのだから、被災地では途方もない災害が発生したのだと直感した。
 帰宅途中の駅前で受け取った号外から始まって、それ以降テレビ、新聞、ラジオ、インターネットから地震、引き続く津波、火災等々、被災地の惨状が、途切れることなく毎日流されることになった。そして福島原子力発電所の大事故が追い討ちをかけるように報道された。
 
毎日毎時間テレビの画面に映し出される圧倒的な被害状況の映像と向かい合う内に、今の自分の存在感、現実感が希薄になっていく、いわば眩暈のような違和感を感じてしまった。1週間以上経つ今も感じるこの感覚はなんだろうか。
 いったいこれから日本という国の中で、私たちの住む社会の中で、何が変わり、何が起こっていくのだろうか、私は何をしていかねばならないのだろうか、とにかく目をそむけずに、向かい合って行くしかない。何よりもまず考え続けたいと思っている。

11月7日
 郷原信郎さんの指摘をさらに引用する(『検察が危ない』から)

 ・・・特捜部に多数の検事が常時配置され、原則として休日もなく、ほとんどの時間を検察庁内で拘束されて過ごすという勤務形態や、固定化されたストーリー通りの供述調書に署名をさせるための取り調べを上司の命令通りに行うという仕事のやり方は、軍事行動中の軍隊と極めてよく似ている。
 そして、そのような特捜検察と価値観をほとんど共にする司法クラブ中心のメディアが、「従軍記者」としてその戦況を伝えるために、付き従っているというのも、軍隊と同様である。
 このような軍隊的な組織体制、勤務形態の下で、わかりやすく単純化された「贈収賄ストーリ」が捜査の主題として掲げられる。そしてそれを捜査の対象とすることについて上級庁も含めた検察の組織としての意思決定が行われることで、社会、経済、そして政治に重大な影響を与える犯罪の摘発という「社会的機能」を検察システムに適合させてきた。・・・

10月11日 『検察が危ない』 郷原信郎 著 から

 「検察」の問題について積極的に発言、提言を続ける郷原信郎さんの著書『検察が危ない』(KKベストセラーズ)から引用する。まさに炯眼の文章である。
 ・・・レベルの低い検察としての活動や判断が、マスコミの「翼賛報道」によって社会に容認されることで、レベルの低下がさらに進むという悪循環が続いている。まさに、検察の「暴走」と「劣化」の繰り返しである。
 検察の捜査・処分が法的に、あるいは証拠的にいかに問題があるものであっても、検察の組織としての判断で捜査や処分が行われれば、それが契機となって、その対象とされた者に対する政治的・社会的非難が燎原の火のごとく燃え広がる。検察は、そういう意味での「放火犯」のような役割を果たしている。
 しかも異常なことに、このような検察に対する批判はほとんど行われない。それを民主党など与党側議員が行った場合には、「検察の権限行使に対する政治介入」などと、メディアから厳しい非難を受ける。・・・
 このような検察の権限行使をめぐる状況は、戦前の日本における「統帥権干犯」という言葉を彷彿とさせる。
 旧憲法下では軍の統帥権は天皇に属していた。この統帥権はどんどん拡大解釈され、政府が軍の行動に口出しすれば「統帥権干犯」と非難された。これが国内では軍に反対する国民への弾圧につながり、国外では軍が中国への武力行使、侵略を行うことにつながった。
 検事長以上の認証官10人を擁する検察は、国内の行政組織の中で特異な存在であり、まさに戦前の「天皇の官吏」の色彩を今なお残している組織である。
 その検察の権限は、この「統帥権」と同様、何者の介入をも許さない神聖不可侵なもののように扱われている。
※「認証官」とは、任免が天皇により認証される官職のこと。(松森)

8月30日 若松幸二監督『キャタピラー』を観た

 日本人の監督が撮る「戦争」をテーマにした映画を見たとき、いつもその時代の情念や、情動、雰囲気といったもの、或いは思い、願い希望といったものが前面に現れてきて、戦争の構造が表現されていない物足りなさを感じてきた。例えば、中国や韓国などアジアの映画では、戦争を扱ったものでなくても、日常の一こまを映すワンシーンの中に、戦争や歴史が映し出される場合がある。
 私達日本人の暮らしの中に、日常的に歴史を意識することや、歴史を背負って生きるといった流儀がないことがその原因なのだろうと思う。国家・政府が、戦争責任を認めて、率直に謝罪することを頑なに拒否し続け、戦争の原因究明を怠り、避けてきたように、戦後65年間をかけて歴史に対して無関心でいる国民でいるようにさせられてきたのでもあると思う。
 戦争、国家、社会、歴史の構造を見事に表現した映画として、私には何本か忘れられないものがある。ギリシャの独裁政権を扱った、テオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』(日本上映1979)、プラハの春を題材にした、フィリップ・カウフマン監督の『存在の耐えられない軽さ』(1987)、中国のチャン・イーモーが初監督した『紅いコーリャン』(1989)、東ドイツのシュタージ(国家保安省)の局員を描いた『善き人のためのソナタ』(2007)、そしてポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の一連の作品などが思い浮かぶ。
 終戦記念日の前日、若松幸二監督『キャタピラー』を観た。「キャタピラー」という語から、前に存在する障害物、強固な壁や建物も、銃を構える敵兵も、民家も、田や畑も、人も全てをなぎ倒し、粉々に踏み潰し突進していく、侵略の象徴のごとき戦車を思い浮かべた。
 一方で「キャタピラー」には「いも虫」の意味があるらしい。最強の軍事兵器で踏み潰された大地に生きていた「いも虫にも五分の魂」があり、「いも虫の生活」があり、「いも虫の家族」がある。世界を相手に国家が戦争するとき、国民は総動員され、村も、家族も、きょうだい、夫婦も一切合財全てが戦争に駆り出され、協力させられる。いも虫が戦車に轢き殺されたことなど誰の意識に上るものか、ましてやいも虫の家族の暮らしなど。
 逆に轢き殺されたいも虫の側から戦争を見返してみたらいったいどんなものに映るのだろうか。『キャタピラー』の題名から、かってに想像を広げてみたりもした。
 鶴彬(つるあきら)の川柳を連想した。「万歳とあげた手を大陸にのこしてきた」「手と足をもいだ丸太にしてかえし」。鶴彬は戦時中に川柳を発表し、そして1938年(昭和13年)に29歳で獄死している。
 映画『キャタピラー』も、この川柳も、両手両足をもぎ取られた兵士の身体という具体的なイメージを通して、日本人の表現としては稀有な、戦争というものの構造を直截に表現している。
 反戦、すなわち戦争に反対する意志や行動は、やっぱりその構造を知ることや、全身で感じることが必要なのではないだろうか。私達日本人が最も苦手とするところでもある。


8月10日
 参議院選挙とマスコミ報道〜知識人の役割とは〜

 今回の参議院選挙とマスコミの関係を象徴するかのような場面があった。各社が速さを競って選挙の当落を報じる開票速報がおおむね終わった12時過ぎ、菅民主党代表から結果を受けての記者会見が行われる予定であった。
 報道ステーションの古立キャスターが例の全身を震わせるようにして相手を挑発するかのような声を荒げて(どうしてこの人はいつも怒った風を装う会話術を使うのだろうか)、「菅総理は民主党が惨敗した結果を受けて、国民に一刻も早く話さなければならない」と繰り返していた。12時過ぎに会見と予定されているのに。やがて苛立ちまで浮かべながら、「早く会見を行わないのは国民に対する無責任」とまで言い出した。
 そこには、天下のテレビ朝日・報道ステーションが終ろうとするのに、その枠内で記者会見を行わない民主党に対する憤懣をぶつけるかのごとき感があった。テレビ朝日の都合を「国民の意思と」言いくるめて恥じない、マスコミの傲慢さと、売れっ子キャスターの悪意を私は感じたものであった。
 こうした状況を変えられるのは、私も含めた大衆が、マスコミを批判できるリテラシーを持つことにちがいない。しかし、大衆は毎日毎時間流されてくる一方的な大量の情報の渦に飲み込まれてしまっている。情報を選び出し、比較して、整理しながら、自分の考えをつくる余裕など、それこそ当のマスコミによって奪われてしまっている。
 ではどうすればよいのか。だから間に立つ「知識人」が大切なのだと思う。マスコミの実態を分析し、事実、真理、ものの見方・考え方を提示するのが、知識人の仕事ではないのかと私は思う。
 しかし、その「知識人」もまたマスコミに飲み込まれている。いわばテレビに登場する人が「知識人」と呼ばれ、登場する頻度が、社会的ステイタスも、勤務する大学のランクも、収入も決定してしまう仕組みができてしまっている。
 現代のわが国の現状を「マスコミ専制国家」と呼ぶのは、それでも時期尚早であるのだろうか。

8月4日 参議院選挙とマスコミ報道

 「はじめからおわりまですじみちのとおった思想を、私は好きではない。くらしにうらうちされた思想ならどこかにほころびがあってあたりまえで、そのほころびがどこにあるかを自覚しようとしているなら、そこのところが好きだ。」(鶴見俊輔『ちいさな理想』2010年)
 私は鶴見俊輔さんの文章が好きだ。いつでも読めるように、ポケットやかばんに入れておきたいと思っている。どうしてこんな名文が書けるのだろうか。思想が言葉化されている、言葉が思想化されている、暮らしと思想と言葉が一体化しているとでも表現すればいいだろうか。
 その対極にあったのが今回の参議院選挙の顛末である。菅総理が記者会見で、「財政の再建、健全化をめざし、そのために消費税も含めた税制論議を野党の皆さんと起こして行きたい」と発言し、おそらく「消費税率はいくらを考えているのか」という記者の質問に答えたのだろう、「自民党が出している10%も参考にして考えたい」と発言を補足した。
 この最後の部分の「消費税10%」だけを切り取り、取り上げて、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットを通じて報道各社が一斉に流した。菅総理の発言の内容はまったくちがっている。同席した記者達の誰もがそのことはわかっているに違いない。首相就任後の会見について、「消費税も含めた税制改革を打ち出す首相の積極さを評価」する社説をほとんどの新聞では掲げていたと記憶している。
 しかし「消費税10%」の文字や音だけが全国を駆け回り、全ての政党がその抽象的なコトバを振り回すだけの選挙戦になってしまった。米軍基地をどうするのか、安保は、経済再建の筋道は、脱官僚主導の方途は、教育・福祉の充実はどうなる、派遣労働者の問題、若い人たちの雇用問題・・・などら、私たちはどんな社会を求め、どんな国の仕組みをつくろうとするのかという問題が、一切論議されずに終ってしまった。
 政党も、私たち国民も、日本の国のみんながマスコミに翻弄され、踊らされてしまった。そして「そういう筋書きを描いた者」の望んだとおりの結果に終った。
 「消費税10%」、これは暮らしも思想も持たない、「形と音」だけの抽象的なコトバの象徴である。そのコトバに日本中が翻弄され、そして私たちの命や暮らし、国の将来を託する国会議員が選ばれることになってしまった。
 今のマスコミは、時間と足を使って徹底的に事実を追及するような取材ができなくなってしまったのだろうか。言葉尻を捉え、揚げ足を掬うような取材しかできないのだろうか。それが、テレビ、新聞、インターネットなどを通して一挙に、圧倒的な量で流されてしまう、そんな現代に私たちは住んでいることを改めて振り返る必要がある。
(つづく)

2月14日 厚生労働省 村木元局長裁判でも
 

 前回「小沢一郎不起訴の報道に接して」、「 地検特捜部と巨大マスコミが二人三脚で、脚本・構成・演出を担当した劇場型ドラマにされつつあるのではないかとさえ、この間の両者の動きは思われてくるのだ。」と書いたが、その4日後の朝日新聞社会面に、決して大きな扱いではないが、同じ地検特捜部と巨大マスコミが二人三脚で創り出した劇場型ドラマを疑わせる記事が載っていた。
 厚生労働省から障害者団体に偽の証明書が発行され、郵便割引制度が悪用された事件で、元局長村木被告に対する裁判で、元上司が捜査段階の証言を翻したというのだ。元上司は、マスコミの報道で「思い込みが生まれたような気がする」し、(この事件について)「一定の大きなストーリーの中で私の立場が位置づけられたように思う。壮大な虚構ではないかと思い始めている」と語っている。
 この裁判の中でも、その背景にある国家権力の行使と、巨大マスコミの報道という問題が浮かび上がってくる。目が離せない。

