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【泣いて笑って】の経緯
泣いて笑って代表の“おかよ”は1998年5月2日 妊娠21週4日 細菌感染による前期破水により、第1子である娘を人工死産で喪いました。現在は、地上に4人の息子達を授かっています。
2004年7月: 【泣いて笑って】開設
2007年8月:【人工死産経験者のためのコミュニティサイト 泣いて笑って】としてリニューアル
2009年1月:【出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援を考える 泣いて笑って】としてリニューアル
TEL:0957−46−5830
FAX:0957−46−5830
E-mail:こちらから
管理人おかよは、一般に安定期といわれる妊娠5ヶ月に入る直前の出血が止まらず、切迫流産で入院になりました。そしてその1ヵ月後「羊水過少かも」と診断されて大きな病院へ転院。検査の結果「前期破水」と診断され赤ちゃんの肺低形成などの理由からお空に還しました。前期破水の原因は細菌感染によるものです。そして流産・死産ではなく「人工死産(中期中絶)」の選択を突きつけられました。 このときの人工死産体験をまとめたページはこちらから
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mixi内に非公開制・承認制のコミュニティを設置しています
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「sky&sky 長崎の空」
1998年9月
妊娠週数23週1日 体重451グラム 超低出生体重児(超未熟児)として生まれた姪っ子についてはこちらから
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書籍のお知らせ
流産・死産経験者でつくるポコズママの会/編集
2007年6月1日発売
詳細はポコズママの会HP内専用ページへ
執筆者11名のうち3名は人工死産経験者です。当サイト管理人は【「二十二週」という壁】を寄稿しました。
【泣いて笑って】管理人はポコズママの会のスタッフもしています。
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後悔しないために
〜これから赤ちゃんとお別れされる方へ〜
私が1998年当時、娘を人工死産した際に病院側からは、赤ちゃんとのお別れについて何も提案がありませんでした。今でこそ、赤ちゃんとの思い出を残してくれる病院も少しずつ増えてきているようですが、まだまだその数は少ないのが現状です。
今、このページをご覧になっている方は、苦渋の決断による人工死産でお別れする日が近づいていて、いてもたってもいられなくて検索しまくり、やっとここに辿り着かれた方もいらっしゃるかもしれません。
・・・もしそんな方が、このページを今、読んでくださっているのなら、どうしても私はお伝えしたいことがあります。
私が娘を喪って何年も経過し、息子たちを授かってもなお、娘への想いが苦しすぎるほど胸の奥にくすぶっていたその一番の大きな理由は、やはり娘とのお別れが納得できたものではなかったからだと思っています。
病院側を困らせてはいけないという遠慮 または 当然してくれるものだと思っていたケア などが受けられず、気がつけば赤ちゃんは突然自分たちの前からいなくなっていて「確かに愛しい我が子が存在した」という証拠も思い出も残せなかったということになってしまうことだってあります。
それはあまりにも悲しいことだと私は思います。
どんなに混乱していても、どんなに現実を受け容れるのが困難でも、自分の意思とは反対に物事は進んでいきます。時間は流れていきます。
赤ちゃんが人工死産でも死産でも“産まれてきたら”・・・その後に必ず待っているのは赤ちゃんとのお別れなのです。人工死産の場合、そのほとんどは12週以降になります。12週以降の赤ちゃんは火葬に出すことになります。
葬儀社が手続きを代行するところもあるようですが、私たちの場合は夫が病院側から出された書類を持って市役所に行き、火葬許可をもらってきました。そして夫一人で娘が火葬されるのを見守っていました。
私は自分も火葬場に行きたいけれど、それは申し出てはいけないものだと思っていました。
