接触事故から20分後。
フラガが機転を効かせて、衝撃の慣性で高速のまま流されるリィの機体にアンカーを打ち込み、ガゼルUに曳航。
コクピットから引きずり出されたカーレル・リィ大尉は意識のないまま整備クルーに抱えられてエアロックの内側に戻った。あまりの急激な機動に身体がついてゆけず、嘔吐した挙げ句のブラックアウト。窒息寸前であり、吐瀉物にまみれたヘルメットやパイロットスーツを引き剥がされてストレッチャーに固定され、人工呼吸を施されていた。
セーラやリンツ軍医、看護士らによって処置を受け、喉に詰まったものが吸引され、リィがやっと意識を取り戻しかけた頃。
デッキに擱座したリィの機体をハンガーの所定の位置に据えるところまで手伝っていたフラガが戻り、他のパイロット達に取り囲まれる騒ぎとなった。
「何したんだよ、オメェ!」
「接触しただとぉ?きちんと僚機を避けられもしねえひよっこにテストパイロットなんざ務まるかよっ?」
スーツのファスナーを腰まで下ろしていたために、リィの弟分のリョウタロウ・マツザカ中尉がその襟元につかみかかり、フラガを壁際まで追いつめる。頭一つ分小柄なマツザカだが、マーシャルアーツでも名をあげた彼の腕力はかなりの強さで、勢いもあって、背中のパックが壁に当たり、ガツンと大きな音をたてた
「自分は、予定のテストをしたまでです。しかし、いきなりリィ大尉はプレブリーフィングとは違うことをやると言ってきた」
なんだとっ?と周囲がどよめく。
「ブラックボックスを解析すれば、わかることでしょう?一方的なつるし上げはごめんだ!」
「なっっ…?!」
「全員、いい加減にしないか!!!」
背後にグレイブ中佐と、艦長が並んでやってきていた。
「フラガ少尉、怪我は?」
「ありません。中佐、我々の会話は…」
「管制室でモニターされていた。皆聞いていて、記録もされているから心配はいらん。マツザカ中尉、仕掛けたのはリィ大尉の方だ」
絶句するマツザカの腕を振りほどいて、艦長と主任技官に向き直り、フラガは改めて敬礼した。
「…なんで、なんで、お前なんかがトップなんだよ…?一番のひよっこのクセに…」
ストレッチャーが医務室に搬送されたのを見届けたセーラの耳に、飛び込んできたのはマツザカの絞り出すような呟き。
原因。
”トップ”!?
彼らにこんな無茶をさせたのは。
まさか、自分の言葉の不用意さであったというのだろうか…?
他の士官らに囲まれるようにしてその場から連れ出されるフラガ以外のパイロットらの後ろ姿を。
セーラは。
胸の前で掌を握りしめて見送った。
そのままの姿で、艦の高級士官から事情聴取されたフラガが解放され、セーラの元を訪れたのはそれから三時間が過ぎた頃だった。
他の軍医や医療スタッフと共にカーレル・リィ大尉の検査と治療を行っていたセーラは、まず、温めたお茶のドリンクパックを手渡して、カーテンで仕切られた一角のベッドに座るように促した。
「一応、脳波と心電図は取るわね。あと、レントゲンも。痛むところは?」
初めて見た、その男の憔悴したような顔。眼を伏せて、首を横に振る。
セーラが看護士を呼んで、患者用の着替えとタオルを持ってこさせ、検査キットを開いた。
「リィ大尉は?」
ドリンクに一度だけ口を付けて。彼は伏せた顔の額に手をやり、前髪をぐしゃぐしゃと掻きむしり、吐き出すように尋ねた。
「酷い脳震盪と貧血、部分的な打撲。骨折は無し。もう少し休めば、意識も落ち着くでしょう。ちょっと、混乱してるけど」
「…オレ…」
「よくやったと思う。機体の破損、見たけど、あの状態で吹っ飛んだリィ大尉のことまできちんと回収して、貴方も戻った。あなたは、できる限りのことをした。精一杯に。…できないことに欲張って手を出すのは、蛮勇というものでしょう…?!」
静かに。胸一杯に息を吸い込んで、フラガはゆっくりと身体の力を抜いて息を吐いた。
ああ、なんでこの女がマムって裏で呼ばれるのかが、わかる。
わかるような、気がする。
多分逆のことをしていたら。張り飛ばされていっぺんに目を覚ましている頃だろう…。
看護士がスーツを肩から脱がせにかかって、うわ…と声をあげ、手を止めた。
フラガのインナーの肩は滲んだ血で赤く汚れていた。
「怪我してるじゃないの!!」
あわてて鋏を入れて、そっと引き剥がしたインナーの下。いつもより酷く皮下出血して赤黒く斑になった肌。フルハーネスのシートベルトの当たる部分は擦過傷になり、ずるりと剥けて、インナーに貼り付いて乾きかけていた部分がまた剥がされ、新たに出血していた。接触した瞬間の衝撃で、パイロットスーツの中で身体がそれだけ動いた、ということだろう。
「気が、…つかなかった…見ると、痛いもんだな…」
事故の瞬間に。どれほどの衝撃があったのか。フラガの身体の傷が物語っている。
もしも、無意識のうちに、ダメだ!と諦めて、意識を手放していたら。多分二人とも助からなかっただろう。
軍医としていくつかの現場に立ち会った経験上、セーラにはわかる。
運の良さ。そして、ギリギリで最悪のダメージを、恐らく指一本分制御することで回避し得たのだ、この男は。