2月7日 
小沢一郎不起訴の報道に接して

 正義を振りかざした捜査と報道の生み出すもの
 2月4日、東京地検特捜部は「小沢一郎不起訴」を発表した。その前日には、新聞、テレビの各社がこぞって「検察は小沢不起訴を決めた模様」と報道した。テレビのフリップや新聞の見出しは「不起訴」の文字が踊った。なぜ検察が発表する前に「不起訴」の決定がわかり、未確定のはずのことを全国津々浦々まで一斉に配信することになってしまうのだろうか。おまけにテレビでは、(検察発表がないのに)元検事や政治評論家、知識人と言われる者たちが、異口同音に「不起訴というのは、グレーであって、限りなくクロに近い」のだというコメントを流し続けた。4日発表当日、翌日と、マスメディアの報道は追い討ちをかけるように激しさを増した。
 そして本日の朝刊では、「内閣不支持 逆転45%」「小沢幹事長『辞任を』68%」(朝日)と見出しを掲げた、自社の世論調査結果を載せ、そらみたことか、国民もみんな怒っていると言わんばかりの論調を展開している。
 「小沢悪人説」を創りだし、特捜部の捜査を骨組みにして話を展開し、「不起訴」の法的な判断もお構いなしに、いや「クロに違いない」との空想をかき立てて話題をおもしろくする味付けのように使いながら、自分達の実施した世論調査でリアルさをさらに作り出しているかのように見えてくる。
 地検特捜部と巨大マスコミが二人三脚で、脚本・構成・演出を担当した劇場型ドラマにされつつあるのではないかとさえ、この間の両者の動きは思われてくるのだ。
 例えば自分に置き換えてみると
 もし検察とマスコミの矛先が自分に向けられていたらいったいどうなるだろうか。
「松森が、任意であっても、事情聴取を受けた」というだけでおそらく職を辞めさせられることになるのではないか、職場に顔を出せなくて自ら辞職することになるだろう。新聞の地方版の片隅にそのことが載せられたら、もう地域での日常生活は破壊されてしまうにちがいない。妻や子ども達との関係はどうなるのだろうか。そして苦しみ抜いた末に、ようやく「不起訴」になったとき、「松森は不起訴ではあるが、無実ではなく、グレーだ、クロの可能性が大きい」とマスコミに出されたらどうだろうか。或いは自分の精神、命すらも危機に瀕してしまうのではないかと思ってしまう。
 「なにいってんの?小沢だからやるんだよ。あんたのような者を取り上げたって何のニュースにもならないからやらないよ」と言うのであれば、視聴率を稼ぐ、世間の興味を喚起する、世論をひきつけるための報道ということになる。或いは世論操作と言う意図を持った報道であるか。松森という一市民・国民の生活や命がどうなろうと、地検特捜部やマスコミにとっては痛くも痒くもない問題でしかない。捜査対象者、取材対象者の人権は全く省みられない。
 これでは、地検特捜部が国家権力を行使し、マスコミが情報を操作することによって、何でも思い通りにできてしまう。政治家を失脚させることも、政権を変えることも、政治を都合よく動かすことも自由自在となってしまう。
 ジャーナリズムの衰退
 日本の新聞、テレビが如何に取材する力を喪失してしまったかが見えてくる。どのテレビ局も、どの新聞社も同じニュースを流し続けた実態は、取材源が同じだということだ。正確に言えば、「取材」源ではなく、権力の側から都合のいい情報をリークされて、それをそのまま鵜呑みにして公に流しているということである。事実を探求する、追及することも、較べることも、批判精神を持つこともなくなっている、ジャーナリズムの力の衰退と言わねばならない。
 視聴率や新聞の売れ行きばかりを偏重する経営方針など、原因は様々に挙げられるだろうが、記者クラブ制、番記者制の問題は久しく言われ続けている。大メディアだけが会員になれる記者クラブに入っていれば、情報が与えられる、下りてくる、他社に先を越される心配はない。おまけにメディア同士で批判をしあわない暗黙の了解を作っておけば、経営的に困ることはない。
 教育際(その年に亡くなった児童・生徒や教職員の慰霊祭)の現地スタッフをしていたときに、1社だけテレビカメラが入っていた。ところが会が始まってもカメラを回そうとしない、遺族が過労死を引き起こした教育現場の実態を語るときにも何の取材も行われない。ところが、来賓で挨拶した橋下大阪府知事が退席のために動き始めたとき、いったいどこに身を潜めていたのか、一斉に20人ほどの記者が動き出し、マイクを近づけたり、盛んに「どうでした?」などと質問を投げかけ、メモを取りながら小山の様になった一団がぞろぞろと移動をするのだ。先ほどのカメラマンが割り入るようにカメラを突き出し、撮影をする。会場内では、まだ遺族の話が続いているというのにだ。これが番記者のぶら下がり取材というのかと、あきれ返ってしまった経験があった。
 国民の常識からかけ離れていると言うのだが
 この問題を通して特にテレビでよく聞く言葉がある。ニュースキャスターが、「4億円という国民の常識からかけ離れた巨額のお金ですから、きちんと説明してもらわないと・・・」と言うのだ。しかし、ニュースキャスターの給料はいったいどれくらいあるのだろうか、おそらく年収1億円はくだらないのではないだろうか。それは国民の常識から離れていないのだろうか。「テレビに出演した人」というだけで、1時間の講演料が「数十万円」になってしまうという、あたりまえになってしまっている「常識」もある。行き過ぎた資本主義と、テレビの媒体がつ作り出してしまっている誤った「常識」が横行しているのだ。
 地検特捜部の国家権力の行使は正しいのか、マスメディアの流す情報は正しいのか、「正義」と大書された鎧を身に纏った巨大な組織に対して、私たちは今冷静に向き合い考える目を持たねばらないのだと思っている。

2010年1月3日
 一年の計 「整理する

 
 「一年の計は元旦にあり」と言う。柄にもなく「一年の計らしきもの」を立ててみた。「▼整理すること ▼続けること」の二つである。事務的能力がないこと、整理整頓の習慣が皆無であることにはこれまでからも定評がある。職員室の机は大たいが端に置かれ、さらにその横に児童机を並べて資料の山を作るのが常である。我が家の部屋にいたっては、本や資料があちらこちらに山を作り、高くなったり低くなったり横に広がったりと形状を変えながらいつまでも積み上げられていることに変わりはない。長期休みなどに、意を決して片づけを始めるのだが山の中から顔を出す綴り方を見付けては読み始め、読み続けるうちに時間が過ぎて、山を残して終わるということの繰り返しとなってしまう。
 しかしこの2・3年「整理」という言葉が妙に頭に浮かぶようになって来た。正に年齢から来るものに違いない。僕の人生は多く見積もっても高々20年にも及ぶまい。仕事ができるのは10年に満たないかもしれない。その人生の中で、果たして本当に僕に必要なものはいったいどれだけあるのだろうか。
 あるいは全く必要としないものに取り巻かれて、毎日を過ごしているのかもしれない。例えば目の前にあるここ数年に集まった、あまたある資料の中で、自分が読み返すものがどれだけあるかと考えてみれば、高さ10センチにも満たないペーパーのファイルと、自分の書いたもの、作った資料ぐらいしか思い当たらない。
 同様に衣食住に関して自分が使っているもの、必要としているものを上げていけばホンの一握りのものしか残らないのではないかと思えてくる。
 自分が使うもの、読むもの、周りに置くものをどのように整理するのか、自分の過ごす空間をどのようにデザインするのかということは、実は自分が残りの人生をいかに生きるのか、何をするのか、を選択することでもあるのではないかと考えている。
 さしずめ1年間使わなかったものを捨てることにしようかと思っている。優柔不断な僕に「捨てる」勇気が奮い起こせるだろうか、はてさて大変な一年の計を立てたのかもしれないと、弱虫の顔ものぞき出している始末ではある。

8月27日 
連載開始 11月25日終了(計8回連載)
被爆64周年原水爆禁止世界大会・ナガサキ
    〜微力だが、無力ではない〜


 
1989年に日教組を再建して以来、北河内平和人権センター主催で毎年平和行進に取り組んでいる。7月の中旬、暑い夏の日差しを浴びながら寝屋川市役所から門真市役所を経て守口市役所まで、3時間半の行進となる。各市に在住されている被爆者の方の話を伺ったり、マイクを握って「子どもたちに核のない未来を」等と訴えながらデモ行進をするのだが、戦争と平和や核問題、国家というもの、未来についてなど、ともすれば日常のあわただしさの中で見失ってしまいかねない課題を考えることができる、僕にとっては貴重な機会となっている。
 おそらく全国各地で取り組まれているこの平和行進が、どのようにバトンタッチされ
、被爆地広島と長崎につながり到着していくのか、ぜひ自分の目で確かめたくなっていた。また世界の人たちがヒロシマ・ナガサキをどのように見ているのか、できるだけ身近で感じてみたいとも思った。07年に広島、08年に長崎、そして今年も長崎の原水爆禁止世界大会に参加した。
 
今年は行きの飛行機が中々取れず始発の便となり、たまたま大会開始までの時間がとれたので初めての観光めぐりをすることができた。山と海に囲まれた長崎の町並みと、どこまでも青く晴れ渡った空と、様々な相貌を見せる真っ白な雲とが織り成す景観に何度も足を止め、その美しさにため息をついた。
グラバー園から

大浦天主堂
9月17日更新A 
つづき
 
8月7日、“核兵器廃絶2009平和ナガサキ大会”が長崎県立総合体育館・メインアリーナに、3900人が集まり開催された。今年の大会で印象的だったのは、それはヒロシマ大会でも共通することであったが、国内外から参加して挨拶に立った人たちの誰もが、アメリカ・オバマ大統領
が4月にチェコで行った「プラハ演説」に触れ、特に「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」との強い決意を取り上げながら、これからの核廃絶と平和に向けた展望を語ったところであった。
 各国組織の代表、来賓の挨拶の後、高校生たちが壇上に並び、「高校生平和大使」と紹介された。「1998年5月、インド・パキスタンの核実験が行われました。『ながさき平和大集会』に参加する平和団体50団体は、この危機に被爆地ナガサキの願いを世界に伝えるために、『高校生平和大使』を国連に派遣することになりました。1998年から毎年、『高校生平和大使』はアメリカ・ニューヨーク国連本部やスイス・ジュネーブ欧州本部を訪問し、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴えてきました。」(核兵器廃絶と平和な世界の実現をめざす「高校生1万人署名活動」実行委員会パンフレットより)
 「高校生1万人署名活動」や、「高校生1万本えんぴつ運動」「高校生アジア子ども基金」などの日々の活動や、被爆者にインタヴューしながらその被爆体験をDVDに記録する取り組み、アジアの高校生達との交流、国連ジュネーブ欧州本部での発表等々、高校生がこの1年間を振り返って話す活動報告に、満場の参加者が聞き入り、拍手が巻き起こった。3900人に向かって壇上のマイクの前に立つ高校生の自信に満ちた姿と、その語りの力強さに、若い人たちを鍛え、大きく成長させた1年間の確かな活動があったことを、聞く者の誰もが想像したに違いない。
 最後に「被爆の経験は共有できなくても、核兵器廃絶を目指す意識は共有できると信じて活動していきます。『私たちは微力だけど無力じゃない!』を合言葉に私たちにできることに取り組んでいきます。」と締めくくった。決して多数ではないけれど、県外の高校生にも年々活動の輪が広がっているとの報告を聞いて、希望を託さずにはおれない。
 平和運動がいつも直面し、戦後64年を経過した今日特に危惧される
「戦争体験、被爆体験の伝承と風化」という問題に、各地で真剣に努力を続けている人たちがあることに勇気づけられる思いがした。
 高校生平和大使 
 構成詩 親子で綴る平和の願い
毎年、市民参加で平和を訴えるパフォーマンスが演じられるナガサキ大会 

9月27日更新B 
原爆被爆者特別養護ホーム訪問
 
8月8日、長崎市内から車で1時間、大村湾の近くにある原爆被爆者特別養護ホーム『かめだけ』を訪問した。
 パンフレットの沿革によると、「昭和55年7月・・・長崎原爆被爆者の会(旧長崎県被爆者手帳友の会西彼杵郡支部連絡協議会)を設置母体として、敷地は地元西彼町より造成の上無償で貸与を受け、施設は日本小型自動車振興会、国、長崎県、長崎原子爆弾被害者対策協議会等の補助団体、その他多くの人たちの浄財により建設された。事業の運営は国、長崎県、長崎市の補助で財団法人被爆者福祉協会が運営している。」と書かれている。
また、ホーム理事長の挨拶文には次のようにある、「・・・辛うじて生き残った私たち被爆者も様々な形での後遺症に苦しみ、更に高齢化が進んでおります。かかる現況の中で、当法人は被爆者が自らの手で被爆者のお世話をするという理念の下に、国、長崎県、長崎市の補助のもと介護を必要とする被爆者の援護支援を昭和55年より行ってまいりました。・・・これからも高齢化する被爆者の拠点施設としてがんばってゆきたいと決意を新たにしております・・・」
 
緑に囲まれた広い敷地
に建てられた平屋建てのホームは、ゆったりとした空間にパステル調のカラーで内装され、清潔で落ち着いた雰囲気をかもし出している。大きな中庭を囲む4面のガラス壁から夏の陽光に映える芝生の緑が見え、明るい光が施設内の隅々までに開放感を与えている。僕が勝手に抱いていた特別養護老人ホームのイメージの違いに驚いてしまった。
 入所者は被爆当時20〜30歳代の方たちで、現在80〜90歳を越えた高齢となっておられる。それぞれが車椅子や、ストレッチャーに乗り、職員に付き添われながらホールに集まって、私たちの到着を迎えてくださった。
 全国から参加した50人ほどの慰問団の自己紹介と、毎年恒例となっていると聞いた石川県の参加者からの日本舞踊の披露など交流が持たれた。その後、入所者の90歳になる代表の方から被爆体験を伺った。
 以前は(1980〜90年代くらいか)、中国や(旧)ソ連の代表団が必ず『かめだけ』に立ち寄り、園の職員が料理を作って交流し、入所者も一人ひとりが被爆体験を語りあったという話を、帰りの車中で事務局の方から伺った。養護ホームとして、反核・平和の活動に取り組まれてきた、それは歴史と言えるだろう。現在は高齢化が進みできなくなってしまったのだが。

 中庭に面した廊下。個室が並んでいる。
ユニットケアを柱とした「居住福祉型施設」を目指している  理事長挨拶

交流会
  被爆体験を語る入所者

10月11日更新C 
ピースクルーズ 端島(軍艦島)・高島へ
 
NGO、NPO,市民団体が関連行事に取り組むのも、長崎大会の特徴ではないだろうか。8月8日の午後は、実行委員会が主催する「端島・高島ピースクルーズ」に参加した。船内放送で説明する初老の女性の声は、事実のひとつひとつを確かに伝えようとする力強さに満ちていた。その人の平和運動に携わってきたこれまでの歴史をも感じさせるものであった。
 日本最古の近代的造船所であり、多くの軍艦を造り続けた三菱造船所のドッグ群を右手に見ながら長崎湾口を出る。その日も自衛隊のエイジス艦が修理、整備のためか2隻入港していた。左手には、100万トンのタンカー建造が可能な三菱の巨大ドックがある。湾を出て30分で高島
、さらに10分ほどで、「軍艦島」とあだ名される端島(はしま)の異様な黒い塊の風景が見えてくる。
 東シナ海に浮かぶ孤島は、今は無人の島として黒々とした廃墟跡を荒波に晒している。脱獄不可能な監獄にも見え、一方で日本最初の鉄筋コンクリートのアパート群が林立した炭鉱労働者とその家族が生活を営んだ仕事場であり、町であった当事を思い起こし、想像を駆り立てる。また、戦争中には、強制連行した朝鮮人や中国人を働かせ、多くの犠牲を強いた島でもある。
 明治以後の富国強兵策、戦争、戦後のエネルギー革命と、朝鮮半島や中国から強制的に連れてこられた人々や、日本の労働者が、いつの時代にも、国策によって翻弄され、犠牲にされた悲劇の歴史を無言のままで物語っている。
現在「三菱炭鉱の後継企業『三菱マテリアル』から島は高島町に寄贈され、町村合併の結果今は長崎市の所有」となっている。戦争責任と今後の日本の将来を考えるためにも貴重な遺産として、保存してほしいと願わずにおれない。
大正5年から建てられた日本最初の鉄筋コンクリートのアパート群

