歴史遺産 湯田中名所めぐり

(鋭意取材中・・・汗)

【湯田中・金倉方面】  湯田中駅より徒歩15分

弥勒石仏・・・湯田中の大湯を薬湯として、必ず衆生の病を治すようにと、この温泉の鎮護のために浴場大湯の東方に弥勒石仏を建立したと伝えられる。現在は金倉の名所弥勒に現存しているが、地変によって埋没していたものを、大治五年(1130年)、大和国の僧末光が、地中から発見し再建したものであると口碑は伝えている。弥勒さまのご利益は、疫病よけの神であり、火難・地震を鎮めてくれる神と信じられている。

大悲殿・・・本尊は聖観世音菩薩の立像で、故横江嘉純(東京・日展審査員)が製作。昭和34年に入仏供養がおこなわれた。境内には、横江氏による青銅製ブロンズ仕上げでは、世界一といわれる25メ−トルにおよぶ、世界平和聖大観音が昭和39年に建立されている。昭和13年に銅版うちだしで、聖観音が建立され、百尺観音とも呼ばれたが、第二次大戦で大仏も本尊と台座だけを残して昭和19年に応召されてしまった。これを惜しみ、地元と東京万人講を中心に再建され現在にいたる。落慶開眼供養の導師には善光寺一条智光上人が勤められた。台座内には、西国三十三番札所観音を遷座している。
梅翁寺・・・寺伝によると、梅翁寺の薬師堂が湯田中温泉の守護発展のために創建されたのであるが、その年次は明らかではない。元禄年中(1688年〜)浄泉庵主が、本尊薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩及び十二神将を薬師堂に安置したという。数度、火事にあい現在に至る。近年、足湯と常夜燈が設置された。
御本陣・・・真田信之が元和八年(1622年)松代藩主になってより、湯田中村(沓野村を含む)・佐野村を領地とすることになった。この二ヶ所の村を支配する御本陣は前代より使用されていたと思われる「ごてんの湯}におかれ、領主の保養所ともなっていた。歴代の真田家のなかには、湯田中の温泉をいたく気に入り、お城に持ち帰ったこともあった。正門からの出入りは、殿様の来たときのみ開いたと言われている。現在は白銀屋菓子店の所有となっている。
蔵王権現堂・・・樹齢数百年を経たと思われる「雨含の松」があり、お産の神・子育て子授けの神とされる石仏がある。尚、地元の吉沢地区においては、戦時中出兵にいった人々が、みな無事に帰ってきたこともあり、現在もなお深く信仰されている。
湯宮神社・・・湯田中滝の湯の横にあり、明治二十五年に諏訪社を湯宮神社と改称した。境内の祭神 @秋葉社・・・火防の神 A神明社・・・豊作の神 B地神社・・・産土の神 C金刀比羅社・・・水防の神 D金山社、西乃宮も祀られている。 動き岩・・・湯宮神社背後の兵陵には奇岩怪石が折り重なっており、そこには不思議に動く岩が存在している。

 

 

 

【新湯田中方面】  湯田中駅より徒歩2分

三社宮・・・明治23年に、この地に遊郭の街が創設されたときに、当時の人々がこの新地の守護神として、創建した。安芸宮島から弁財天、京都伏見から稲荷神、出雲大社から大黒天をそれぞれお迎えして、三神合祀なので社名を「三社宮」とした。社殿に保管されている(現在は町役場にて保管)刀剣「永和三年」の銘がある備前長船師光の作で「町宝」に指定されている。境内には「観桜碑」と「玉垣額之助碑」がある。尚、お宮を支えている石は、自然の石を集め、一切の加工をせずに積まれており、建築学的にも大変珍しいものである。池の中央部には男根様が祭られている。

八幡社・いぼ直し石・・・新湯田中のはずれ西南端に八幡様が祭られている。例祭には隣の上条区も参加している。また八幡社前の庚申塔外の小さな塔は、昔から「いぼ石」とも呼ばれている。塔の周囲に散在する小石で塔を撫でて持ち帰り、子供の手などにできた「いぼ」を撫でると、まもなく取れてしまうという。親子は、その石とともに別のきれいな小石を持ってきてお返しして、お礼参りをしたという。俳人小林一茶は、「七番日記」の文化12年(1815)3月3日の項に、この石を「いぼ直し石」と記している。