下着一枚になったところで、全てのキズを確認して、手を休めることもなく治療をするセーラは、看護士が席を外したときに、極度の緊張で冷え切って固まったままのフラガの指をそっと握りしめて、言った。
「よかった。生きていて。死んだら、お終いなんだから…。ねえ、何があっても死んじゃ、だめよ。何があっても…」
その言葉と、ぬくもりの重さ。多分、誰にでも等しく与えられる微笑み。
機体が接触したあのときの酷い衝撃と共に、一瞬脳裏をよぎった「死」。
ダメなら、ダメなその時…。
そんな風にうそぶいてきた自分。
誰も待つ者はいない自分。基地に戻ればかわいくて若い下士官の女の子の一人や二人は笑顔で迎えてくれるかもしれない。
でも、本気になって自分のことを案じてくれる人間が、果たしているのだろうか…。不穏な世界情勢、危険を伴う「仕事」、いつ死んでしまうかも分からないような男を…。
親ですら、自分たちの都合でしかオレを見なかったってのに。
そんなに優しくされたら。
温かい手で。言葉で。優しくされたら…。
勘違い、してしまうじゃないか…。
「今日は此方に泊まってもらうわ。手当が済んだら、検査、始めましょう。眠っていて構わないけど、…大丈夫…?」
「ああ…」
採血と検査機器のセットが終わり、フラガの身体がベッドに簡易固定される。微少重力下のベッドとしては、むしろ病室の方がランクが上で、心地よい。
「眠ると良いわ。無理しないの。さっき、主任技官には報告しておいたから、貴方は明日までは入院患者扱い」
「…アリガト…」
「どういたしまして。後で、様子を見に来るから。お休みなさい」
「おやすみ」
そんなあたりまえの言葉を交わしたのは、そういえば、随分と久しぶりだな…。
ふうぅっと、遠のく意識。ほんのちょっと前。あんな酷いことが身の上に降りかかったっていうのに。
ものの10秒で。
様子を覗いたセーラの前で。フラガは安堵した子供のような表情で、深い眠りに、落ちた。
「OSが書き換えられていたんです」
ソフトウェア担当の技官と整備員からリィ大尉の機体の調査結果を聞いて、グレイブ中佐はため息をついた。機体の修理に要する時間は、他の機体の試験を圧迫することは必至であり、艦長と顔を見合わせる。
「先日来の試験から、リィ大尉の身体の負担と機体のスペックのすり合わせをしてきたわけですが。現段階で最適化された数値を…越える値でいくつかいじられた形跡があります」
「誰が、それを?」
「今日の試験を前にして、リィ大尉とグッデンバーグ中尉、マツザカ中尉が全員分のデータを確認しにきたため、公開された部分のみですが、開示いたしました」
そして、技官が口ごもり、整備員と視線を交わし合う。
「その後、試験の直前に今回の事故機の調整にその三名のパイロットが関わったおりましたことは、担当の整備員数名から確認が取れております」
「どこを、いじられた?」
「具体的に申しますと、長くなりますが…。機体の制御に関わる部分で、リミッターを外したような形跡がみられます。リィ大尉機の出力の限界の数値を超えるように、いくつかの設定を変更してありました。…それが…」
技官が口ごもる。
「どうした?」
「リィ大尉と、フラガ少尉のデータを比較しまして、フラガ少尉のデータの数値が凌駕していた部分ばかりが、書き換えられておりましたので…、それが、気になりまして」
差し出されたディスクを苦い表情で受け取り、グレイブ中佐が「馬鹿者が…」と呟く。
「とにかく、リィ機とフラガ機の修理は進めておいてくれ。この二機の試験については、他の5機とは切り離して考えることにする。しかし、グッデンバーグ、マツザカ両名の試験もことによっては中止だな…」
まず、事情を聞かねばならん。
技官と整備員が敬礼して退出するのを見送って。
頭に入っている艦の運航スケジュールと、試験の予定を比較して、口元がへの字に曲がる。
「人死にが出なかったのが幸いだがな。大きく影響を受けるのは避けられん」
子供ではあるまいに…。
往々にして、パイロットによくある冒険心なのか。最も若いフラガの叩き出したデータが気に入らなかったと言うことか。
子供ではあるまいに。
自分たちのしたことが、どれだけの影響を周りに及ぼすことか…。
そこそこの技量で、プライドの高いまま野放図に高くなった鼻っ柱を、へし折らねばならない。それも、気の重い仕事ではある。
それを察してか。艦長が口を開く。
「一休みしたらどうか、グレイブ中佐。事故の処理と、できる試験の分のスケジュールを再構築する必要はあるが。根を詰めても良いことはないだろう」
「は…」
「フラガ少尉が巻き添えになったものの、命に関わることにならず、良かったな」
本当にそうだと思う。実際、人死にが出なかったことが、何よりの不幸中の幸いだ。
そして。
事故は不幸な事だが。
一番年若い彼が逸材であるらしい、ということが、見えてきた。
さて、どう事を収めてゆくべきであろうか。
暫く忘れていた紫煙の感触が恋しい。
アーネスト・グレイブはふとそんな事を思った。