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「沖縄チャンプラ亭」 仲村清司著 仲村氏の最新著書です。 私が、この本を読んで、いっちばん、びっくりしたこと、「へぇー!!」と 思ったことは、仲村氏のご両親が沖縄(那覇)に引っ越してきたということです。 弟さんも2004年から、すでに沖縄で暮らしているそうです。 そして、なんと!なんと!!ご先祖代々のお墓までも越してきたことには タマシヌギルくらい、びっくりです。正確に言えば、おじいさま達ご先祖様のお骨は はるか海を越えて、この沖縄の地にやってきて、中城村(なかぐすくそん)のお墓に おさまったのでありますね。 これで、実質的に、仲村家の皆さんはご先祖ともども沖縄に帰っていらした(?!) わけなんですね。 なぜに「帰ってきた」になるのかと申しますと、 仲村氏の本を読んでいる方は、ご存知の方も多いかと思いますが 氏のおじいさまは沖縄県中城村(なかぐすくそん)から、大正12年に 大阪に移り住まわれているんですね、、、で、氏のご両親も、 内地の生活が50年以上ということですが、、もともとは中城村の ご出身ですから、やっぱり「帰ってきた」になると、 私は思いたいのですが、、、 そのことを読んで、私はあるラジオのインタビュー番組を思い出しました。 沖縄の離島・宮古島出身の方のインタビューでした。 その方は、本土に出てきて、仕事も軌道にのり、沖縄の親御さんを本土に呼び寄せ たそうです。何十年もがんばって、仕事のほうもだいぶ安定してきたので 子供達にまかせ、経済的にもゆとりが出てきたので、高齢の親御さんに言ったそうです。 「生まれ島に、家を建ててあげるから、島に帰ってのんびり暮らすねー?」と。 親御さんは、答えました。「子供達のいる場所が、私たちのいる場所だから」 。。。お父様は、生まれ島には帰らず、本土の地で生涯を終えたそうです。 ウチナンチュの家族の強い絆みたいなものを感じましたね〜 |
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2005年11月19日 「はるかニライ・カナイ」 灰谷健次郎著 なんだか最近、気持ちが、ギスギスしてきたなーと、感じたら こんな本はいかがでしょうか、やさしい気持ちになれるかも・・・ 沖縄の離島、渡嘉敷島が舞台になっています。 裕子ちゃんという都会で育った少女が、観光ではなく、島で 暮らすことになるんです。最初、試しにすこしの間、島で滞在して そして都会へいったん帰っていって、その後、 島でほんとうに暮らすかどうかの返事の手紙がくるんですが。。。 「「「都会では、まわりにたくさんの人がいますが なぜ自分は、孤独を感じてしまうのでしょう」」」 そのようなことを書いてありました、じつは私も感じたことがあるんですよ、 その孤独というものを。 内地に暮らしていたときのこと、スクランブル交差点で 信号待ちをしているとき、大勢の人と車が行きかう雑踏の中。 「こんなにおおぜいの人がいるのに、皆がそれぞれの目的に向かって、 何かに追い立てられるように、急ぎ足で歩き、お互いのことを 少しも気にとめるようすもなく、なんだか孤独だな〜」と。 灰谷健次郎氏の作品は沖縄を舞台にした本が多いと思います 何冊かは読んでいますが、「太陽の子(てぃだのふぁー)」は まだ読んでないので、読んでみたいですね |
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「笑う!うちなーぐちFAX小全2(たーち)」 ラジオ沖縄「前田すえこのいいことありそうウィークエンド」沖縄探検隊 この本は県内のラジオの人気番組、「いいことありそうウィークエンド」の ひとつのコーナー「沖縄探検隊」へ、寄せられたリスナーの皆さんの FAXで構成されています。 このラジオのコーナーは毎週「うちなーぐち」をテーマにして、ありとあらゆる 内容の投稿がリスナーから寄せられるんですね〜 その内容といったら、皆さんほんとに素人(?)とはおもえないくらい。 