(戦後の時代)働く人々は全て三菱鉱業の正社員であり、炭労の組合員であった。彼らは「軍艦島」という戦争の匂いのする名称を今も嫌っている。ここで働く人々にとってはあくまで私たちの暮らしの島「端島」なのだ。(パンフレットより)

端島の様子をパンフレットから引用】
・・・明治期すでに住民は2,800人に達しており、昭和20年には5,300人となり、閉山したときも2,200人が居住していた。大正5年アメリカの摩天楼を見た社員が高層アパートの建設を進言し、日本最初の7階建て鉄筋コンクリートのアパートが建てられた。7年には9階建て、66戸が居住するアパートも建てられたが、エレベーターはなく、代わりに建物から建物へとつなぐ空中廊下が作られた。6畳と4畳半ふた間と台所のみのアパートは日給制だった鉱内員の住まいであり、低い階では1年中日が射さない暗い住まいであった。
事務職の社員は島の小高い所にあった低層のアパートに住み、トイレ、風呂付の快適な住まいだった。小中学校、病院、マーケット、大浴場、映画館もあった。坑内の安全を祈願する山神神社、寺もあり、火葬場は隣の岩礁にあって生活の全てが島内でできた。アパートの屋上には土を運び上げて菜園や花壇が作られ、夏の日差しによる温度上昇を抑えたし、学校の屋上には水田も作られた。・・・
10月24日更新D 
高校生たちの集会
 
8月8日の夜は「被爆体験を語り継ぐ会」に参加した。なんといっても高校生たちが司会、進行、発表をして、大人たちは裏方に回っているのがこの会の魅力。発言したかったら挙手をして高校生の指名を受けなければならないという具合だ。会場の前半分は、びっしりと高校生たちで埋められている、80人ほどであろうか。
 高校生たちが作成した「被爆者証言ビデオ」が上映され、上映後製作者や会場からの意見が交流された。▼韓国人被爆者から「許す。これからは若い者同士で平和を作っていってほしい」との発言があったが、私は憎しみを持ちながらではなく、「許す」という言葉があるように、希望をもって平和を訴えて行きたい。▼捻じ曲げられた歴史ではなく、事実を知る責任があると思う。▼日本人も加害の面があって、それを知ることが大切だと思いました。▼5年後には自分たちが、大人として何を行動するかが問われることになることを実感した。・・・
 「高校生1万本えんぴつ運動」「アジア子ども基金」「高校生1万人署名運動」などを通して交流している、韓国、フィリピンの高校生や教職員からの挨拶もあった。
 製作したDVDの説明をする。

 交流する外国人の高校生も参加
会場の高校生も発言

11月7日更新E 
被爆者の思想
 
長い1日だった。ホテルのベッドに身を投げ出すように横たえながら、出会った人たちの顔や、声や、言葉の数々を思い出していた。日付は長崎に原爆が投下された8月9日に変わっていた。テレビをつけると、NHKの深夜の特別番組が流れ、作家の井上ひさしが語っていた。
 「・・・
被爆者の皆さんの遺稿や手紙、手記がたくさん残されている。しかしそのどの文章にも、原爆投下の責任や罪を追及し、糾弾する言葉が見当たらない。世界史の中で、こんなことはない。『目には目を、歯には歯を』、ではなく、『許す』ということだ。
 これは新たな思想になっている。現在私たち世界中の人間にとって必要な思想となる。憎しみの連鎖ではなく、『許しあって』解決していく態度のことである。・・・」

 
同じ意味の言葉を
数時間前に高校生の口から聞いたことを思い出す。1万人署名に取り組む高校生が、韓国人被爆者の施設を訪問して体験の聞き取りをしていたとき、「私は許す。これからは若い人たちがゼロから平和に向けて取り組んでほしい。」と言われた言葉を聞いて、「私も憎しみを持ちながらではなく、希望を持って平和を訴えていきたい。」と発言した。
 
一方で、原爆被爆者特別養護ホーム“かめだけ”を慰問した帰途、車内の交流会で事務局の人が言われた。「被爆者の発言には共通したものがある。それは責任を追及する言葉が見当たらないことだ。皆さんが自分の体験を語っておられる。もっと、責任、罪を糾弾してもよいのではないかと思う。」と。
 罪を「許す」という思想と、「追及する」という思想、正に被爆者の思想を語る三者の言葉である。今の僕には分からない。今回の原水禁大会でも浮かび上がってきた「人から人へ、世代から世代へ被爆の実態と戦争の現実を語り継ぐ」という大きな課題から考えるならば、「追及する」という課題を引き継ぐのではなく、「憎しみではなく希望を持って平和を訴えていきたい」と語る高校生の
言葉に納得するのではあるけれども。

11月25日更新F 
64回目のナガサキ原爆投下の日
 
原水禁大会まとめ集会の後、爆心地公園までデモ行進。原爆投下の午前11時2分を期して黙とうをささげた。
 爆心地公園    公園のあちらこちらで手作りの集会が催される

 オバマ大統領にナガサキ来訪を要請する署名

 浦上天主堂  

               おわり

6月20日
クリント・イーストウッド『グラントリノ』を観て
 

 相変わらず50代夫婦割引鑑賞券を使って映画を見ている。映画の楽しみ方は実に様々にあるなと実感しながら見続けているのだが、最近アメリカという国の変遷とハリウッド映画とを重ねながら見ているのもその一つと言える。
 クリント・イーストウッド『グラントリノ』を観た。2008年製作とパンフレットに書かれてあったので、オバマ政権前ではあるが、ブッシュ大統領の権威が失墜し、オバマ旋風が全土に吹き、国民が新しい希望を求めていた時期ではある。最近のアメリカ映画、「やっぱり」変わってきたかなという印象を持っている。
 「いい映画」だと思ったが、二つの場面に違和感が残ってしまった。一つは、友情が芽生えだした隣人であるラオスからやってきたモン族の少年タオへの
、同じ移民の不良少年グループの脅しや暴行が頻度を増し、悪質化してきたとき、一人で乗り込んでいって、銃を突きつけ不正義を糾す場面である。単純に言えば、「朝鮮戦争従軍経験を持つ元アメリカ軍人のいい大人が、子どものケンカにしゃしゃり出てきて、マジでうちの子に手を出すなよ!」と脅してみせる場面でもある。キッチュ(漫画、或いは駄作)すれすれの筋書きであるし、実社会において成功するべくもない。その通りに、憎悪が憎悪を呼ぶかのように、さらに事態は悪化し、タオの姉にまで甚大な被害が及ぶことになってしまう。
 もうひとつは、ラストの結末だ。末期がんを患っていて(と読み取れるが)、おそらく耐えがたい激痛があるにもかかわらず大量のビールを飲み、タバコをすい、日常生活を変えようとしないタフガイが見つけた「死に方」ではあったのだろうけれど、全く僕の、少なくとも日常的なものの見方・考え方とはちがっている。
 ひょっとして前者はアメリカが起こしたアフガニスタン空爆や、イラク戦争が、大人げのない、キッチュとも言える、不正義の戦争であったと批判しているのかもしれないとも思えた。後者は、これがクリント・イーストウッドが信じてやまない、アメリカ人の正義と訴えているのかもしれない。
 イーストウッドといえば、幼少のころ我が家にはじめてやって来たテレビを近所の人たちと見ていた、「ローハイド」の若いが繊細な拳銃使い(名前は忘れた)がはじめて知った役だった。以後、「荒野の用心棒」のイタリアン西部劇、ダーティ・ハリーでマグナム拳銃をぶっ放す破天荒な刑事役で一躍世界のスターにのし上がった。
 確か共和党員で、ニューヨークであったか市長にも当選して政治の世界にも身を置いている。そして監督もこなして、「マジソン郡の橋」などら、数々の名作を作り続けている。本作では脚本、音楽もこなして多才振りを披露している。
 なんだか「グラントリノ」とは、イーストウッドが、自身の戦争や、民族差別、キリスト教、政治的変遷等々の経験を振り返りながら、自らの個人史を総覧し、語る作品であるのかもしれないと思えてくる。何人もの思想家が、死を前にして「告白録」などを残したように、映画で残そうとしているのかもしれない。そして、何よりも愛すべきアメリカへの憧憬を最後に描きたかったのだと言えないだろうか。

3月1日

「共に学び、共に生きる教育」日本一の大阪に!ネットワークの
これからの方針として、提案してみました。

2月20日の「大阪府の回答=府教委回答」を見て、意見交流が続いているところですが、

おおよそ次のように集約できるでしょうか。
▼「回答」は、私たちの「質問」に対して答えていない。
これまでの「障がい教育」の府の説明を踏襲するものばかりで、一歩もその域から出ていない。
理念的なものでしかない。
▼橋下大阪府知事宛に出した「公開質問状」にもかかわらず、知事自身の回答が全く読み取れない。
これまでの言動からは想像できないことだが、「教育への介入はしない」と全面的に教育委員会に
任せたとしても、「質問状」提出者に対する知事からの言葉、たよりはあってしかるべきである。
つまり、知事は「質問状」に目を通すことすらしていないと思われる。

これからの私たちの方針作りですが、
全くの「たたき台」として、松森の私見を書いてみます。
@「質問状」に答えてくれていない以上、「質問」ひとつひとつに対する回答をもらうために、
府教委との話し合いの場を作る。
A学習会・集会(講演の形でも)を開催して、学習と交流をはかる。
B大阪版「障害者差別禁止条例」(仮称)策定を掲げて取り組む。

「共に」のネットワークの活動に関わりながら、ことあるごとに実感するのですが、
橋下知事が非常識なほどに「率直な」言動を繰り返すので、反発や危機感を覚え私たちの行動が生まれてきた
とも言えるのですが、能力主義、競争主義、成果主義、自己責任論は、すでに社会に蔓延し、
教育の世界にも規定路線としてじわじわと進行し続けていたのだと思います。
府教委が回答でもきれいごとを並べ立てていますが、橋下知事にならなくても、「共に学び、共に生きる教育」
が修正され、方向転換を始めていたにちがいないと思うのです。
結果として、派遣や非正規雇用、失業、若者のホームレス化、生活破壊・・・等々、「健康で文化的な最低限度の
生活」すら保障されない未曽有の貧困問題を出現させてしまっています。
橋下改革は、さらに格差を拡大し、教育を通して、格差を再生産して固定化することにつながってしまいます。
私たちが何度も書いたり、言ったりし続けてきたことですが、
「障害児・者が学びやすい学校は、誰もが学びやすく、過ごしやすい学校です。
障害児・者が暮らしやすい社会は、誰もが暮らしやすい社会です。」
そう考えると、私たちが取り組んでいることは、障害者問題を通しながら、中でも教育の問題を通しながら、
「人間性を排除する社会ではなく、“ひと”をつくりだす社会をつくる」ことなのではないかと思えてきたのです。
だから、上記「方針」のAの学習会では、「反貧困ネットワーク」(などの)人たちとも交流できればいいなと、
個人的には考えたりします。
Bの「禁止条例」制定(別の課題でもいいんですが)のような取り組みがあれば、立場の違う者同士で、
意見交換したり、交流したり、ひょっとしたらいっしょに行動できたりするのかもしれません。(立場を超えて
ではなく、立場、ものの見方・考え方のちがいを認め合いながら、共にです。)

3月7日に向けて、皆さんが考えるきっかけにでもしていただければ幸いです。
〈「回答」に対する方針を考える会議〉
・3月7日(土) 午後7時〜9時
・大阪人権センター (JR芦原橋駅下車 徒歩7分)


