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※金目川の下流を花水川と言うが、古来、金目川は「あばれ川」の異名があるように、度々大規模な洪水を起こした川として著名である。・・・・・また、流路も定まらず・・・・・ (高麗)寺領と平塚村の境も不明確であつた。【大磯町史1p704〜】 そして往時は、舳先に観音の化身であるとされる
龍頭のある権現丸
(北下町所有 ) と
鷁首のある明神丸
(南下町所有) という二艘の船形山車の行列が陸路を巡行しましたが、道路交通事情もあつて現在はいずれの船形山車も町中の定点に据え置かれ,ごく限られた下町通りの短区間のみで船形山車の曳航が行われています。しかし、曳航とは言うものの多くの
神輿と担ぎ手と 見物客でごったがえす道幅の狭い道路では動きも制約され、京都祇園祭の山鉾巡行や秩父祭りの屋台のような軽快さと辻廻しのような豪快さが見られないのは致しかたのないことでしょう。一方、早朝に神社本殿の御霊を移し替えた 御輿は、六時に出御。高来神社の宮御輿を先頭に町内を練り歩き正午に照ケ崎に到着。 高来神社の本地仏「千手観音」が海中から引き挙げられたとされる照ケ崎海岸には町内から多数の御輿が参集し、特殊神饌アワビ(海中から引き揚げられた千手観音にアワビが付着していたことに因み) と舞の奉納など神事による潔齋が行われます。 夏の大祭では、御神酒所や神社など一定の場所でその場所毎に古くから伝承されてきた 「木遣り歌」 が 木遣り師
歌上げ師全員によって、舟型山車の下で唱和され奉納されます。夏の大祭で唄われる「歌」は多数ありますが、唐人渡来から古くは唐(もろこし)ケ崎とも呼ばれた照ケ崎について次の様な 【権現丸の(木遣り歌)】あります。 「我が村の源流を探る」兜カ芸社p149 ※「そもそもこま大神の由来をくわしく尋ぬれば、応神天皇十五代の御時に、にわかに海中さわがしく、浦の漁船あやしみて、唐船一そう八ツの帆をあげ大磯の方へかじを取る。はるよと見る内に、程なくみぎわに船は着き浦の漁船をこぎよして、かの船の中よりおきな一人立ち出てやぐらに上りて声をあげ、「汝らそれにてよく聞けよわれな日本の者にあらん。もろこしの高来国の守護なるが、じゃけんな国をのがれ来て、大日本に心がけ、汝らきえする者なれば、大磯浦のじごとなり、子孫繁昌を守るべし。」 あらありがたよと拝すれば、やがて漁船の船に乗りうつり上がらせ給ふを見るよりも、明神様を乗せ奉る船なれば、明神丸とは是れをいふなり。」 ここ【高句麗人大磯高麗へ渡来の図】をここをクリックして下さい。木遣りに歌われた唐船渡来のイメージ絵(前山茂氏画)がご覧戴けます。 また夏の大祭では、海から引き上げられた高来神社の本地仏の <
千手観音の由緒について次の様な意味の歌が唄われています。※「応神天皇十五代の時に大磯浦の漁師「蛸井之丞(加藤たこのじょう)」の一行が漁に出かけると、突然海中から光があらわれ、波間から一匹の小蛸が現れました。 その小蛸が船に近づいてきて船にあがってきたかと思うと不思議なことに千手観音に姿を変えていました。 その千手観音は高麗権現に奉納され、光り輝く千手観音があらわれた海岸を「照ヶ崎海岸」と呼ぶようになりました。」 明神丸の「木遣り歌」より ・・・・・【参考図書】「神奈川県民俗芸能誌」錦正社 (文学博士) 永田衡吉・・・・・・ ※権現の権とは権(仮り)に現れるという意味で、 権現とは仏が形を代えて日本の神として現れた姿を言う(広辞苑)が、徳川家康の尊号でもあり、その濫用は禁止されていました。また、平安時代から続く神仏混淆は明治時代の神仏分離令で終わることになり、飾り船「権現丸」も現在は神明丸と呼ばれています。 ※曳き上げられた千手観音には、高麗王の念持仏と腋の下に認められていた・・・とあります。大磯町広報=s27.7.31発行 なお、千手観音は子の年にのみ開扉されます(次回は平成20年)。 ※養老年間(717年)に行基(660〜749年)によつて千手観音を本尊とする高来寺が建立されたが、この時神仏を同一とする「本地垂迹説」の影響から神社と寺院が同一の敷地に存在する様になつた。 ※海を生活の場として暮らす漁民には、海のかなたに神(千手観音)の住む世界・【補陀落(ふだらく)浄土】があり、海から神がやつて来るという深層意識・民俗信仰があると言われています。そして、墨田川で漁師の網に観音像がかかつた(東京・浅草寺縁起)、鎌倉・長谷寺などにも海から観音像が曳き揚げられたとする伝承があります。 ※観音と海との密接な関係が説かれた経文が観音の功徳を説いた「法華経」の中に、次のような部分があります。 "もし、大水にただようことがあつても御名を称える者があれば、たちまち浅いところに逃れることができます。もし、数限りない衆生が、金、銀、・・真珠などの寶を求めようとして大海に入り、にわかに暴風に襲われて、船が食人鬼の国に流されてもそのうちのひとりでも観音様の御名を称える者があれば他の人々は食人鬼より危害を加えられることなく無事に寶を得て帰ることが出来ます。”→講談社現代新書「観音のきた道」鎌田茂雄p166 ※難解な歌詞と曲節からしても、舟歌の起源が漁師自身の創出とは考え難い。渡来伝説を否定する郷土史研究家もありますが、その当否はさて置き、大磯の御船祭の祝歌には高句麗からの渡来人上陸の様子が今日も唄い継がれているのです。 観音は海上交通の守護神だつたのです。 |