1998年ころまでラジオを聴きながら、仕事をしていた私は、 仕事中であることを忘れるくらい笑ったり、 「わたしもこんなことしているさー」とうちあたいしたり、 ときには、ほろっとくるような話に心があったかくなったり、 とにかくおもしろ名物コーナーなのです。 その番組とコーナーは、今(2005年10月)も人気はおとろえません。 その名物コーナーが本になってるんですから、おもしろいに決まってます。 (断言してます・・・笑) ナイチャーさんにとっては「こんなときにこんなふうにウチナーグチをつかうんだね」 「こうゆう状況のことを言うのか、この方言は!」とか、 うちなーぐちを理解するのにベリーグッドな教本になると思いますよ。 じつは、私もこのコーナーへよく投稿していたんです。 第1巻もでているのに、なぜに私はこの2(たーち)がでたとき、買ったのか、 それにはわけがありまして・・・。 2(たーち)がでる少し前、私の投稿したFAXがけっこうパーソナリティの方たちに うけたらしいのです。なぜ「らしい」なのでしょうか、 そのときもラジオをBGMがわりに流しながら仕事をしていました、 FAXの最初のところをパーソナリティの方が読みはじめ、「おっ!私のFAXだ」と 内心ウキウキ。すると、職場の人が「○○はこれでいいんでしたっけ?」と、 仕事の話をしてくるではありませんか、(仕事中ですから、あたりまえですね、 いけないのは仕事中、ラジオにうつつをぬかしている、わ・た・し) ラジオの話もうわの空〜仕事の話もうわの空〜 けっこう、うけていたってきいたのは家に帰ってから。 これまた常時ラジオをかけっぱなし(聞いてる局も同じ局〜)の 職場にいるうちのダンナさんが「FAX、うけてたよー」と、 話してくれました。 そのあとに、この2(たーち)がでたんです、ぜったい私のFAXも 載っているはず!っと、即購入。でも残念ながら載ってませんでした、ガッカリ。 まだまだ私は力不足だったのですね〜。 |
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ナツコ 沖縄密貿易の女王
奥野 修司著 私の今いちばん読みたい本! (「うちなーいなぐはやっぱり、チューバー」を 証明してくれる本かも・・・) ・うちなーいなぐ→沖縄の女性 ・チューバー→強い、強い人 今(2005.8.8)読んでいるところです きのう(2005.8.19)ウークイでおばぁの家で テレビ見ていたら、この本が紹介されていました。 著者の方のインタビューもありましたね 県内の番組だったようだけど、やっぱ今、沖縄で 話題になっている本なんだね〜、まだ読んでる途中 だったんだけど、図書館の貸し出し期限が きたので延長しにいったら、他にも予約があって そのあとになるとのこと。 つづけて読めないのね(残念〜)その次にまわってくるように 予約しました、しばらく「ナツコ」は私の手元から 離れてしまったのでした〜 ------------------------- 2005年9月11日 手元を離れていた「ナツコ」がふたたびもどってきました。 終盤を読んでいて、ふと頭にうかんだことは、 「映画にするとぜったいおもしろいと思う!」 (もう映画にするお話があったりして) 沖縄で名の知れた企業も出てくるので、とても身近に感じた本です。 夏子が「幸陽商事」という貿易会社を設立してからのことも、当時の 沖縄経済の全貌がうかがえて興味深いところです。 1951年頃、沖縄のメリケン粉市場の40%〜50%を その幸陽商事1社で占有していたなんて! 「天下の悪路」として有名だった国際通りを 「ぜったいに栄える場所」と断言して、ビルを 建てたんですから、先見の目のある、ほんとにすごい女性です。 国際通りは夏子の言ったとおり「奇跡のワンマイル」と 呼ばれるほどの大発展をとげました。 「香港通り」、はじめて耳にする名前です。那覇市壷屋近辺に そう呼ばれていた場所があったんですね、50年前、貿易で 栄えた通りで、夏子の「幸陽商事」もここに会社をかまえていた とのこと。いつか行ってみたいと思います、遠い場所でもないですから。 夏子は東京の病院で病気の治療をしていますが、 いかに沖縄の一般庶民よりぬきんでていたのかが うががえます。 