2009年1月1日

「未来を写した子どもたち」を観て
 50代夫婦割引鑑賞券を使って映画を見ることにしている。1,800円の代金では映画を見るのに決断を迫られるが、現金なもので1,000円となると気軽に映画館に足を運ぶことができるようになる。ましてや「いい映画」に出会うと二重に得をした気分に浸れるというものだ。
 『未来を写した子どもたち』をその題名に惹かれるようにしてみた。
解説を少し引用する―「1998年ニューヨークのフォトジャーナリスト、ザナ・ブリスキは、売春婦を撮影するためインド・カルカッタの売春窟で暮らし始めた。彼女は、売春婦たちを取材していくうちに、そこで暮らす子どもたちに魅了され、そして子どもたちも彼女になついていった。ザナは、子どもたちにカメラを与え、写真の撮り方を教え始めた。子どもたちの取った写真にはすばらしい才能だけでなく、もっと何か大切なものを感じた。
 それは心を解放し自信を与える芸術の力だ。スナップ写真を撮り始めてすぐ、子どもたちはカメラで自分を表現することを知る。芸術の持つ魔法の力によって困難な境遇にいる子どもたちが目覚め、意欲をかき立てられ、厳しい現実を乗り越えていく姿が丁寧に映し出されて行く。」―
 カメラは、社会の底辺で生きる厳しい生活の現実を映し出す。しかしそこに生きる子どもたちはなんと美しい瞳を輝かせていることか、なんと屈託のない笑顔をこぼしていることか。将来の希望を語ることばが輝いている。そんな子どもたち一人ひとりのドラマが展開し、カメラが追い続ける。
 日本の教育現場では、人権問題、差別の問題が次第に扱われなくなってきて、ますます遠のいていくような「雰囲気」がある。「解放教育」という言葉も聞かれなくなり、反差別の課題を持った実践は取り組まれなくなってきた。それよりも「学力」を求めることをよしとする(これもまた)「雰囲気」が年々かもし出されてきた。そして現場もまたそれを受け入れる「雰囲気」に包まれだしている。
 はたして日本という国は、人権問題・差別の問題を取り立てて扱うことが必要のないほどにすばらしい国になったのだろうか。むしろ様々に形態を変え、さらに深刻に、大きな構造を持って広がっているように思われてならない。
 ほんの10年ほど前まで、社会の現実を見つめ差別の実態から学ぶ実践が、教育の最前線で取り組まれていた。問題が多様化し、深刻化する中で、何故に取り組まれなくなったのか、私たちは自らに問うてみる必要がある。教育という営みが持つ力・「教育力」(とでも呼べばいいだろうか)が、刻々と失われている。
 アメリカのフォトジャーナリストが現地に住み着き、生活を共にして、10年の歳月をかけて見事な映画を完成させた。一方で、アメリカの最大手ハリウッド映画、キアヌリーブス主演『地球の静止する日』を観た。1,000円払って大損をした。エンターテインメントとしても低級で、テーマ、ストーリーたるや小学生でも反論するほどのお粗末さである。ジャブジャブに余ったお金の使い道として、作品の中身よりも、金儲けをしたい者達が、自分たちの懐を肥やすために作ったものでしかない。このお金を貧しい国にまわせば、どんなに多くの子どもたちの命を救い、将来の希望を実現する手助けができたことだろうか。アメリカが抱える社会の現実を見つめ、差別の実態に学ぶ姿勢があれば、今だからこそ撮ることのできるアメリカ映画を作れるにちがいないのだけれど。
 日本が追い求め、今も追いかけ続けているアメリカの現実は、ほんのわずか先の日本の姿を映し出している。(9月21日『アメリカの崩壊』も読んでください。)

パンフレットより
原題は、“BORN INTO BROTHELS:Calcutta's Red Light Kids”
「売春宿に生まれて:カルカッタの赤線地帯の子どもたち」と訳せばよいだろうか。

10月27日
 いのちの木
 土曜日、ぼくが勝手に「いのちの木」と呼んでいるエノキを見たくて京都に行った。もう少しぼくの心情に即した言い方をすれば、会いたくなって足を運んだと言えばよいだろうか。京都三条の大将軍神社の境内にそのエノキは立っている。大人が3人両腕を伸ばして、漸くその根方を囲むことができるほどの太さの幹で、どこまでも高く空に向かって伸び、たくましい枝を大きく周りに張り出している。
 本殿の横に「樹齢800年」の大銀杏が屹立していることから考えれば、そのエノキもほぼ同じ樹齢と考えてよいのではないか。京都市の「案内板」に、「・・・かつては鵺(ぬえ)の森とも呼ばれ、源頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。」との記事を読んで、鬱蒼と生い茂る森の中で、時代と共に、命をつなぎ続けてきたエノキの歴史を想像してみたりもした。
 4月のはじめ、病院でホルター心電図の器具を装着した帰途、無性にどこかへ行きたくなって京阪電車に飛び乗り、三条で降りて、あてもなく歩き続けていたときに出会ったのがそのエノキだった。
 あまりの大きな姿に圧倒され、やがて樹影に足を踏み入れると、あたたかなぬくもりを感じ、地面からあふれ出るばかりの根方に引き寄せられていった。びっしりとコケが生えている表面に、大きな体のアリがうごめいて共生している。幹の肌に手のひらを触れるとぬくもりが伝わり、両の手のひらを乗せるとさらに温かさを増した。頬を付けてみる。耳を付けてみる。耳を澄ますと、地中深くから、ゴォ・ゴォオと水を吸い上げ空に向けて送る音が聞こえてきそうな気がしてくる。何百年も続けてきた「いのちの営み」だ。
 再会を果たしたとき、やはり手のひらを乗せ、耳を当てて澄ましてみた。ゴォ・ゴォオと、今日も繰り返す「いのちの営み」の音が聞こえてきそうな気がした。僕は、生きていることをエノキに報告した。




(上)エノキ、(下)樹齢800年といわれる銀杏。僕の写真技術と、レンズではとてもその姿をありのままに写すことはできない

9月21日

 
アメリカの崩壊
 
米証券会社大手リーマン・ブラザーズの破綻、米保険最大手AIGに米連邦準備制度理事会(FRB)が最大850億ドル(約9兆円)を融資、更に日本銀行を含む世界の主な5中央銀行が金融市場に総額1800億ドル(約18兆8千億円)の米ドルを供給、等々のニュースが連日世界を駆け巡っている。僕のような経済が皆目理解できないでいる者でも、世界の金融市場が大きく荒れて、世界恐慌に陥りかねない危機に瀕していることは察しがつく。
 これはアメリカという世界最大の軍事・経済・政治の超大国が、(崩壊とまでは言わないが)大きく傾きかけていることの現れである。少なくともアメリカ一国が世界を主導していくという、ブッシュ以来の戦略としてのグローバリズムは実質的に崩壊してしまっている。
 90年代以降ゆるぎないトップの座を誇示し続けてきたアメリカ映画も、内実共に衰退してきたと思う者は僕一人ではないだろう。個人的な感想を言えば、「マトリックス」3部作以後は殆ど見るべきハリウッド映画はないと思っている。一握りの「ハリウッドスター」が何十億円もの出演料を取り、行く先々で世界のファン達が群集をなして迎える現象などは、経済的にも文化的にも決して健全なる姿ではない。
 しかし、ハリウッドの最も得意分野であるエンタテインメントでは、他の追随を許さぬ観客の耳目を集めて引き離さない面白さがあるのではと、一縷の期待を掛けて見に行ったのが『インディージョーンズ クリスタル・スカルの王国』だった。ハリソンフォード、スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ジョン・ウイリアムスが組んだ、自他共に認めるハリウッドの最強タッグが作った映画である。テレビに何度も流れる宣伝文句にもそうあった。
 ところが、やはりというべきか、2時間余りを疾走する画面展開に目を奪われ続けて、終わってみれば何の面白さも感じることができなかった。そればかりか、内容のしかも主要な展開の部分に大きな問題を感じてしまった。▼敵・悪者は、ソ連の女将校と決め付けている。▼冒険の舞台になる島の先住民に、差別的ともいえる怪しくもおかしげな化粧をさせ、正義の味方のインディーたちを襲わせ、そしていともたやすく拳銃で撃ち殺していく。▼そして最も、僕がおそろしく感じたのは、冒頭のシーンで、ネバダ州の核実験場にとらわれたインディーが誤って核実験を誤作動させてしまったときに、実験用のモデルハウスのダイニングに置いてあった「鉛」を使った冷蔵庫に身を隠して原子爆弾の爆発にも堪えて逃れたというシーンであった。
 これがアメリカの民衆の一般的な「核」に対する認識なのだろうかと、唖然としてしまった。広島や長崎の原子爆弾は、古ぼけた鉛を使った冷蔵庫に隠れていれば助かったと思っているのだろうか。「アメリカ映画の最高のスタッフが結集して作った映画」であるだけによけいに、余りの認識の稚拙さと、映画というマスメディアに対する無責任な態度に怒りをすら覚えてしまった。
 アメリカの文化の退潮、アメリカの人達の暮らしの衰退、アメリカの思想の衰弱を思わずにおれない。軍事・経済・政治のみならず、本当に今アメリカは疲れ、病み、崩壊の道をひた走り続けている。

 
8月30日
 
全国学力テストで一喜一憂すべきではない
 
8月29日、文部科学省は全国学力テストの結果を公表した。テレビ、新聞はじめ各マスコミは一斉にそれを報じ、上位や下位の都道府県の教育委員会、学校関係者、市民などの悲喜こもごもの表情や感想を紹介している。昨年にも増して大きな扱いになっている。
 
大阪は小・中共に昨年に引き続きワースト3となっていた。橋下大阪府知事は、「2年連続でこのざまはなんだ。最悪だ。民間なら減給は当たり前」と、教育委員会や教師に怒りをぶつけている。軽薄な発言だと思う。私達教師の仕事は点数を上げることではない、子どもを育てることが仕事であり、そこに責任を負っている。
 点数や全国の順位に気を使うより、今目の前にいる子ども達が小学校でも中学校でも呻吟し、様々に教育崩壊が生まれつつある現状を直視すべきである。目を輝かせて学習に取り組む子ども達がいったいどれだけあるのだろう。「もっと続けたい」と声を上げるような楽しい授業、分からないところを教え合い、一人ひとりの意見や考えが交流される学びあう授業、友達を支えあう学級や学年集団、そんな学校づくりに取り組むことが求められているのだ。
 「できる子」と「できない子」に分けて進める習熟度別授業で、いったいどんな楽しい授業が生まれるだろうか、どんな学びあいが生まれるのだろうか。どんな支えあう友達の集団が生まれると言うのだろうか。放課後や土曜日の「まなび舎」(夜スペ)でいったいどんな授業、学びあい、支えあいが生まれるのだろうか。
 例えば、教室でテストを返したときに、子どもから受け取った保護者はその点数だけを見て一喜一憂する。子どもといっしょに問題を読み返したり、間違い直しをしたり、どこに課題があるのかを考えたりすることはまずない。それと同じことが今、マスコミの流した点数と順位だけを見て、全国津々浦々で「学力が上がった・下がった」とかまびすしい声がヒステリックなまでに飛び交っている。地域の違いも、生活実態の差異も、ましてや子どもたちの抱える生活現実に思いを馳せることなどできようはずもない。今回のテストがどんな学力を調べたものなのか、「学力」とは何なのか、私たちは子ども達にどのような学力を求めようとしているのか、その中で公立学校の果たすべき役割は何か・・・等々、子ども達の姿現状を目の前に置きながら、じっくりと考えなければならない課題は山積みしている。点数や順位に振り回される余裕など、もう子ども達にも教師にも残されていない、教育崩壊のがけっぷちに立たされているのだと、僕は感じている。そもそも全国学力テストなどしなければ、危機感を煽り、無意味な競争意識を全国にばら撒くこともなかったのにと思わずにおれない。
 さればこそと思うのだ、「共に学び、共に生きる教育」を進め、取り組んで行かねばならないのだと。


4月20日
 まるで“ミクロの決死圏”
 「“ミクロの決死圏”という映画を知ってる?」周りにいる人たちを捕まえては聞いたものだった。若い人たちは、首を傾げるだけで、そのシラッとかわす表情からは噂をすら聞いたことがないと思えた。ベテランの教師に聞いてみるが「うん、どこかで聞いたことがある」と答えた人がひとりあるだけであった。とすれば、よほど昔日の映画ということになる。30年、40年も前なのだろうか。
 僕の記憶だけを辿って荒筋を思い出してみると凡そこんなストーリーである、―(たぶん)アメリカの大統領(であったか、とにかく重要人物で、その人が死ねば世界の平和が危機に陥るのだ)が心臓病で手術をしなければ余命いくばくもない状況にあった。しかし年齢と体力を考えれば手術に耐えられない。極秘裏に世界の権威が集められて対策を練った結果、最新鋭の潜水艇に医者とクルーを乗せて、血管を通って心臓まで行き、直接心臓の中で手術をするということになった。巨大なクレーンのアームのような機械の先から強烈なビームが発射されると、潜水艇と乗組員がミクロ化されて、注射器に吸い込まれ、今度は静脈(なのか動脈なのか)に刺した注射針の先端から血管中に押し出されていく。
 そしていよいよ心臓めざしての冒険の旅が始まる。途中異物である潜水艇に向かって抗体反応のリンパ球が襲い掛かってきたり、血液中の物質がぶつかってあわや大破しそうになったり、心臓が収縮する巨大な圧力で艇が翻弄されたりと、まあ想像もつかないストーリーの展開に見るものは画面に釘付けになってしまう。おまけに、乗組員の一人が某国(当時は明らかにソ連を想定している)のスパイでこのミッションを失敗させるべく機械を故障させたり、果ては艇内でのアクションにまで及ぶという筋書きまで用意されてある。観客は決して実現できない近未来のSFのおもしろさと波乱万丈の展開を楽しめる見事なエンターテインメント映画であった。
 しかし、しかしなのである、僕が受けた心臓検査はまるで“ミクロの決死圏”そのものであった。右手の動脈と、首筋の静脈からカテーテルを差し込み、その中をカメラや検査道具などを通して心臓の血管まで行き、医師が画面に映し出される画像を見ながら遠隔操作で幾つもの検査をするのである。いやすでに“ミクロの決死圏”のように潜水艇を送り込むのは古すぎて、今ではいながらにして検査をし、又手術もできるようになったと言っても過言ではない。
 現代医療のすさまじいばかりの発展に驚愕してしまった。

3月20日 フィンランドの教育「この十数年で世界は教育観を変えたのだ。」
 この福田誠治さんの話はとてもわかりやすい。


2月10日

なぜ橋下徹のような人物が知事選で当選してしまうのか?
 1月27日、大阪府知事選挙が投開票され、橋下徹が当選した。得票は、1,832,857票で、実に次点の熊谷貞俊に2倍の差をつけた。
 橋下徹については、テレビで見たこともない僕ですら名前は知っていたし、数々の問題発言があったことも、新聞やテレビニュース、選挙中のビラなどでも読んで知っていた。熊谷貞俊が敗戦の弁の中で「選挙戦のスタート時、知名度は600万対0だった」と言っていた通りである。
 「日本の一番情けないところは、単独で戦争ができないことだ」「徴兵制度の復活を主張」「「私は改憲派だし核保有肯定します」「ニート対策については拘留の上、労役を課す」「(その理由として)国家予算から単純計算すると、日本に生きるだけで一人あたま47万円の金がかかる。 税金を払わない奴は生きる資格がない」「日本人による買春は中国へのODAみたいなもの」・・・(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)から抜粋)
 これらは「問題発言」のほんの一部だけれど、こういうことを発言する人に僕は絶対投票したくない。知事選出馬表明後の記者会見で質問され、「バラエティー番組での発言で世間ウケしないといけなかった」と弁明したそうだが、テレビという公共のマスメディアを使って「世間受けするために」冗談として話してしまう人間性を認めることはできない。
 ではなぜ、そのような橋下徹が、しかもかくも大量の得票数で当選するようなことになってしまうのだろうか。今のこの時代大阪府民が、「徴兵制、核保有、中国への買春ツアー」に賛成して投票したとは思えない。橋下の国家主義的で、中国を初めアジアの人々に対する蔑視と差別、女性差別に賛成し、大阪府の政策として推進することを渇望するものは、圧倒的少数であろう。ではなぜ180万以上の人たちの票が入ることになってしまうのだろうか。