21週での人工死産。それまで1ヶ月以上も出血していたこともあり、かなり体力も落ちていました。ベッドの上で絶対安静の日々を過ごしてきたせいで足の筋力も落ち、歩けばひざがガクガクと笑うほどでした。ですから「行きたい」なんて言ってもどうせ許可されるはずがない。わがままを言ってはいけないと思いとどまったのです。しかし今思えば・・・我が子なのに何を遠慮していたのだろうと・・・後悔しています。
また、もうひとつ肝心なことは火葬の前の赤ちゃんとの思い出づくりです。
残すことが可能なものとして
・へその緒
・髪の毛
・写真
・手型・足型
・エコー写真
・母子手帳
・ビデオ
などがあります。
重ねて言いますが、こういった思い出づくりをしてくれる病院は残念なことにまだ少ないです。ですからパパやママから「こうしたい」と病院側に伝えることも大切です。きっと聞き入れてくださるところも多いのではないでしょうか。
日本では亡くなってしまった赤ちゃんのことは「早く忘れた方がいい」「なかったことにしよう」という考えが根強いように思います。ですから思い出を残すことにパパやママでさえ迷ったり悩んだりされるかもしれません。
実際に私たちもそうでした。
私から娘の写真を撮ってほしいと夫にお願いしましたが「写真を撮ってどうなる?かえって辛くなるだけじゃないか。この子のことは俺たちの心の中に残しておくだけでいいじゃないか。」と言いました。私もそこで強く反論できるほどの気力も体力も残っておらず、それもそうだね・・・とあっさり引き下がったのです。
でも、今だからこそ言えます。それは間違っていたんだと。もし思い出を残しておいてあとで必要ないと思えば、その時にあらためて考えればいいことです。
また他にも思い出はつくれます。それは、赤ちゃんと一緒に過ごす時間そのものなのです。赤ちゃんを部屋に連れてきてもらって抱っこしたり 添い寝したりお風呂に入れてあげたり・・・。
赤ちゃんはもう亡くなっているのにそんなことをしても・・・。そう思われますか?
だけど私はそういう時間こそがかけがえのない親子の時間であり、またパパやママが現実を受け容れ、優しく温かな思い出を残すのにもっとも最適な方法だと思います。
私は娘とゆっくりお別れする時間さえありませんでした。火葬場に送られる直前の約30分ほどしか娘と一緒にいられませんでした。それが今でも悔やまれるのです。
また火葬場では「これぐらいの週数だと骨は残りませんよ」といわれることも多くあります。私の夫もそう言われたそうです。だけど夫は見届けるのが役目だと思って待っていたそうです。
出てきた娘の身体は綺麗に焼けてしまっていたそうです。ただ細い細い・・・たぶん大腿骨であろう骨が2本、そこには残されていたと。少し揺さぶるとあっという間に崩れた、と夫は言いました。しかし夫はその骨を持ち帰ってきてはくれませんでした。
病院で待っていた私は火葬に出すということは骨が残る。骨が残るということは当然、その骨は私の元に戻ってくると信じて疑わなかっただけに・・・手ぶらで戻ってきた夫の姿を見て愕然としたのを・・・今でも忘れられません。
たとえ週数が少なく小さい赤ちゃんでも、骨は残ります。わずかでも・・・きっと残ります。そしてその骨を持ち帰ることだってできるのです。ゆくゆくは自分たちで供養したり他にも様々な方法で、我が子をそばに置いておくことだってできます。たとえばジュエリー(ペンダントやリング)にして身に着けることもできます。

私の想い
私と同じように赤ちゃんとの思い出を残せなかったママやパパもいます。
きっと諦めざるをえなくて・・・でも諦められなくて、いまだに後悔したり淋しくなったり辛くなったり苦しくなったり。そんな方も多いのではないかと思います。
もっとあの時、情報があったなら・・・と、私自身が強く思いました。
もっと何かアドバイスしてくれる人がいれば・・・とも思いました。
このページをご覧になってくださる方全てが、赤ちゃんとの思い出づくりに前向きになって下さるとは思いません。私としても強制はできません。ですが、こういう方法もあるんだな。こういうこともできるんだな。と、選択肢があって自分でそれを選び納得できるのであれば、それが一番いいと思います。
私にとって娘の思い出は
母子手帳と数枚のエコー写真だけ・・・。
私にとって娘は大切な大切な宝物です。
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