時代はもっと後になりますが、私が小学校の5年か 6年のときに、大阪万博があったんです。 そのとき万博に行ったのが、クラスで1人の男子 だけだったんです、クラス中から羨望の的でした。 とうぜん本土に行くにはパスポートもいる時代です。 私の年代の子供時代は、本土は遠い遠い場所だったのです。 むしろアメリカのほうが近く感じたくらいです。 現実にナツコというひとりの沖縄女性が生きていたということは、 同じ沖縄の女性として誇りに思い、そして「ナツコ」を書籍と いう表舞台に出してくれた著者の奥野氏に感謝したい気持ちで いっぱいです。奥野氏も記しているように 「アメリカ世」(あめりかゆー)でも「大和世」(やまとゆー) でもない輝く「沖縄世」(うちなーゆー)がすこしのあいだでも あったことがうれしいですね、今の沖縄からは想像できないことですが・・・ |
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沖縄の人だけが食べている 仲村清司著 ごめんなさい、仲村さん。なんであやまるかというと 沖縄で生まれ育ったウチナンチュの私には あまりにもフツーすぎておもしろくなかったんです、この本。 「島どーふ」、「ポークたまご」も、「かちゅーゆ」「いなむどぅち」も ふだん、あるいは何かの行事のときに、フツーに食べているもの ばかりだもの。 ん?!ちょっと、まって!ということは、県外の方には 風変わりでいて、おもしろいってこと? |
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沖縄ダークサイド 本当は怖い”癒しの島”! ここに載せようか、どうしようかまよったんです。 ダークな面ばかりをとりあげた本です。 目をそむけたくなりました、ほんとは最後まで 読んでないんです。読むのに落胆のため息でちゃって、 疲れちゃって、閉じてしまいました。 読むのに体力のいる本です。 |
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102歳のロビンソン・クルーソー 渡久地 政瀧(とぐち せいりゅう)著 鈴木 信 監修 沖縄本島の北部のとある集落に一人暮らしの 渡久地 政瀧さん。その生活ぶりは のんびり、ゆったり、無理せずほがらかそのものです。 読み進めるうちに「年取るのって、な〜んも怖くない もんなのかもな〜」と感じましたね〜 そんな政瀧さんも67年間連れ添った奥さんを 亡くされたときは、とても悲しかったそうです。 そんなとき、心を癒してくれたのが、畑仕事と三線。 畑にいるマイマイ(かたつむり)や、すくすく天に 向かってのびる芽の小さな命を見つめて元気を とりもどし、そして三線を片手に悲しい歌や楽しい歌を 思うままに歌ううち、気持ちが軽くなったそうですよ。 私もオバァになったら、三線を習おう!と 思いました。 百歳のときにテレビ番組の出演のためにおとずれた 大都会の東京にびっくりしたとあります。 私も10年ほど前に家族で旅行に行ったとき あのものすごい高さの都庁を見上げたら、十数秒で 首が痛くなりました(苦笑) |
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「ウーマク!オキナワ的わんぱく時代」 宮里千里(みやざと せんり)著 私にとって裏表紙のまちやぐぁーの写真を見るだけで、 なつかしい香りのする本である。それもそのはず、 団塊の世代である著者の宮里氏は那覇市の (現)与儀小学校に通っていた。私はそのとなり の校区の小学校に通っていた。私の子供時代と 重なる部分が8割がた。著者と私の年齢差は九つ。 B円とドルの交換は記憶にないのだけど、父から 昔はB円を使っていたことはよく聞かされていた。 おおかたのページをめくって「はっさー、なつかしさー、 うん、うん、そうだったさー」の連続だ。 あれは現実だったのか、夢だったのか、あいまいな 出来事があった。それは小さい頃、空き地などにいって、 近所の子供達で土をほりおこし、鉄くずをひろい集めるのだ。 