 これはもうメディアの影響としか考えられない。なかんずく《テレビに出ている人》への投票行動である。候補者がどのような人物で、どのような政治的意識を持ち、何を考え、何を政策として訴え、実現していこうとしているのか(それがマニュフェストでもあるのだろう)等関係なく、《テレビに出ている人》は、「親しい人」「おもしろそう」「何かやってくれるのではないかと期待する」「信頼できる人」・・・等々といった具合に、いつの間にか知らず知らずの内に、自分と不即不離の存在となってしまっているのかもしれない。「社会のテレビ化」とでも言えばよいだろうか、暮らしの大きな時間、しかも毎日毎日テレビと一体化することで、《テレビに出ている人》はついに《幻想の中の身内》にまで一体化するようになったのではないだろうか。
 最近はやりの横文字で表す「メディアリテラシー」とは対極の現象が既に後戻りのできない所にまで進行してしまっているのかもしれない。現在県民の圧倒的な支持を得ているが、東国原英夫が宮崎県知事選で当選したのも、マニュフェストを作り配布したとも聞いているが、《テレビに出ている人》への投票行動がその一番の要因であったと言えるだろう。大阪だけではなく日本全国にこうした状況が生まれているにちがいない。
 これからの選挙では、《テレビに出ている人》には勝てないということになってしまう。それは政治への不信感であり、政治というものの無力化を意味する。俳優、タレントだから悪いと言っているのではない、スポーツ選手でも、ミュージシャンでも、アナウンサーでも、弁護士でも、行政出身者でも、大切なことは候補者となったその人が自分の政治理念と政策を掲げて主張し選挙戦を取り組むことだ。つまり政治家として行動することである。そして何よりも候補者の政治理念、政策を吟味し、判定する府民・国民の側の政治意識が問われなければならない。言葉を使えば、日本社会の政治的な成熟とでもなるのだろうか。
 政治が機能しない社会とは、私達がすぐ手の届く歴史のページからひもとけば、ヒトラーのナティスドイツであり、日本帝国主義国家である。ただしこれまでに経験したことのない《テレビ》というメディア媒体によって、現在私たちの日本では「政治の無力化」が進行しているのだ。僕はそう思っている。

 
切り捨てられる子ども達、切り捨てられる教師たち
(07年1月22日 連載開始、5月13日完結)

やっぱり放棄された「教育改革」
 
2002年4月から「新しい学力観」を掲げた新学習指導要領と、学校週五日制が本格実施となった。当時僕はこんなことを書いた。「・・・これまで対峙して来た相手である〈国家の側〉〈資本の側〉も『教育改革』を唱え、権力と財力を持って推し進めようとしている。『受験競争を勝ち抜く学力』では、将来の国づくり・政権運営も、世界競争に勝ち残る経済力も展望できない危機感の表れでもある。その意味で、〈私たちの側〉以上に本気であるとも言える。〈私たちの側〉の教育改革を実現するのか、〈国家の側〉〈資本の側〉の教育改革なのか、今その正念場を迎えている。・・・」
 本格実施1年目にして、マスコミの煽る「学力低下論」に振り回されるように、文科大臣の「学びのすすめ・アピール」、「学力到達度調査」、道徳教育の一層の押し付け、「日の丸・君が代」の強制等々、早くも〈私たちの側〉とのちがいが明白に現れてきた。それは、生きる力、特色ある学校づくり、地域との連携、地域の教育力の回復、自分探しの旅、主体的に問題解決に取り組む力の育成等々、学習指導要領に謳われた新学力観を言い表す言葉であり、新しい教育の幕開けを誇示するはずであった数々の言葉の連なりとは裏腹に、教育のグローバリズム、国家統制をめざすものであった。
 2006年、〈国家の側〉は大きな変質を遂げる。12月15日「改正」教育基本法を強引に可決成立させた。これによって、いきなり国家主義的教育が日常的に行われるようになるとは思わないが、しかしこれをもって〈国家の側〉が新学力観・教育改革を完全に放棄したことを宣言することになった。
 その宣言・意思を具体化するかのように、政府の教育再生会議は第1次報告を2007年1月に安倍首相に提出した。その骨格は、「ゆとり教育を見直し、学力を向上する」など「7つの提言」と、その中で実現を急ぐものを特記した「5つの緊急対応」で構成されている。(つづく)
(1月27日更新)
 〈国家の側〉が、「明治の学制発布以来の大改革」と喧伝しながら打ち出した「教育改革」は、わずか5年の間に、文科省自身や政・財界、マスコミに翻弄されながら右往左往し続けて、結局何も実を結ばないままに幕を閉じようとしている。その5年間の間にいったいどれだけの国民的議論がなされたというのだろうか。一人ひとりが親として、地域の住民として、将来を子ども達に託す社会人として、どれほど関心を持ち、自分の思いや考えを表明してきたのだろうか。
 教育改革の幕開けを宣言した「第14期中教審答申」は喝破していた。
「教育制度は社会のいわば縮図である。・・・社会人を含めた日本人全体の生き方が改まらなくて、教育だけを良くしようというのは虫がいいし、不可能なことなのだ。日本人が自らの生き方を変えずして、教育を良くする政策を他人に、学校に、関係官庁にだけ期待している限り、いつまでたっても根本的な変化の波を教育の世界に引き起こすことは難しいであろう。日本の教育の命運は、学校や文部省や中央教育審議会の手の中に握られているのでは必ずしもない。例えば、わが子の進学に目の色を変え、わが子を外見の良い、収入の良い職業人に仕立て上げることのほかは深く考えようとしないタイプの親がどれくらい多いか、また、採用にあたって学歴を重視し、個性や癖の少ない均質な労働者を求めることのほかは深く考えない企業がどれくらい多いか、それによって左右されるのである。そして、親の心を動かすことも、企業の体質を変えることも、何人にも容易にはできない。」
 これほどの覚悟を決め、腹をくくって取り組んだはずの教育改革であったが、やっぱり日本人の意識を変えることはできずに、国民同士の議論を生むこともなく、つまるところ政治の綱引きの道具のように扱われ、猫の目のように変転としてきた諸政策の残滓だけを残して潰え去ろうとしている。これを「国の政策」とは呼ばないだろう。また、それを許し、平然と「元に戻る」ことを受け入れてしまう日本人とは、いったいどんな国民なのであろうか。もちろん僕もその一人であるにちがいないのだけれど。
(つづく)
ますます混迷する教育の世界(2月17日更新)
 
その理念や理想の何一つをも現実に実を結ばせることのないまま、教育改革は否定され、それに代わって次に安倍首相は「美しい国日本」と、それを支える「国を愛する心」という「情念・情動」を、この国の教育の柱とするのだと言う。
 〈資本の側〉も変質しようとしている。1月1日、日本経団連(御手洗富士夫会長)は、将来構想「希望の国、日本」を発表した。大幅な企業減税を実施して、足りなくなった資金は消費税の増税でまかなうようにと提言している。政府に実現を促すために、その代わりに、安倍首相に取り入りおもねるかのように、「美しい国 日本」の実現、憲法9条の「改正」、民間企業も「国旗を掲げ国歌を斉唱する」ようにと、「愛国心」の必要性を強調する。
 これほど見え透いた〈資本の側〉の企みはめったにあるものではない。「企業は儲けさせてもらいますよ。その分、庶民の皆さんには苦労してもらいます。企業あっての皆さんなんだから、まずは儲けられるだけ儲けることが優先されるねば困るんですよ。そのために裕福なものはもっと潤沢に、貧しいものは赤貧を極めてもらいます。『私のくらし・私の都合』よりも、『国家の繁栄』を第一義として考えることが大事なのですから」。そう聞こえよがしに言っている。もう誰も文句を言わない日本の国民なのだとタカをくくっているように思われる。〈資本の側〉では、「二極化」がそれほどまでに既定の方針となっていることの証左であるのかもしれない。
 〈国家の側〉が、情念や情動の言葉を声高に叫び教育の世界を更に振り回そうとしている、〈資本の側〉も世界の経済競争に勝ち残る個性を尊重した人材育成を放棄して、国に追随しようとする。学校現場も、いわば「パッチワーク的教育改革」とでも呼べばいいだろうか、これまでのめまぐるしく変転する方針のあおりを受けて次々と上から下ろされてくる制度・政策に混乱し、振り回され、多忙化に拍車がかかり、疲弊を極めてしまっている。
 「学級崩壊」というマスコミの造語がセンセーショナルに日本列島を駆け抜けたが、今はそれどころではない「教育崩壊」が始まり、たしかな仕方で進行している。そして目の前には混沌と混迷しか見当たらない。
切り捨てられる子ども達、切り捨てられる教師達(2月27日更新)
 
僕の在職する寝屋川市で、教育委員会がトップダウンで現場に下ろしてきた「教育政策」の主だったものを並べてみる。
▼市内全小・中学生の到達度調査(民間業者への丸投げ)
▼「英語」の文科省特区の指定
▼小学校からの英検、英語の発表交流会(市教研から下ろす形をとりながら)
▼小・中一貫教育、職員全員参加の交流会・分科会研修など
▼統廃合から、校区の自由選択制・・・等々
 これらの教育政策は、一つの明確な方向を目指している。それは、一握りのエリートをつくり出し、大多数の子ども達を切り捨てるという「二極化」の推進である。その提案は、各学校の実情を顧みられることはなく、いつもトップダウンで上から全体に網を掛けるがごとくになされる。学校現場が必要としてあげた声から生まれたものは一つもない。私たちの仕事に多忙感を感じるか、充実感を感じるのかの境界は明白だと、僕は思っている。それは、上から与えられ、押し付けられた仕事をこなすことに汲々とした日々を過ごすのか、或いは子ども達や保護者、地域と向き合い、関わりながら、生まれてくる必要性を課題として取り組むのかの違いである。
 トップダウンによる二極化の推進は、既に寝屋川市において深刻な問題を生み出している。市内各小学校において、子ども達の荒れ、いじめ、不登校や、教師に対する非行、暴力が生まれ、その数は紛れもなく年々増加している。子ども達との対応や、多忙化に疲れきり、病気や休職に追い込まれる職員も増えている。
教職員組合の調査によると、今年度(2006年度)の小学校教師の病休と休職の数を合わせると、30人を超えている。これは中学校の3倍近い数であり、府内でも最も高い。その数は年毎に増えて来ている。
 親が社会や会社から切り捨てられ、子どもが虐待を受けて家庭から切り捨てられ、そして学校からも切り捨てられていく実態が、学校の日常の中にも決してめずらしいケースとしてではなく現れてくるようにもなった。
(つづく)
(4月30日更新)
 
しかしそれでも寝屋川市教委の方針に変化の兆しは見えない。そればかりか、11月には英語教育特区の「成果」を全国に発表するために、全小中学校の参加で、公開授業や子ども達の発表、講演会を強行しようとしている。勿論学校現場からの声でもないし、現場との協議も一切持たれていない。「どうせ反対しても、やらされるんだ」という教職員の声が、市内の学校で蔓延している。疲弊とあきらめが広がる教育現場を、さも勝ち誇ったように睥睨する教育委員会は、それが実は教育力の低下を招き、寝屋川の子ども達に深刻な被害を与えることになるという、あたりまえの帰結を全く顧みようとはしない。
 事実を見ないのか、あるいは「子どもも教師も切り捨てていい」との方針なのか。最後までやれた教師が必要なのであって、病気や休職で退職するのは本人の責任であり、一向に構わないと判断しているのかもしれない。「評価・育成システム」や「教員免許の更新制」という、教職員の間に「勝ち組・負け組み」を作り出し、固定化する制度が、頑迷な教育委員会の態度を後押ししているとも言える。更に背景として、教育界だけではなく、「非正式雇用者」を莫大に生み出し、「代わりはいくらでもありますよ」と競争を煽るシステムを政策として維持し続ける社会構造が既に準備されている。
 こうした日本の状況は、イギリスのサッチャリズムを代表とする、80年代欧州のNeo Conservertive(新保守主義)の教育改革の後追いをする結果になっている。深刻な反省からヨーロッパの教育は大きな転換を図った(例えばフィンランドの教育がそうであるように)。一方で二極化を進行させたアメリカの学校の現状は、日本のそう遠くない前途を暗示するかのようである。日本の銃規制が緩やかであれば、或いはアメリカと同様の乱射事件が学校現場で起こっているのではないかと、思ってしまう。

 混沌の中で、教育・学校の再生はなるのか
(5月13日更新)
 
〈国家の側〉の教育も、〈資本の側〉の教育も、そして〈わたし達の側〉の教育も、確固たる価値観、方向性を持ちえていない。いわば学校も教育界もかつてなかったほどのアナーキーな状態に陥ってしまっている。安倍政権は、「美しい国」「国を愛する心」などという情念・情動を掲げて教育を再生するというのだから、ますます日本の教育の混迷は深まるばかりである。
 今後の成り行きを国会論議、各政党活動、日教組運動や当面する7月の参議院選挙に託すとしても、価値観が崩壊し、方向性が見失われている混沌の中で、むしろ手かせ足かせを自ら放り投げる身軽さで、一人ひとりがもう一度〈自分の〉教育をつくり上げ、実践し、互いに語り合う試行錯誤を始めてみてはどうだろうか。
 さしずめ僕が始めようとする試行錯誤の核は次のよなものである。
▽学校づくりの原点は、インクルーシヴ教育、インクルーシヴな学校
▽教育とは関わりあうこと、子どもと教師、保護者と教師、地域と教師、何よりも子ども同士の関わりの中に〈教育力〉は生まれる。
▽聞く・聞きあう、学ぶ・学びあうを大切に
▽とり合えず具体的な方針として、総合的な学習を進めていく。


