百八の煩悩
05.12 by桃谷法信
 裏表紙の”むりょうじゅQ&A” 「除夜の鐘は、なぜ108?」の欄で、くわしく書けなかった煩悩のことについて、仏教学辞典(法蔵館)を参考にして、述べてみたいと思います。
 煩悩は、大きく分けると、貪欲
(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三毒の煩悩がよく知られていますが、各宗派によって、また、その宗学によってその分類はまちまちです。
 唯識宗の分類は、見惑(後天的な煩悩)112と修惑(先天的な煩悩)16を合わせて128の煩悩があるという立場を取っています。

 一般に108煩悩と言われる根拠は、倶舎宗などの説です。
煩悩を大きく6つに分けて、
@貪 A瞋 B慢 C無明 D見 E疑は、根本煩悩((六隋眠)と呼び、枝末煩悩の種という考え方を取っています。
 Dの「見」について、さらに、有身見・邊執見・邪見・見取見・戒禁取見の五つに分類し、合わせて、十煩悩(十隋眠)と言われています。
 さらに、これを88に分け、修惑の十種と合わせて、九十八隋眠と呼ばれています。
 その98に、十纏(じってん:無慚、無愧、嫉、慳、悪作、睡眠、掉擧、昏沈、忿、覆)を合わせたものを百八煩悩といい、また、総じて言えば八万四千の煩悩があるとも言われています。
 要するに、私たちの身や心を煩わせ、悩ませ、かき乱し、、惑わせ、汚す精神作用のことです。

 他の分類を参考にあげると、@三縛 A三漏 B三結 C四暴流 D四軛 D四取 E四身繋 F五蓋 G五順下分結 H五順上分結 I五結 J六垢 K七流 L九結 M十纏 となっています。

 
 ともあれ、煩悩具足の私は、除夜の鐘を撞いたぐらいでは、とてもとても地獄行きは免れません。八万四千どころの騒ぎでは治まりそうもないこの私の煩悩があったればこそ、弥陀の本願が用意されてあるのです。


(1) 次のように、わたしは聞かせていただいた。
 あるとき、釈尊は王舎城の耆闍崛山においでになって、千二百五十人のすぐれた弟子 たちとご一緒であった。また、文殊菩薩を中心とする三万二千の菩薩たちも加わっていた。

(2) そのとき王舎城に阿闍世という王子がいて、提婆達多という悪友にそそのかされて 父の頻婆娑羅王を捕え、七重にかこまれた牢獄に閉じこめ、家来たちに命じてひとりもそこに近づくことを許さなかった。王妃韋提希は深く王の身の上を気づかい、自分の体を洗いきよめて、小麦粉に酥蜜をまぜたものを塗り、胸飾りの一つ一つにぶどうの汁をつめて、ひそかに王のもとに行き、それを差しあげた。頻婆娑羅王はこれを食べ、水で口をすすいでから、合掌してうやうやしく耆闍崛山の方に向かい、遠く山上の釈尊に礼拝して、次のように申しあげた。
  「 世尊のお弟子の目連尊者はわたしの親しい友でございます。どうかお慈悲をもって 尊者をお遣わしになり、わたしに八斎戒をお授けください 」
 そこで目連は、神通力によってまるで鷹や隼が飛ぶようにすみやかに頻婆娑羅王のもとへ行った。そして毎日このようにして王に八斎戒を授けた。釈尊はまた、富楼那をお遣わしになり、王のために教えを説かせられた。こうして三週間が過ぎたが、頻婆娑羅王はその間、韋提希の運ぶものを食べ、尊い教えを聞くことができたので、表情もおだやかで喜びに満ちていた。

(3) ちょうどそのころ、阿闍世王が牢獄の門番に向かって尋ねた。
  「 父はまだ生きているか 」  
 門番は答えて申しあげた。
 「 王さま、母君が小麦粉に酥蜜をまぜてお体に塗り、胸飾りにぶどうの汁をつめて、父君に差しあげておられます。また、仏弟子の目連尊者や富楼那尊者が神通力により空から飛んできて、父君に教えを説いておられます。わたしどもにはとても制止することができません 」
  阿闍世王はこれを聞いて、母の韋提希を怒って言った。
 「 母は罪人だ、罪人である父の味方をするのだから。仏弟子どもも悪人だ。あやしげな術を使って悪王である父をたすけ、何日も生かしておくとはもってのほかだ 」
 そして剣をとって、母の韋提希を殺害しようとした。

  そのとき聡明で思慮深い月光という大臣が、同僚の耆婆とともに 阿闍世王に一礼して申しあげた。(つづく)

法話へ
今月から、ひとくち法話の余白に、観無量寿経の現代語訳を掲載します。
物語風に書かれていますので、新聞小説の感じでお読みください。
本願寺出版社:浄土三部経(現代語訳)より
観無量寿経ものがたり@
新連載