たま〜に、今でも土をほりおこしてコインのようなものを 見つけて歓喜する夢をみる。それが、あれは現実だったんだ ということが、この本を読んではっきりした。著者によると その鉄くずをフルガニヤーにもっていくと現金に換えてくれた ようなのだが、私は幼かったからなんだろう、金銭を手にした 記憶がない。集めてもっていくと、近所のニーニーがよく ほめてくれて、私はそれがとてもうれしかったような覚えがある。 貧しくても、みな、たくましかったように思う。 いとしきおきなわのウーマクワラバーターなのである。 ・まちやぐぁー→店、雑貨屋、商店 ・フルガニヤー→古金屋 ・ニーニー→お兄さん ・ウーマクワラバーター→わんぱくな子供達 |
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「ザ・ウチナーンチュ」沖縄人解体真書 仲村清司著 「はじめに」のところから、ほんとに細かく ウチナーンチュのことを観察しているな〜と 感心してしまった。確かにこんな小さな島だが、 方言と同じようにさらに細かい気質が各地域や 世代にあるように思う。 時たま、なかゆくい的に登場する 「てんぶーたーの三男」さんの描く マンガもまた、自分や自分のまわりの ウチナーンチュの行動をそのまんま 言いあてられているようで うちあたいしてしまう。 ・なかゆくい→休憩、、コーヒータイム ・てんぶーたー→お腹が出ている ・うちあたい→心あたり(そういえば自分もそんなこと しているよー、いかんいかん・・・みたいな) |
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「沖縄に恋する」 西野 浩史著 (どんなふうに恋しちゃったんだろう?と、 気になって読んでみた本) 冒頭の書き出し、飛行機で沖縄本島上空にきた情景である。 その部分を読むと私も思い出しますよ、20数年前、2年間住んで いた本土から引き上げてきたときを。 雲のあいだから、一色ではない、いくつかの青にかがやく海と、 島がみえてきたとき、「あー、沖縄に帰ってきたんだなー」と 改めて感じるその瞬間。 年代や性別、環境など人それぞれ。そのいろんな方々の 沖縄に住むことになるまでのいろんな道すじが現地での 取材により書かれている。その中の第2章の方が心に残る。 タイトルは「すべてを捨てて」このタイトルからして、「ん!?」っと、 驚いてしまう。なにか考えさせられるものがある。著者である西野氏の 章では「そうなんだよねー、それがウチナーンチュのいけないとこ、 反省しなくっちゃーね」なんて、思ったりする。 「故障して止まったままの時計」もしかして、その時計私も 知っているかもしれない。西野氏は、この止まったままの時計が 気になって、管理してるところに電話で 問い合わせたらしい。管理してる所が気がついてなくって、 そのことを沖縄の友人に話すと、「最初から、時計を信じて いないから大丈夫」とのこと。私もきっとそう言うはず。 実は、家の時計は応接間の掛け時計、キッチンの掛け時計、 トイレの置き時計、キッチンのテレビの上の置き時計があるんだが、 その中で時をきざんでいるのは、キッチンのテレビの上の置き時計 だけだった。残りの時計は秒針は動いているが、こわれているものあり、 まったく動かず「だたの飾り」と化しているものあり、だった。 最初は電池切れかなとおもって電池を入れ替え、時間をあわせるけど、 やっぱりくるってしまう。なんぎなのでほっておいた。とある日、 お客さんがトイレをかりたあと、一言、「○○さん家の時計って どれもあってないじゃん」 私はキッチンのテレビの上の置き時計があっているので 特に不便を感じなかったのだ。 それが、実家の父が遊びにきたとき、掛け時計が両方こわれている ことに気がついた。私は「別にこれ(置き時計)があってるからいいよ」 って言ったんだけど、「わんが、こーてぃ、ちゅーさ」(自分が買ってくるよ)と、 DIYセンターから、買ってきてくれたのだ。・・・なので、 今のところ我家の時計は2個は時をきざんでいる。 (子供部屋の掛け時計はちゃんと動いていたんだっけな〜? ありぁ、ちっとも反省してない?) |