(11月3日) 
てんでばらばら
 
 安倍内閣の柱は教育再生だという。名前どおりの「教育再生会議」なるものも発足した。現在、文科省や政府の側から聞こえてくる言葉を並べてみる。教育基本法「改正」、国を愛する心、学力問題、全国学力調査統一テスト、いじめ、子どもの自殺、格差の広がり、命・安全を守る、必修科目の未履修問題、学校選択制、バウチャー制度・・・、教育政策を論じるには余りに「てんでばらばら」としか言いようがない。こういうてんでばらばらな政府・文科省・教育委員会からトップダウンで下ろされてくる学校現場は、更にごちゃごちゃにかき回されることになってしまう。
 現場の努力で、何とかかんとか持ちこたえながらやってきているのだが、子どもの荒れや、教師の心身の疲れなど、ほころびがあちこちに生まれ広がりを見せている。
 1991年の「第14次中教審答申」以後の「教育改革」の理念・理想
『教育改革と14次中教審答申』を読んでください)も、政策も雲散霧消してしまった感がある、政府・文科省の側も、学校も。日本の教育とは、荒れ野の中に聳え立つ空中楼閣のようなものでしかない。学級崩壊ではない、いつ「教育崩壊」が起こるか計り知れない現実の中にいる。
 安倍首相は、「だから今こそ、『美しい日本』をつくり、『国を愛する心を育てる』教育を再生するのだ」と言いたいのだろう。これはもう思想も哲学も投げ捨てた「情念」でしかない。足元の現実が見えない楼閣の夢物語である。教育の現場・学校で多様な価値観が廃されて、一元化された情念が支配することはありえない。あるとすれば、それは日本が全体主義国家になったときである。


(9月25日) この判決文をあたりまえに読める感性を失ってはならない、奪われてはならない。


9月11日 テレビってこわいなぁ!!(2)
―亀田現象を考える―(8月15日のつづき)

 さてその夜、わが家の全員が1台しかないテレビの前に座った。「嫌悪を感じてしまう」と言っている僕も、「試合はどうなるか」と興味を持ちながら鎮座した。「スキであろうと、キライであろうと、とにもかくにも見てみよう」とチャンネルを合わさせる、テレビという媒体の持つ大衆操作の巧妙さとその威力を改めて思い知らされる。
 しかも、新聞の番組欄に書かれてある7時30分にチャンネルを合わせてから9時まで、延々1時間半もの間、アナウンサーやテロップの「亀田世界に挑戦、この後まもなく」「世界へのゴングもう間もなく」等々の言葉や文字に「だまされ」て、亀田家2人3脚(4人5脚か)の父子鷹のサクセスストーリーと、企業コマーシャルを見続けさせられることになった。リングサイドに森元首相や、小池百合子環境大臣が来ていたことから察すれば、自民党保守派の中で、亀田父子という「目新しい」個性的なキャラクターを使って、「父権」の復活と、「親子愛」の道徳を宣伝する狙いが目論まれていたのではないかと、僕は推察する。
 ようやくゴング鳴るとたちまち、あっけなくランダエダの右ストレートにダウンしてしまった。何とかKO負けだけは免れようとクリンチを重ね、12回を闘い終った。なんだかランダエダに予め、「あなたは元世界チャンピオンなんだからダウンしてほしい、負けてほしいとは言わない、ただもしあなたが亀田をKOしそうになったら、それだけはやめてもらえないだろうか。判定になったら、後はコチラが『ちゃんとやる』ので」。そんな話が交わされていたのではないかと、勝手に想像してしまうような試合の成り行きであった。
 「これで亀田が勝ったらけっさくやナ」、ひとしきり家族の間で広がったジョーク通りに、なんと判定は亀田興毅に上がってしまった。こういうのを、世間的に、一般的に「八百長」という。その世間的、一般的あたりまえが通用しないのがマスコミの世界なのだということが、その後まもなく思い知らされることになる。
 TBSのニュース、スポーツニュースのトップで、「亀田世界王者に」と報じられるのだが、それを伝えるテレビ画面を見て一瞬声を失った。どう見ても、やはり世界戦の緊張のためか1回に不意を食らってダウンを喫したが、その後敢然と立ち向かい何度も元チャンピオンをロープに追い詰める亀田の勇姿を映し出しているではないか。そして判定に。チャンピオンベルトを父親の腰に回すシーンが。「お母さん、オレを生んでくれてありがとう」と涙混じりに語る場面が続く。その映像の連なりには、「敗北」の疑念が微塵も入り込まない見事な編集が施されてあった。
 中学3年生の娘が思わず口に出した、「テレビってこわいなぁ!!」。 マスメディアの持つ恐ろしさをまじまじと身内に感じた瞬間であった。
 TBSは、決して悪い局だと思ってはいない、むしろニュースや報道番組など、その事実を伝えようとする姿勢に良心的なテレビ局との印象を持ってきた。そのTBSですら、自社の損得に関われば、事実を捻じ曲げてまで映像を編集し、世論を操作しようとしてしまうのだという実態に驚愕してしまうのだ。おそらく、これまで応援してきた亀田が世界チャンピオンになり、大晦日に「紅白歌合戦」の裏番組でタイトルマッチを放映する、そんな思惑をTBSは描き、そこに既に莫大な利害が絡んでいたのではないかと想像される。
 しかし、皮肉なことに、「これだけ視聴率があったらなんでもできる」と高をくくったその視聴率ゆえに、映像のごまかしでは隠しきれないほど、多くの者が事実を既に見てしまっていたのだ。
 では、世界の報道はどうだろうか。例えばTBSが政治と無関係のボクシングだから事実のねじ曲げをしたのであって、政治や戦争など社会問題では隠蔽などありえないと言い切れるだろうか。莫大な利害関係が今回の「捻じ曲げ」の原因であったとすれば、政治や戦争には、それらをはるかにしのぐ資本の利害が常に絡んでいる。アメリカの兵器産業や巨額な石油マネーの動向を考えると、イラク戦争の報道はいったいどこまで私たち国民、世界の一人ひとりの市民に、事実が伝えられているのだろうか。
 亀田の試合を見ながら、そんなことにまで思いが広がってしまった。日常のちょっとした暮らしでも、その事実が伝えられるマスメディアでなければ、世界の事実は伝えられないのだと思う。私たちも、日々の暮らしの中でマスメディアを注視する習慣というものが必要なのだと感じている。


8月15日 テレビって こわいなぁ!!
―亀田現象を考える―

 
 8月2日、職場の同僚から通りすがりに「今日、アレあるから早よ帰って見なあかんなぁ」と声を掛けられた。「アレとはなにかなぁ?」釈然とせぬままに過ぎたのだが、帰宅途中の電車内で、向かいの席の男性同士が「今日はアレやで、見なアカンな」と、やっぱり「アレ」の話題に話が弾んでいた。「亀田チャンピオンになるやろな」「相手は元チャンピオンか知らんけど、一階級下の年取ったやつを呼んできてるしな」・・・。
 僕は亀田三兄弟が好きになれない、正確に言えば、マスコミに登場する彼らの言動にどうしても嫌悪を感じてしまう。テレビに大写しになる彼らはいつも頭ごなしに相手をののしり、挑発する「物言い」をしている。喧嘩をするときに、感情を発露する表現としてはありえても、相手を見下し、恐怖を与え、押し付けるような日常的な会話表現はあってはならないと考えている。それが戦前の治安維持法下の社会ではなく、戦後の民主社会における互いに相手を大切にする最低限のルールだと思っている。
 普通そんな「物言い」で日常生活を送ることはできないのだから、マスコミが「売れるキャラクター」として演出しているにちがいない。そんな彼らが「おやじ、お母さん」と特段の思い入れで語る姿も十分効果が計算されている演出だろう。問題は、人間関係を破壊し、力でねじ伏せてしまう社会でしか通用しない言葉を、マスコミがテレビ、ラジオ、新聞、週刊誌などを通して表に出し、「価値のある言葉」として流布していることにある。なぜか、視聴率を稼げるし、莫大な収入につながるからである。(「スキでもキライでも、これだけの視聴率を取っているのだから、何が悪い」とうそぶく声が聞こえてきそうだ。村上世彰が、逮捕前の記者会見で「お金をもうけることがどうして悪いんですか。誰もそれは否定しないでしょう。」と言った言葉と通じている。いつか触れてみたい。)
つづく

7月9日 “闘う高齢世代”の誕生(6月27日の続き)
 
中之島中央公会堂の大ホールと中ホールを、立錐の余地もないほど埋め尽くした聴衆のほとんどが、いわゆる「団塊の世代」とその前後の世代の人たちであったという事実は、僕が漠然と抱いていた予感を確信に変えるに十分であった。
 2007年から「団塊の世代」(1947〜49年生まれの人たち)の大量退職が始まる、とその退職金を狙ったかまびすしい経済効果の論議が始まっているが、おそらくそれにとどまらない世の中をひっくり返すような出来事が生まれてくるのではないかと、僕は予感し、期待もしているのである。「変革の旗手」は、団塊の世代の高齢者達だ。
 何よりも、彼らは70年安保や、大学闘争・学園闘争という政治的荒波を全身で受け、方向は様々あるにせよ、荒波の中を泳いできた人たちである。その経験は、管理職になって、或いは革命戦士や政治家になって、或いは哲学者や評論家、芸術家として、或いは労働者、労働運動家として、或いはサラリーマン、家庭の主婦として・・・等々、様々な分野で力を発揮してきたのだと思う。
 その人たちが退職して手にした自由な時間を、何を考え、どう使うのかは、世の中に影響を与えずにはおかないだろう。例えば会社にあって優秀な管理職であった人たちであっても、退職後は「変革の側」に、「反体制の側」に身を置くのではないかと思えてくる。
 一方で、莫大な額のお金を有する集団でもある。資本の側・経済界も一目も二目もおかざるをえないあなどれぬ相手となる。むしろテレビコマーシャルにおどらされて、消費に走らされるのを恥とするような「マジメさ」を身上とするようなところもある。日本経済の行く末に対して大いなる影響力を発揮するのである。
 そして何よりもその圧倒的な世代人口である。50代以上は、人口の4割近く、約4900万人いるそうだ。こう考えてくると、「世界一の高齢社会の到来」「年金制度、保険制度の根幹を揺るがす」などの元凶とまで指摘するマスコミの論調など、何をかいわんやである。「余生の過ごし方、老後の楽しみ」などのつり革広告におどる言葉とかけ離れた、エネルギッシュな白髪の女達男達の顔が浮かんでくる。
 自由な時間とお金を手に入れ、何者にも拘束されない思想を持ち、自由な発言と行動を起こすことが可能な集団、「団塊の世代」が新しい社会像を提示し、積極的に状況を創り出していくことになるのではないだろうか。身内にモコモコと音を立てて湧き上がる青春時代のロマンを思い出しながら。かつて歴史上に類を見ない、老人達が日本史の1ページに自らのドラマを書き記すのである。
 僕は青年の時期、大江健三郎が言う「遅れてきた青年」であった。そして今、やはり「遅れてきた老年」でしかない。せめて先輩達の「闘う高齢世代」のおこぼれを頂きながら、自分なりのたたかいを取り組み続けて行きたいと、そう思っている。
 

辺見 庸 講演会

6月27日
 いつになくゆとりを持って開場時間の10分前に中ノ島中央公会堂に到着した僕は、その光景に目を疑った。入り口から右側(当日券を求める列)と左側(前売り券を持参した列)に、それぞれ300メートルほどの人垣ができている。一人でこれだけの聴衆を集められる話し手があったのかと驚いてしまった。
 大ホールは1・2階が立錐の余地もなく埋まり、入場できなかった人たちのため、急きょ中ホールに中継画面が設えられた。1500人を超す入場者があったのではないだろうか。イラク派兵、憲法改悪、教育基本法改悪・・・等々と、一人ひとりの暮らしの場にひたひたと歩み寄る戦争の影を感じ始めたことがその背景にあるのかもしれない。
 2004年に脳出血で倒れ、そのリハビリ中に癌が発見されて再手術を受けたという辺見さんだが、「精一杯話をさせてもらう」と切り出されたとおり、6時30分から9時30分までの3時間話し続けられた。「潜思黙考」「境界を越える」「小指の先から一滴でもいい血を流しましょう」「自分という最小の単位で行動を起こす」「自分の言葉で表現する、文学の言葉でなくてよい」・・・等々のキーワードを駆使しながらの語りは、聞く者の心を揺さぶり、惹きつけずにはおかない圧倒的な力と魅惑に溢れていた。
 「僕は憲法の『第1章』はいらないと思っている」と発言されると拍手が起きる。それを受けて「大阪の人たちはこれで通じるんですね。今夜は話せそうだ」と返す。会場から声が掛かる。そうした会場とのやりとりをくり返しながら、益々講演にも熱っぽさが増していく。
 講演会の話し手と会場を包み込み、巻き起こるエネルギー、この雰囲気はいつか感じたものと懐かしさを覚えていた自分でもあった。そしてもう一度周りに視線をめぐらしてみた。会場を埋め尽くすほとんどがいわゆる『団塊の世代』であることに気づいた。この講演会を企画し実現させた、自称「小さな市民グループ」の人たちも多くがこの世代に思われる。(つづく)
5月29日 また、竜一忌がやってきた

