【文楽の歴史】

浄瑠璃の原型は、室町時代と考えられています。はじめは、盲目の楽人が「平家物語」などを、琵琶の演奏にあわせて語って聞かせていました(いわゆる琵琶法師)。
その後、今日の三味線がうまれ、人形浄瑠璃と結びつき大きく進歩しました。


そのころの浄瑠璃は、縁起物や武勇伝が多かったのですが、竹本座をおこした竹本義太夫・近松門左兵衛門出現により、「曾根崎心中」に代表される世話物という新しいジャンルを確立し、大きな人気を呼びました。
また、義太夫の弟子が豊竹座をおこし、竹本座と対照的な芸風をもって互いに競争し操り浄瑠璃の全盛期を作りあげたました。

一時は隆盛を極めた竹本座も衰退したのち、19世紀始め頃、植村文楽軒が、大阪に人形浄瑠璃の小屋を建てました。
そして明治5年劇場の移転を機に、その名称を文楽座し、往年の竹本・豊竹の二座対立時代を思わす様な、華やかな一時代を展開しました。

人形浄瑠璃の人気は高まり、技芸の向上も目覚ましく、明治の黄金時代を作り出しました。 後の文楽座は対立する彦六座系の大夫・三味線・人形遣いを1つに包含することになり、人形浄瑠璃の古い歴史と正しい伝統を受け継ぎました。
「文楽」が人形浄瑠璃と同意語として用いられるようになったのはそのためです。


【文楽の面白情報】

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