| 新聞書評 |
| 毎日新聞 |
2004年5月28日 |
《文学を志す人は、見聞きすること何でも栄養にするのですね。私たちが見慣れて何でもないと見過ごすものを、よく観察していました。南瓜の花、銀杏黄葉の黄色さに驚いたり、荒平では夏でも霧がたち込めるてとが、あって、いつぞやは霧の中に黄色に輝くものを不思議がり、その本体を探りに行きました。それが農家の灯であったことを突き止めて、霧にぴしょ濡れになりながら子供のようにニコニコして帰って来たこともありました》(秋橋つた)
岡田徳次郎(1906〜1980年)は兵庫県生茨れの詩人・小説家。戦時中、日田市に疎開し、「九州文学」、や自ら創刊した「日田文学」を発表の舞台とした。
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55年、「銀杏物語」が芥川賞侯補。56年、日田を離れ、下関や京都を流浪し、大阪の老人ホ→ムで息をひきとる。文学的には無名に終わったが、奔放な生き方にひかれる人も多い。
本書は、元妻の秋橋つたら5人からの聞き書きで岡田像を構築したノンフィクション小説。詩の代表作や「銀沓物語」も収録している。著者は日田市在住。医院開業のかたわら「日田文学」などに創作を発表。あとがきに「岡田を書くことは、もう一人の私を書く思いであった」と記す。 |
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| 産経新聞 |
2004年6月13日 |
岡田徳次郎は大分県日田市役所に勤務しながら、詩や小説を同人誌に発表し、昭和三十年には芥川賞侯補となった。だが、その後は注自されず、各地を流浪して、一冊の著書も刊行されないまま、昭和五十五年に七十四歳で没した。
日田市に居住する地方作家である著者は、彼の生涯に感慨と共感を覚えたという。本書は岡田の離婚した妻、息子、文芸仲間たちを尋ね歩き、聞き書きという形でまとめられた伝記である。 |
岡田を破減型の文士と呼ぶ声もあるが、そうした作家たちが売り物とする酒乱や暴力、女性遍歴などは見られない。まじめに文学に打ち込もうとしただけだ。生涯に感慨と共感を覚えしただけだ。だからこ、世俗的に無名だったともいえる。巻末に芥川賞候補作「銀杏物語」と詩作のほとんども収録。 |
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| 朝日新聞 |
2004年7月4日 |
『漂泊の討人岡田微次郎』が弦書房から出た。大分県日田市の医師、河津武俊が『秋澄ー漂泊と憂愁の詩人・岡田徳次郎の世界』(講談社)に新たに一章を加え、大幅に加筆、ほとんどの詩を詩撰抄として収録、再刊した。戦後の一時期を日田に棲んだ岡田は、一九五五年「銀杏物語」により芥川賞の候捕になるが話題にもならず、むしろ生活は破綻し、貧
窮と流浪の果てに生を終えた。河津はひとりの不遇な詩人像を深い共感と愛情によって甦らせた。
ここで討をとりあげるのは、岡田にとって詩が文学の入り口であり、出口であったと思えるからだ。それらの詩は悲愁の漂う叙情詩が多いが、現代詩が捨てようとすることばの情で読むむ者の胸を衝く。
寒夜
ひつくり返つたトロツコは
その車輌に映る月光のために
みづから悲しまねばならず
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すべて 凍り
すべて 尖り
一枚の青いスうイド画面の中で
私は凝固し
あゝこの環状山脈の中心から
歩み去りたいと願ふのだが
そのためには 影を
こゝに捨てて行かねばならぬ
(「月下」全行)
この詩から、のっぴきならぬ生活の中で文学への夢捨て難く、苦闘する人の悲哀が伝わる。文学愛好家なら、文人墨客の歴史もつ日田盆地で文学を友として過ごせただろう。だが、彼は文学という業に憑かれていた。(以下省略)
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| 評者 樋口 伸子(詩人) |
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| 読売新聞 |
2004年7月4日 |
岡田徳次郎。無名の詩人である。芥川賞に一度ノミネートされ、その後、ほとんど書かなくなった。大分県日田市在住の著者が、いっとき日田市に住んでいたこの詩人に興味を持ち、彼と関わりを持った五人の語りを通して、岡田徳次郎というその人を浮かび上がらせる。
職場を転々とし、酒を飲むために借金を重ねた詩人は、端から見れば不遇だったし、彼を語る五人のうちほとんどが、彼を堕落させたのは文学であるという。
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しかしこの本が語るのは、戦中戦後という時代、いかに文学が凛然として文学であったか、また文学と格闘した一人の男がいかに(世間一般的な意味でなく)幸福であったか、ということである気がしてならない。
ところどころ挿入されているこの無名詩人による詩が、何よりもそのことを伝えている。ここに描かれる光景や、人と人とのつながりも、過ぎ去った遠く美しいものとして心に残る。 |
| 評者 角田 光代(作家) |
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