 草の根の会・梶原得三郎さんから、「第二回竜一忌」の案内を頂いた。今年もぜひ参加したいと思っている。
 大分県中津に行き帰阪するまでの2日間、自分がこの1年間何を考え、どう行動してきたのかゆっくりと振り返ってみたいと思っている。そしてこれからの1年間、自分は何をしようとするのか、考える機会にしたいと思う。松下竜一さんと向き合うことは、自分自身と対峙することに他ならない。
 「竜一忌」は、私にとってそうした意味を持ち始めてきたように感じている。


   第二回竜一忌の詳しい案内は、「追悼 松下竜一」のページから。

5月7日 村上ファンドの阪神株買い付け

 
ライブドアの株買い付けによるM&A(企業による他企業の吸収合併)問題の後、楽天のTBS株買い付け、そして村上ファンドの阪神株買い付けの話題がマスコミをにぎわせている。私たちの日常の暮らしからあまりにかけ離れた金額のやり取りに、現実感を持つことができず、ついつい興味本位にコトの顛末を眺める側に身を置いてしまう。阪神タイガースの勝敗に影響を与えはしないかとの危惧の方が現実味を帯びてくるといった具合でもある。
 ニュースをテレビドラマを茶の間で楽しむかのように眺めていた自分の頬を、むんずとひねって目を覚まさせてみると、日本の企業経営や資本主義社会の仕組みが根底から変わろうとしていることに驚いてしまう。これが小泉政権の5年間の「成果」(?!)、構造改革・民営化路線の結果というべきなのだろうか。
 私は自分なりにこのように考えてみる―
 下町でバネを作る町工場を経営する初老の夫婦がいる。従業員は二人。1960年代に家内工業として始め、高度経済成長に合わせて企業の孫受け注文をこなして町工場にまで広げた。しかし、バブルがはじけて以降、銀行の貸し渋りや景気の後退、打ち続くデフレの進行で経営が逼迫するが、いい製品を作りたいという誠実な職人気質と品質の良さが評価され、何とか倒産せずに経営を維持しながらここまでやってきた。
 そんなとき、アメリカのNASAから、宇宙開発のためにこの工場で作るバネがぜひ必要だという注文が舞い込んできた。バネの単価が何倍にも跳ね上がり、生産が追いつかなくなるほどの注文が入りだした。
 周りから株式を発行して、増資することを進められる。ついに株式会社を設立し、工場を2倍の広さにして、新しい機械も購入した。社員ももう二人増やした。それでもNASAからの発注という話が信頼を得て、他の国からの注文も含めて収益は増え続けた。しかし、これ以上の株を発行するつもりもなく、上場するつもりもなかった。会社経営は安定し、夫婦にとってゆとりある暮らしを過ごせるようになり、幸せな老後を思い描くまでになっていた。
 40年掛けてようやく成功を手にした夫婦のもとへ、1通の手紙が届く。いわく、「あなたの会社の46%の株を保有している。いつでも過半数を取得する用意がある。ついては、私たち株主が利するように、もっと努力をしてほしい。いまどき、『いい製品を作りたい』などと言ってる時代ではない、工場を4倍に広げ、設備投資もして生産量を上げれば、6倍の収益が上がられるはずだ。それができないならば、あなたには社長を辞めてもらう。会社は株主のものであり、社長や社員は株主の利益のための会社経営を株主から委託されたものであるのだから。」と。巨額の資金を持って企業買収をもくろむファンド集団は、下町の一隅までにも情報を張り巡らして、虎視眈々と標的を狙っている。
 私はこのような話から、ライブドアや村上ファンドの問題を考えようと思っている。株式は私の日常生活になじまないこともあって難しい。基本がよくわからないし、理解が間違っていることも多々あるだろう。指摘を受けながら勉強したいと思う。それでも考えねばならないほど、ここには現代日本の抱える本質的な問題があるのだと、そう思っている。 
5月1日 北朝鮮の拉致問題と、日本の強制連行

 拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さんが米公聴会で証言した後、ブッシュ大統領と面会したニュースがテレビ、ラジオ、新聞で大きく報道されている。拉致事件の報道に接するたびにいつも考えることがある。
 一市民が国家の手によって誘拐拉致されるなどという国家犯罪は断じて許されるものではない。では、かつて日本が朝鮮半島や中国大陸に侵略して、何万人という朝鮮や中国の人たちを拉致、強制連行してきた事実はどう裁かれるべきなのだろうか。実際に裁かれてきたのだろうか。
 北朝鮮を一方的に批判糾弾する声や、マスコミの論調は氾濫しているが、私たち日本の側が犯した拉致・強制連行に対する意見はいつも聞こえてこない。「それは戦争中のことだから」とでも言うのだろうか。「いまは戦争もない平和な時代に、こんな非人道的なことを、しかも国家がやることが許せない」ということなのだろうか。
 日本は1945年に無条件降伏をし、「敗戦・終戦」となった。しかし、北朝鮮と韓国は現在「休戦」状態であり、戦争は今も続いているのだ。しかも、拉致事件が頻発した60年から70年代は、38度線を境に両国の軍事政権がにらみ合い、その背後から米ソ超大国が核の脅威を見せ付けながら緊張が続いていた時期でもあった。「だから仕方がない」とは誰も言わないはずだ。
 たとえ戦争状態の中であっても、市民に対する国家犯罪は、決して許してはならない。日本の私たちも北朝鮮の国家犯罪を糾弾する声をさらに大きくし、一日も早い真相の究明と、拉致被害者の解放を実現できるよう努めて行きたいと思う。しかし同時に、日本の犯した国家犯罪に対してもまた真相の究明と責任の追及をしていかねばならないのだと思っている。
 自国の侵した拉致問題にほおかぶりしたまま他国だけを批判糾弾する姿は、決して国際社会に受け入れられることにはならないだろう。どこまで行っても、韓国や中国の人たちや首脳達の靖国参拝問題を初めとした「日本批判」は収まらないにちがいない。「両国の歴史認識の違い」などという言葉をよく耳にするが、歴史「認識」に矮小化してしまうのは、日本の側の都合のいい解釈に過ぎない。指摘されているのは、歴史に対する責任のとり方なのだと思う。それは今、正に日本国民の多くが北朝鮮に対して求めているものでもあるのだ。

 
4月17日 「聞く」ということ
 
 今学校では、子ども達と共に新しい学年・学級をスタートさせて、忙しいけれども活気に溢れた時期を過ごしている。同時に、新しい年度の学校運営方針やら校務分掌などを決める職員会議が連日取り組まれている。
 僕の在職する学校の今年度の研究テーマは、「聞ける子どもに育てる」ということになった。「聞くことは、人間関係の根幹をつくることにつながる」という共通認識を確認した上での決定でもあったので、なかなか具体的ないいテーマが生まれたと思っている。
 例えば、「主体的に問題を追求する子ども」とか、「豊かな感性を育む教育」などの様に理想像を掲げなかった背景には、やはり私たちの現場の事情がある。この数年富みに、「このごろの子どもは話を聞かなくなった、聞けなくなった」といううらみつらみも含めたため息交じりの会話が職員室で頻繁に交わされるようになった印象がある。授業の場でも、学級会でも、また日常生活の場面でもである。それならば、理想像を追いかけるよりも、誰しもが気にかかり、ナントカできないものかと日々思い続けている課題を、研究テーマとして学校生活のあらゆる場面で考えてみようということになったわけである。
 「聞く」ことは相手を大切にすることだと痛感している。自分が一生懸命話しているのに、相手がプイト顔をそらして知らんぷりをしたり、手遊びばかりして聞いてなかったり、お喋りに興じて無視したりすれば、話し手の心は傷つけられて、つらい思いをしてしまう。その話が真剣なものであればあるほど、より深く傷つけられてしまうにちがいない。
 その反対に、相手が目をつなぐようにして話を聞いてくれれば、関わりが生まれ、さらに言葉を引き出してくれるというものだ。寡黙な子どもが友達ができることで言葉が紡ぎ出されてくるのと同じだ。
 聞くことは相手を大切にすることであり、同時に、自分が大切にされることでもある。子どもであっても、教師であっても事情は変わらない。だから時には首根っこを捕まえてでも「聞いてほしい」と思うことがある。
 一方でこれは「聞くというルール」を作ることではない。「ルールとしての聞く」では、子ども達は「聞かなければ怒られる」「怒られるから聞く」ということになってしまう。低学年の間はまだ「こわいから静かにしていても」、高学年になって、「先生なんかこわないで、怒られても平気やデ」などとうそぶいて一点突破されてしまえばおしまいである。「もっとこわい教師の話」しか聞かないことになってしまう。
 ひょっとして、「聞くという経験」をしたことのない子どもがあるのではないだろうか、学校でも、或いは家庭でも、などということも考えてしまう。「なるほど聞くというのはこういうことなのか」という経験を(自覚的にせよ、自覚しないにせよ)持たない子どもは、どれだけ頭ごなしに「聞きなさい」と大声出して注意しても、聞くことがどういうこと、どうすることなのか分からないので、聞くことができないのかもしれない。
 「先生が『話を聞きなさい、聞きなさい』ばっかりしつこく言うから、ちょっと耳を貸してみようか」と、先生に向かって心を向けたとき、その耳に飛び込んできたのが「先生の怒鳴り声」であってみれば、二度と自分から聞こう、聞きたいとは思わないにちがいない。ひょっとしたら、小学校の6年間で一度も「聞くという経験」をしたことのない子どももあるのかもしれない。

 
9月17日) 「選挙」を通して考えること B

 教育の民営化 とは

 
今、自民党も民主党も「小さな政府」「民営化」を推し進めると言う。それに反対する者は悪者であり、保守派・守旧派のレッテルを貼られかねない。そんな世論も含めた一方的な流れを感じてしまう。しかし本当に「小さな政府、民営化」はいいことなのだろうか?
 繰り返しになるけれど、日本経済は今後の世界競争を勝ち抜いて行けないだろう事はいまや自明の理である。(かつてのような侵略戦争でもしない限り。)だから僕などは、例えばスローライフなどという言葉が表すような、新たなライフスタイルを互いに見つけ出して行けばいいのではないかと考えている。一方で、これ以上の拡大が見込めない日本の限られた富を分配するのに、自由に競争すればいいではないかと考える者達もある。
 民営化とは、「もっと儲けたい、裕福になりたい」と考える「圧倒的少数の大金持ち」に、国外市場では競争に勝てないし、国内市場はほとんど手をつけてしまっているので、それではまだ手をつけていない「国民の共有財産」を自由競争の市場として開放しましょうと、政府が差し出しているようなものである。大企業と、ほんの一握りのベンチャー企業の成功者だけがほとんどの富を勝ち取っていく。国内の富の取り合いを経済の活性化とは呼ばない。いずれ極度のインフレを招くのではないだろうか。
 例えば、教育の世界を民営化することで、巨大なビジネスチャンス、市場が広がる。すでに公立の小中学校で、市ぐるみで学力調査を民間企業に委託したり、公立高校の授業時間を使って民間予備校の模擬試験をしたり、今流行の英語教育を民間の派遣社員をアドバイザーとして授業をさせるなどといったことが、頻繁に行われている現状がある。
 これまで憲法・教育基本法で明記された教育権の保障によって、誰もがあたりまえに学校に通い教育を受けてきた。誰もが疑いもしなかったこの教育の世界に、経済の論理が入ってくると、「より質の高い教育」をお金で買うということが生まれてき、いまやそれは当たり前になっている。(もっとも「質の高い教育」とは、「受験に役立つ学力」を意味するのだが)
 やがては「教育権」が、誰もに等し並みに保障されるのではなく、金を出して買うような時代がやってくるのではないだろうか。金の多寡によって行使できる教育権が違ってくるような時代である。当然、貧困層に与えられる教育と、富裕層に与えられる教育とがちがってくる。これまで日本の教育は、離島の過疎地であろうと、都会の只中の学校であろうと、教育の均等性が図られてきた。それは世界が驚き注目するものでもあった。現在、民営化の浸透とともに「古き教育制度」として切って捨てられようとしている。

 

9月7日  選挙戦を通して考えること A
 
   民営化とはナンなのか

 
せっかくの選挙である、普段考えない政治について、経済について、或いは社会保障や福祉の制度について自分なりに考えをめぐらすにはよい機会だと思う。決して明快な論理や、的確な言葉で表現できるとは思わないが、稚拙な表現でもいい、自分の言葉を使って手探りしながら考え続けたいと思っている。

 「デフレ・デフレ」と言われてもう10年が経過する。一向に景気が回復する気配が見えない。一方で政府や日銀は、「底を脱しつつある」とか、「踊り場」だとか、言葉遊びをしているかのような表現で、「景気が上向いてきた」のだとアピールするのに懸命だ。しかし僕の給与も含めた公務員給与も、今夏の人勧でマイナス勧告が出された。何より生活の実感として「景気がよくなってきている」という感じは全くしてこない。つまり、自動車産業などの一部大企業が大きな収益を上げて黒字に転化したものの、その「もうけたお金」が、私達生活者の側には回ってきていないということになる。
 戦後の高度経済成長の時代、「経済侵略」という言葉をアジアの各国から投げつけられるほどに発展に次ぐ発展を遂げ、富をかき集めてきた日本の経済ではあったが、果たしてこれからの時代、世界の経済競争に勝ち抜いて行けるのだろうか。不可能であることは目に見えている。
 中国と競争して勝てるわけがないことは誰もが認めざるを得ない。韓国、台湾、ベトナムなどアジアの国々は、まさに今戦後日本がたどった経済成長を遂げようとしている。
 おそらく日本という国は、かつてたどった「侵略戦争」でも起こさない限り、これ以上の富の蓄積はできないのだと思う。「競争に勝つ」とか「これ以上」を求めるのではなく、「不景気と感じている現在の状態が普通であって、実はデフレではないのだ」という自覚を持つという、認識の転換が必要なのではないだろうか。今以上の便利さ、裕福さを求めるのではなくて、時に「1億総中流化」と皮肉を込めて言われるけれども、「今の生活でよい」とする覚悟を決めることでもある。
 問題は、拡大が望めない一定量の「富・お金」をどう分配するかである。「もっと」を求めるのではなく「現在の生活を肯定」しながら、社会保障や福祉の充実に使いながら、お互いの生活を守り支えあう考え方ができる。
 しかし小泉流の行財政改革の中で現在進行しているのは、「少数の金持ち」が「もっと儲かる」ような社会の仕組みを作ろうとしている。
 ホリエモンが「郵政民営化」に賛成なのは当然である。きっと年金問題や福祉問題、歴史や靖国問題などはほとんど無関心なのではないか。見事に小泉と重なってくる。なぜなら、郵政事業が民営化されれば、そこに金儲けの機会が広がる。すなわち、一つ民営化がなされるたびに、そこには広大な金儲けのチャンス=市場が出現するからである。
 ホリエモンが「新しい」のは、これまでの資本家は政治献金を使い政治家を通して金儲けのチャンスを開拓してきたのだが、彼は自ら政治の場に赴いて必要な市場を自らの手で開拓しようとしていることである。だから「政治家か社長か」を選択するなどという課題は彼にはありえない。政治を道具に使ってさらに金儲けをするという目的があるだけである。
 繰り返しになるけれど、日本の中にある富はこれからも拡大はしない。その決まった富・お金の自由な取り合いがもたらすものは、「圧倒的少数」の大金持ちと、「圧倒的多数」の貧困者との2極分化以外のなにものでもない。それが小泉流の行財政改革であり、民営化なのだ。
 
 8月17日 51%の支持率が意味するもの

 小泉純一郎という総理大臣が、どのように退陣していくのか、注目し始めていたところであった。景気の回復も進まず、国連安全保障常任理事国入りの思惑も各国の了解が得られず、アメリカにまでそっぽを向かれ、イラクへの自衛隊派兵の根拠も根本から崩れ撤退する国が増えてきた。中国、韓国、北朝鮮からの批判も渦巻いていた。そこに郵政民営化をめぐる自民党内の混乱である。内政も外交も八方ふさがりで、唯一の頼みであった支持率も下降を始めていた。
 そんな矢先であった。衆議院が解散させられた。理由は、郵政民営化法案が参議院で否決されたからというのだ。つまり、「(小泉の)私の考える法案が否決されたから」ということだ。総選挙の争点は「郵政民営化に賛成か反対か、その1点だ」とも豪語する。
 このような選挙があってもよいのだろうか。経済問題、年金をはじめとした社会制度の問題、歴史認識や靖国参拝、戦後補償をめぐるアジアの国々との関係、外交問題等々、切実な課題が山積している。国民の前に具体的な政策を提案し、各党との論議を尽くしながら選挙戦を戦うのが民主主義というものだ。
 「私(小泉)の考え方に賛成か、反対か」を問うだけに、多大な税金が投入されようとしている。これまで構造改革・民営化を言い続け、その槍玉に公務員の税金の無駄遣いを挙げてきた張本人がである。
 かつてアドルフ・ヒットラーが議会対策がうまく行かず、解散して総選挙に打って出た結果、80パーセントを越える議席を獲得した。ホロコーストに到るナチスドイツの独裁の始まりである、という話を聞いたことがある。今回の解散劇を見ながら、なるほどこんな大衆操作の手もあるものだなと、その話を思い浮かべたりしたのだが、戦後60年を経た今、まさか日本の国民がこうした単純な大衆操作に乗せられるわけもないと、勝手に高をくくって眺めていたものだった。
 ところがどうだ、解散直後の内閣支持率が46%と上昇し、今日(8月17日)には、さらに51%と支持を上げている。(朝日新聞世論調査)いったいどういうことなのだろうか。日本という国と、国民性に心底恐ろしさを感じてしまった。むしろ「戦後60年を経た」それが意味なのだと言うべきなのだろうか。やはりこの国は、戦後の60年間歴史と直面すること、歴史的事実を認めることを巧妙に避けながら、責任をすり抜けてきたのだろうか。
 9月11日投票となる選挙戦の舞台は、これからの日本の将来を占うという本来最も社会性を帯びたイヴェントであるはずのものが、全く社会的な構造を持っていない。あたかも薄っぺらな1枚の劇画マンガのページを見ているようである。小泉首相から直接依頼されたという「落下傘部隊」の相継ぐ立候補がマスコミをにぎわせている。東大卒の女性高級官僚であったり、女性政治学者であったり、アナウンサー出身の大臣だったり、カリスマ料理研究家だったり・・・、小泉が自ら描く劇画に色付けのためにヒーロー、ヒロインを登場させ、描かれた本人達はその劇画に自ら溺れ、ヒーロー、ヒロインとして同一化させていく姿が思い浮かぶ。
 今回の選挙戦の舞台で欠落しているのは、社会構造である。特に社会構造を貫く歴史という時間軸が、意図的にか無視され続けている。それは、突如選挙戦の表舞台に飛び出してきた、戦後日本が生み出してきたエリート達の姿を通して最もよく見えてくる。日本の教育が生み出してきたエリート達でもある。
 このままでは日本という国がとんでもない国になってしまう。私たちは今何をなすべきなのか。私は今何をなすべきなのか。「今それを問い始めている」と書くには遅すぎるくらい、切羽詰った事態に私たちの国は追い込まれてしまっている。

 
2005年2月12日  国 を考え続ける人

 新井英一のCDアルバム『清河(チョンハー)への道』(1995.meldac)を買って聞いた。確かその年のレコード大賞アルバム賞を取ったものだと記憶している。何度も繰り返し聞いた。随所に朝鮮楽器が入り、サムルノリが演奏され、見事な構成のアルバムに仕上がっている。聞くたびに、新井英一独特のブルースのメロディーに乗って、パンソリを髣髴させる野太い声で歌う言葉の一言一言に心動かされた。
 12年程前、寝屋川市内で在日韓国人児童に対する差別事件が起こり、多くの人たちの支援を受けて糾弾闘争に取り組んだ。2年にわたる運動の結果、市は「寝屋川市在日外国人教育指針〜とりわけ在日韓国・朝鮮人児童・生徒のための〜」を制定し、市民向けの「ハングル語講座」、外国人のための「日本語よみかき学級」を開講するにいたった。その折に、市民団体と教職員組合の共催で〈新井英一コンサート〉を開いた。次々歌われるブルースに酔い、終盤の「イムジンガン」「アリラン」に胸揺さぶられる思いがしたものだった。
 数年後、たまたま合わせたテレビのチャンネルで、新井英一が日本に帰化したことを伝えていた。何かしら残念な、複雑な思いがしたことを覚えている。しかしこのCDを聞いて、「一人の人間にとって国とはいったい何なのか」という問いに、こだわり続け考え続けている人があることを、感慨を持って知らされた。
 その曲は、「父親その人を何にも知らぬまま、母親だけに育てられた」新井英一が、父親の故郷清河に向かって旅立つところから始まる。叙事的に、時に叙情的に歌い継がれていく。

「やっと来たかとふるさとが両手を広げて喜んで 迎えてくれているような愛しい大地の風が吹く ひとりで歩く清河へのみち (「旅立ち」8.)
「哀しい時代があったことを俺は忘れちゃいないけど 過去を見ながら生きるより明日に向かって生きるのが 人の道だと気がついた (「故郷」16.)
「それから学校行ったなら誰もが俺見て逃げてった 一緒に遊ぼうと思ってものけ者にされてしまうだけ 初めて言われた朝鮮人 (「思い出」22.)
「お前は誰だの問いかけに俺はコレアンジャパニーズ 日本で生まれて育ったがアジアの血を引く人間と 初めて異国でそう言った (「アメリカ」35.)
「こだわり続けて生きるのもこだわり捨てて生きるのも 愛する心があるがゆえ愛される人がいるがゆえ 自由に生きる決心した (「家族」44.)
「旅からわが家に帰り着き迎えてくれる家族見て みんなの笑顔が嬉しくて家族が俺の国だよと 妻と子どもを抱き寄せた (「家族」47.)
「俺のルーツは大陸で朝鮮半島と言う所 俺の親父はその昔海を渡って来たんだと ひ孫の代まで語りたい アリアリラン スリスリラン アラリヨ アリラン峠を俺は行く (「家族」48.)

 
僕が新井英一の帰化の話を聞いたときに感じた戸惑いが、これほどの歴史と個人史の深みから生まれたものでないことは言うまでもない。自分の国についてほとんど考えたことがないことを思い知らされた。歴史を背負って日々を生きる実感も全くといっていいほど持ち合わせていない。
 今、教育基本法に「国を愛する心」を入れようと躍起になっている政治家達、憲法を変えて戦争のできる国にしようとする日本人達の考える「国」とは、いったいどういうものなのだろうか。

12月23日 思想性のない話で恐縮ですが、

 我が家にはテレビが1台しかない。夜の8時、9時ともなると、毎晩のように息子娘達と熾烈なチャンネルの争奪戦を繰り広げることになる。12月12日9時15分からNHKのETV特集で『水俣病は終わらない、不信の連鎖』が放映された。家族は僕が「水俣病問題」に関心を持ってきたことを知っているし、この間の環境省交渉や熊本県との交渉に参加したことも話している。当たり前のごとくに僕はチャンネルを変えた。と、一斉に声が飛んだ。「何で勝手に変えるの」「今面白いとこやのに」・・・。「水俣病の報道番組なんだ。父さんが参加した交渉の場面を中心に編集されてるんやで。」「きみ達にもぜひ見てもらいたいんだ」と応えたものの、「それは父さんの勝手すぎるわ」「私らは今、これを見たいんや」と即座に切り返されてしまった。僕は思わず怒鳴り声を上げてしまった、大人げもなく。
 そしてあわててビデオをセットし、そそくさと別の部屋に行き、オーディオのスイッチを入れてヘッドホンをかけ音量つまみをグイッとひねった。「僕の水俣病問題」が、田村正和に負けてしまった。なんとも思想性のない話ではあるが、これが我が家の日常の暮らしでもある。
11月28日 たかし君

 神奈川の養護学校をこの春退職した友人から電話が掛かった。妻の教職時代の先輩でもあり、結婚以来家族ぐるみの付き合いをさせてもらっていて、我が家の子ども達も物心ついたときから、彼女を「カトバー」と親しみを込めて呼んでいる。
 高等部を卒業した自閉症の障害を持つ18歳の青年が、最近「オオサカ・タカラヅカ」と毎日繰り返し言い続けるので、二人で旅に出ようと考えているのだが、泊めてもらえないだろうかというのだ。ちょっぴり声の調子を改めながら、「何せタカシは、養護学校でも超有名人で知らない教師はない存在なんよ。ちょっと目を離すと教室から飛び出してしまうし、もう皆が振り回されてねぇ。今度の旅もどうなることやら、周りの者も皆驚いている有様でね」と、いつもの軽快な笑いを交えて付け加えた。
 「退職して尚、卒業生と旅行するとはいかにもカトバーらしいな」、と家族で話しながら再会を心待ちにしていた。
 人ごみの中を幾度もジャンプしながら現れた頑丈な体躯を備えた青年は、ひと目で彼と分かる。いきなり僕の手を握り「たかしです。こんにちわ」と挨拶をする。その素早さは「こいつが宿を提供してくれる主人だな(主人かどうかは別として)」、いかにも目ざとく嗅ぎ分けて対応するリップサービスのようでもあった。家に着いて16歳の息子と出会うや、むんずと体を抱き寄せ、13歳の娘達にはしっかと握手を交わして挨拶をする、その社交辞令の鮮やかさに家族の者達はただ目を白黒させるばかりであった。
 二人で銭湯に行ったときのことだった。風呂好きのたかしに君は、自分なりの入浴のペースがあり作法があるだろうから、別段僕が口を挟む必要は何もないのだが、ただ、逞しいからだの青年が得意のジャンプを風呂場で何度も披露するものだから、周りの好奇の目を集めないではいられない、時折声を掛けて「保護者はここにいてますよ」と周りに対するアピールだけはすることにした。
 打たせ湯、サウナ、泡風呂・・・と楽しんでいたたかし君が、勢いあまって水しぶきを上げ、そばでからだを洗っていたおじさんに掛かってしまった。気になり続けていたのだろうそのおじさんが、我慢し切れないといった剣幕で「なにすんねん」と一声上げてにらみつけた。立ち尽くしたたかし君、一瞬の間を置いて、真ん丸く見開いた目をまっすぐにおじさんの顔に向けて「ごめんなさい!もうしません!」「ごめんなさい!もうしません!」と繰り返し、左手の甲を右手のひらで二度三度とたたいて謝った。おじさんはぶつぶつ口ごもりながらもまたからだを洗い出した。
 隣の女風呂で気が気でなかったであろうカトバーは、風呂を楽しむこともなくそそくさと上がり、のんびりと暖簾をくぐって上気した顔を覗かせた僕たち二人を迎えてくれた。
 大阪での3日間、朝も昼も夜も全身で満喫してくれただろうたかし君が帰った後、「楽しかったなぁ、たかし君がいてないとさびしいわ」「たかし君まじめな人やったなぁ。あんなきれいな目をした人初めてや」・・・等々と、子ども達も口々に思い出しては話に花が咲いた。
 それにしてもと思うのだ、たかし君のコミュニケーションの力はたいしたものだと驚いてしまう。小・中学校を地元の学校で過ごし、高等部から養護学校に入ったたかし君にとって、ほとんどマンツーマンで「懇切丁寧に」面倒を見てくれる養護学校の体制はうるさい束縛と感じられたのかもしれない。機を見ては教室を飛び出し、時には学校をも飛び出して自由奔放に振舞った気持ちが理解できるような気がしたものだ。或いは、教師をてんてこ舞いさせた「問題行動」の数だけ、彼は人と出会い、怒られたり、やさしさに触れたり、社会というものに出会ったのではなかったか。実際の社会の中で実践を通して学び培った力といえるのかもしれない。現実と出会に、対処するために否応なく身に付けた処世術であったのかもしれないが、しっかりと自分の障害をアピールしながら、人との交わりを臆することなく突き進んでいくかのようなたかし君の姿は、「健常者」の青年以上に今を生きる力に漲っているように僕には見えた。
 
  
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